第82話 帝国へ

 そこは酷くカビ臭い、湿った部屋だった。


 果たしてこんな所に大切なものなんてしまっておけるんだろうか。本であればあっという間にカビて腐ってしまいそうだ。


「ちょっと、扉の前をあけて」



 クラリスは言葉と身振りで指示をし、扉の前を遮るものがないようにする。そして手の杖を軽くかざすと、シュルルルと音を立てて空気が集まり始める。


 クラリスの得意とする、風の魔術だ。その気にあればアレは魔物も一撃で絶命させる力を持っている。


 ただ、今はそれを丸く柔らかくまとめると、部屋の中全体に広がっていった。


 風の魔術は部屋全体を包み込んだ後、淀んだ空気と共に扉から排出された。


 そうして一気に空気が良くなり、僕達は地下室の奥へと進んでいく。




 地下室は意外な程広かった。


 僕等が最初に入った部屋は、いわゆる広間であり、その先には部屋が三つあった。その三つの部屋を僕、クラリス、アレクでそれぞれ調べる。


 ラウは広間で待機して、何かあれば声を掛けてくれる事になっている。


 僕が捜索にあたった部屋は、何の変哲もない部屋だった。倉庫だったのだろうか。両脇の壁に棚が据え付けられていたが、その棚には何も置かれていない。


 アレクがやった様に、もしかしたら仕掛けがあるのではと思い部屋の隅々を探したが、本当に何もなかった。



「おい、来てくれ」



 部屋の探索を終えようかという時、僕の部屋にアレクが声を掛けに来る。

 何事かと外にでれば、アレクが探索するはずの部屋の前には既にクラリスがいて、僕を待っていたようだ。


「アレクがこの部屋で何かを見つけたみたいだよ。ちなみに私の部屋は寝室だった。何もなかったのは言うまでもないね」



 そして、三人でアレクが捜索していた部屋に入る。


 そこはぱっと見書斎の様な部屋だった。


 両方の壁一面に棚があり、そこには本が所狭しとびっしり並んでいる。


 正面の机には、何に使うか分からない器具があちこちに置いてあり、微かな薬品の臭いを漂わせていた。


「す、すごい……。こんなに本が沢山。ここがそのルイスさんの隠したかったモノが──」


「それはどうかな」



 僕の言葉を待たず、アレクが机に進んでいく。

 無造作に机の引き出しを開け、手を差し込む。カチリと音がしたと思うと、今度は分かりやすく左の本棚にある本の一部が奥に引っ込む。そして隠された引き出しが本棚に現れた。


 今度は僕がそこに近づいてみた。引き出しは鍵のかかった様子もない。


 だが、開けようと思うが開かない。押すのか、引くのか、横開きなのか、上下左右奥手前どちらに動かしても引き出しは開かない。



 僕がまごついていると、隣にクラリスがやってくる。わざとらしく体をぶつけて僕を下がらせると、クラリスが引き出しの前に立ち手をかざした。


 パアァァっと青白くクラリスの手が輝くと、それに呼応して引き出しも全体を淡く光る。


 グッと何かが動く音がして、隠されていた引き出しが開いた。


「これは魔力に反応して開く仕掛けみたいだね。魔術師が好んで使うものだ。やはりルイスは……」



 仕掛けの解錠が終わり、ゆっくりと蓋を開ける。


 ──そこにあったのも一冊の本だった。


 ただ、他の本の様に革張りの装丁がしてある訳でもなく、どちらかと言えばみすぼらしい本だった。


 クラリスがそっと手に取り、ゆっくりと開いて見る。

 横からなのでハッキリとは見えないが、文字が書いてあるのは見えた。ただ、その文字は僕の見た事のないものだった。


「アレク。君はこの文字が読めるかい?」


「……いや、見た事のない文字だ。これはどこの国の文字なのだ?」


「さぁ、どこだろうね。だが、恐らくこれを記したのはルイス本人だろう。最初のところ、ここにルイス本人だろう字が書かれている」


 表紙をめくった最初のページ、そこには僕にも読める字でこう書いてあった。




『知恵と知識を求める者よ。此処にその全てがある。求めよ、さすれば与えられん』




「これってどういう……」


「どういう意味なんだろうね。私にも分からないよ。だけど、どこかにそれがあるんだろう? 此処とはどこなのか、これはもう本人に聞くしかないね」


「本人に聞くって、もうその本人はいないよ? 帝国に連れ去られたって」


「ん? だから、帝国にいるんだろう? だったら会いに行けばいい」


 クラリスは何でもないようにさらっと言う。まるで外に散歩でも行くかの様に。


「そっ、そんな事できるのか、あんた達!?」


「出来るかどうかじゃないよ、やるかやらないかだ。私達は、やる」



 慌てて問いかけるラウに対して、僕とアレクの返事を待たずにクラリスは答える。その目に迷いなんて一切なかった。


 そんなクラリスを見てアレクも心を決めた様だ。その表情からは迷いがなくなっていた。


「俺は、どんなところにでも行くつもりだ。どんな困難が待っていようと、俺は行かなければならない。クラリス、頼む」



 真剣な表情でクラリスに頼み込むアレク。そこには僕が口を挟む余地なんて微塵もなかった。


 だから、僕の結論は他の二人と同じだ。


「行こう、帝国へ。僕達の希望を掴むために」



 少し強引だったかも知れない。だけど、行動を起こさなければ望む結果なんて得られない。


 アレクの言う通り、どんな困難があっても僕達は行かなければならないのだ。


 呆けた顔をしているラウを置き去りにして、僕達三人は帝国へ向かう算段を始めたのだった。

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