第67話 還らぬ人

「……眩しい。ここは……」


「やぁ、目を覚ましたかい? ここは貧民街の倉庫だよ。ちょっと一晩拝借したのさ」


 耳元でクラリスが優しく囁く声が聞こえる。


 ゆっくりと身体を起こすと、僕の上には藁束がかかっていた。ちょっとチクチクするのはコレだったのか。


「……っ! そうじゃない! アレクさんは!? アレクさんはどうなったの!?」


「……心配しなくても俺はここにいる。大丈夫、生きている」



 慌てて起き上がると、倉庫の窓の近くから声が聞こえてくる。

 そこには昨日の晩に戦っていたはずのアレクが、鎧を外した姿で佇んでいた。



「……アレクさん。もう、その、呪いは。呪いは解けたんです、よね?」


「……ああ。すまなかった。俺の心が弱いばかりにこんな事態になってしまった。今は、とりあえず大丈夫、だと思う」



 アレクは俯いたまま僕に答えた。その姿は弱々しく、闘技会で見たキラキラと輝くアレクとはまるで別人だった。



「その、なんというか、とりあえず無事で良かったです……。その腕は、どうしたんですか?」



 アレクは僕に答える時もずっと右腕を押さえたままだった。昨晩、確かに呪いの剣と同化していた腕だ。無事なはずはない。だけど少なくとも遠くから見る限り人間の腕と同じ形をしている。



「ハクト。ちょうどいいから君も良く見ておくんだ。呪いが人に何をもたらすかを」



 クラリスが代わりに答える。そしてアレクの右腕を覆っている布を躊躇う事なく取りさる。



 ──そこには、真っ黒に染まり所々ひび割れた奇怪な腕があった。



「それはっ……」


「これで済んだ事が奇跡だよ。昨日の戦いで最悪アレクの右腕を切り落とさなくちゃならないと思っていたからね。……だけど、もうこの腕は使えない」



 クラリスは淡々と事実を告げているのだろう。だけど、その事実は騎士を目指すアレクには死刑宣告と同じくらい重大な話だ。アレクは俯いたまま顔を上げる事もせずに話をし始めた。



「この腕は、指先だけは動く、肩の部分はそのままだから腕を全体で動かす事も出来る。だが、力は入らない。……剣は握れない。だが、そんな事どうでもいい。俺がしでかした事をクラリスさんから聞いた。俺なんてこのまま死んでしまった方が良かったんだ……」



 ああ、やっぱり……。アレクの右腕は、もう二度と剣を握る事は出来ないんだ。でも、でも……。



「アレクさん、腕のことはすいません、なんて言ったらいいか分からないです。でも、死ぬのは違う。僕はアレクさんを止めたくて、そして生きていて欲しくて止めに来た。だから、今アレクさんが生きていてくれて嬉しい。……友達が生きていてくれて、嬉しい」



 僕の言葉が届いているのかどうか。ここからではアレクの表情は分からない。


 でも、微かに震えるその身体は、きっと聞いていてくれてる。アレクはちゃんと元に戻ったんだ。優しくて不器用で、人の事をちゃんと考えられる今までのアレクに。



 元に戻ったアレクに、僕はずっと気になっていた事を確認する。


「アレクさん、貴方は呪いの力に負けて人を沢山殺めてしまった。それについては罪を償わなければいけないと思います。でも、何故アレクさんはこんな事をしたんですか? 何故、呪いの剣を持ち出してまで人を殺したんですか?」



 僕の質問にアレクは無言で答える。このままずっと沈黙が続くかと思われたが、暫くの静寂の後、ゆっくりアレクが口を開いた。




 そして、ぽつりぽつりと喋り出す。闘技会後のこと、剣の指導をしていた事、バークレー家での事、エリスの事、呪いの剣の事……。




 やっぱり昨日の戦いの時に聞いたのは間違いじゃなかったんだ。エリスは死んだ、奴等に殺されたというのは、錯乱したアレクがついた嘘ではなかったのだ。




「……そうですか。僕にはなんて言ったらいいか分かりません。僕も大切な友達を亡くしたから。でも、その相手が目の前にいたら、僕だって同じ道を選んでいたかも知れない」



 アレクの目を真っ直ぐ見つめて、僕の気持ちを伝える。ちゃんと伝わったか分からない。でもアレクはしっかりと僕の目を見て頷いてくれた。今はそれだけで十分だった。



「それでアレク。傷心のところ悪いんだが、何個か聞きたい事がある。いいかい?」


「……ああ。俺で分かることなら何でも答える」


「ふむ、良い心掛けだね。じゃあまず、呪いの剣。これは一体何処で手に入れたんだい? まさか君の家に代々伝わる物とかなのかい?」


「いや、うちの家にそんな物はない。あの剣はこの貧民街の露天商から買ったのだ。今更だが、怪しい事この上ない。何せ店など何処もやっていない様な夜中に買ったのだからな。それがどうかしたのか?」


「……いや。ちょっと気になっててね。呪いの道具、今回は武器だったけど、これはそうそう世に出回らない物なのさ。君達は肌身で感じただろうけど、使い方を間違えれば街が一つ滅びかねない。そんな物をどこで手に入れたんだろうと思ってね」




 クラリスの言う事はもっともだ。アレクが呪いの剣を手にした姿は、尋常じゃなかった。並大抵の人間では絶対に敵わないだろう。倒せるとしたら騎士団でも名のある人間だけだろう。



 じゃあ騎士団の人間が呪いの武器を手にしたら?


 こうなったら誰も止める事が出来ず、街だけでなく国まで傾く事態になるだろう。

 呪いの道具とは、それだけの力を秘めた道具だった。




 その後、クラリスはアレクからその露天商の特徴やら気になった店を事細かに確認をしていた。



「うん、とりあえずは分かった。こちらで出所を出来る限り確認してみよう。じゃあそれともう一つ聞きたい。エリスの遺体はどうしてる? 今どこにあるんだ?」



「「えっ?」」



 僕とアレク二人で同時に声を出す。


 クラリスは何を言っているんだろう。エリスは死んだ、殺されてしまったのだ。


 この国では死者は墓地へと埋葬するのが一般的だ。つまりエリスは既にお墓の中だろう。突然何を言い出すのか。



「……屋敷の地下にいる。エリスの亡骸は、屋敷の地下で魔術士達の手によって凍結させている」



 なんだって?


 クラリスの問いに対して、アレクが予想外の回答をする。何故亡くなったエリスを凍結させているのか。凍結させる事に意味があるのか。



 僕には二人が何を言っているのか分からず、ただ黙って見ている事しか出来なかった。



「ほう、やはりね。それは誰の案だい?」


「エリスが死んだ時、この街の魔術師と言われる人間達を片っ端から集めた。治療させる為に。だけど、傷は塞がれどエリスは目を覚さなかった。じゃあどうしたら目を覚ますのか。魔術士連中全員に同じ問いをして、その中の一人がそう答えた」


「……もしかしたら、生き返らせる事が出来るかも知れない、と」


「ああ、その通りだ」




「その魔術師の言葉を信じる方もどうかしているが、その魔術師も大概だね。そんなの魔術師の中でも信じてる奴なんていない迷信さ。それを切羽詰まった相手に言うとはね」


「……切羽詰まった相手だからこそだろう」


「でもっ、アレクさん。それだったらどうして呪いの剣で復讐を始めたんですか!? 生き返るかも知れないんだったら、そっちに全力で──」


「お前の言う事はもっともだ。だが、その時の俺には出来なかった。俺はエリスが死んだ日には既に呪いの剣を手にしていて、生き返るかも知れないという話はその後に聞いた。そしてもう、その時の俺は復讐する事しか考えられなかった。エリスの遺体を凍結する様に命じられた事が信じられないくらいだ」



 ……そうか、呪いの剣はその人間を蝕む。アレクが手にしてしまった時点でこの復讐劇は幕を開けてしまったのだ。



「それで、結局エリスの事はどうするんだい」



「もう、どうしようもないだろう……。出来る限り手厚く葬る。その後に俺は出頭する。それが俺に出来る最後の償いだ」


 アレクは一際大きく項垂うなだれて、ため息をついた。


 結局、エリスを生き返らせる事なんて出来ないのだろう。それであればこれがアレクの取れる最良の方法なのかも知れない。


 せめてエリスを葬る間だけは邪魔の入らない様にしてあげたい。



「じゃあ僕達はせめてそれまで──」


「本当にそれでいいのかい?」



 僕の言葉を遮ってクラリスがアレクに話かける。それでいいか聞いたって、それしか出来ないのであればせめてそれをフォローすればいいのだ。



「それはどういう事だ」


「言葉の通りだ。アレク、君はエリスを葬って自分が出頭して、本当にそれで良いと思っているのかい?」


「……良いも何も、それしかない。俺に出頭するなとか言いたいのか?」


「そうじゃない。君は──エリスを生き返らせたくないのか?」



 絶句した。僕もアレクも言葉が止まった。


 クラリスがこんな場面で冗談を言うはずがない。という事はエリスを生き返らせる事が出来るのだろうか。そんな、この世の理に反する様な事が。



「っ……! それは、それは本当なのか!? エリスは、エリスを生き返らせる事が出来るのか!?」


「期待を持たせてしまって悪いんだけど、私自身やった事はない。ただ、聞いた事はある。昔師匠と共に旅に出ていた時にとある場所で。死者を生き返らせる反魂の術があると」


「じゃあ、その反魂の術を使えば……」


「ああ、生き返るかも知れない」





 すみれ色のクラリスの瞳が、真剣な眼差しで僕とアレクを貫いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る