第62話 狂気、激突

 真っ暗な道を歩いているはずなのに、視界がすこぶる良い。足元なんて昼間の様だ。


 それに、身体は冷え切っているはずなのに、灼熱の砂漠を歩いているかの様に煮え滾っている。




 何故こんな事になっているのかは分からない。ただ俺にあるのは、目の前の人間を切り裂かないといけない、ただその使命感だけだ。その為に生きている。




 ……本当に生きているのだろうか。俺は何をしているのだろうか。分からない。どうしたら良いか分からない。どうしたら良いか分からないから、考えるのは止めた。

 何も考えずに、右手を振り上げ振り下ろす。ただそれだけの動作を繰り返す。




「ひぃぃっ、もう、もうやめてくれっ! 痛い、痛いっ! 助けてっ……」




 何を言っているんだ、こいつは。


 こんな奴が言葉を発している事に無性に腹が立つ。


 もう話したくても話せないのに。声を聴きたくても聴けないのに。




「ああぁ、痛い、やめて……」




 少しずつ声が静かになってきた。やっと黙らせる事が出来た。ふっ、俺もまだまだだな。もっと精進しなければ、騎士なんて程遠いぞ。


 一つを終わらせて、一つ終わる。



「っく、くるな!! 来ないでくれっ!」


 踵を返すと尻餅をついた男がいる。


 あぁ、頭痛の種はまだあったか。いや違うな。むしろコイツが一番の原因だ。俺が甘やかしてしまったから。俺が情けをかけてしまったから。


 こんな奴が生きているからエリスが、エリスが……。




「やめろっ! やめるんだっ! 兄さんに手を出すなっ!!」


 ああ、鬱陶しい。どこから出てきた。どいつもこいつも何なんだ。俺の邪魔をするな!



「貴方には勝てないかも知れないが、負けもしないっ! 兄さん、この隙に逃げてっ、──があっ!?」



 負けない? 何を言っている。お前なんか相手にならん。さっさと死ね。


「ひぃぃっ! ルドルフ! ルドルフッ! 何をしている! 私を、私を守ってくれっ!!」


 残念だったな。お前を守ろうとしたルドルフはそこでもう寝ているぞ?

 起こしてやればいいじゃないか。



 ……俺だって守ろうと思ったんだ。騎士だからな。守りたかったんだ。守らなきゃいけなかったんだ。俺だって、俺だって……!!



「うおぉぉぉぉーーー!!」



 声にならない想いが叫びとして木霊する。


 守りたかった。守れなかった。だったら、こんな奴、殺したっていいだろう?




 ──なのに。なのに、何故邪魔をするんだ! ハクト!!




 ◆◆◆◆◆





 ──それは、もう僕の知っているアレクではなかった。



 振るわれる剣を間一髪で食い止めアレクを見る。


 真っ黒な鎧を身に纏い、目を血走らせて、血に塗れた剣を握っていた。


 その存在が見る者全てに不吉を予感させる、まさに呪いを体現するかの様なモノだった。




「……まさか、本当にアレクさんだったなんて。もう、もうこんな事やめて下さいっ! どうしてこんな事をするんですか!?」


 僕の声にアレクは反応しなかった。ゆっくりとその視線を僕に向けると、僕の背中は総毛立った。


 人間なはずなのに、人間じゃない。そこにあるのは狂気と殺意だ。



 ギリギリで食い止めた剣をアレクは凄まじい力で押し込んでくる。

 押し切られる前に、剣筋の先にいた人間を蹴飛ばし転がす。



「早く逃げて下さい! ここにいれば殺されてしまいますよ!」



 尻餅をつきながら後ずさった男は、そのまま立ち上がると一目散に駆けだした。

 男が逃げる様子を見てアレクと向き合う。するとそこには既にアレクはおらず、今まさに駆けだした男の後を追い縋っていた。


 そしてそのまま走りながら剣を振ると、男の頭は放たれたボールの様に胴体から離れ、暗闇まで転がって行った。



「なっ、あっ……。アレクさん。なんで……」



 ──ドシャッ。


 遅れて男の体が倒れる音がする。満足気にそれを見届けると、剣を手にアレクがゆっくりこちらへ向かってくる。



「なんでだと? そんなの簡単だ、あの男は殺すべきだったのだ。俺が情けをかけて生かしていたのがそもそもの間違いだったのだ。すまないな、あんな男を生かしていて」


 一体何に謝っているのか分からない。間違いなく、アレクはもう僕の知っているアレクじゃなかった。




「ただ、残念だ。アイツの体も簾の様にしてやろうと思ったのに。ハクトよ、どうして邪魔をする?」


「どうして? だって、アレクさんが人を殺すなんて……。そんな事ダメだ! そんな事しちゃいけないんだ!」


「……そうか、分かった。じゃあお前を殺せばいいんだな?」



 いいながら剣を振りかぶり向かって来るアレク。先ほどまでの目に留まらぬ動きではなく、普通の速さだ。正気を失っているのは間違いない、それであれば正気のアレクよりも弱いかも知れない。



 一刻も早くアレクに正気を取り戻させないと!



 振られる剣は遅くはない。だが、アレクの渾身の一撃から比べれば遥かに劣る。


 そのまま僕も剣で受け止めようとする──



「ダメだ! 避けてっ!」




 背後からの突然の大声で僕もアレクも一瞬びくっとするが、その声に反応出来たのは僕だけだ。それはもちろんクラリスの声だったから。


 慌てて身を翻し、剣を受けずに転がり込む。一瞬アレクの剣先が肌を掠めたが大した事はない。



「ふぅ。クラリス、一体どうした……がぁぁぁぁっ!!」



 熱い! 熱い熱い熱い熱い! 痛いっ! 体が灼ける様だ!!



 アレクの剣先に触れた腕が、想像を絶する程の痛みを訴えてくる。痛み、熱、まるで体が中から溶けていくかの様な痛み。


 余りの痛みに、僕はたまらず剣を手放し地面にもんどりうってしまった。



「おお、クラリスさんではないか。今宵はどうしてこんな所へ。まさか貴方も殺しはダメだ、真面目に生きろなどと言うんではないでしょうね」


「……貴様の様な奴にそんな言葉は言わん! 消え去れっ!」


 クラリスが特大の火球をアレクに見舞うが、僕は痛みでそれどころではない。転がりながら視界の片隅で捉えた映像は、剣の一振りでクラリスの火球を斬り払うアレクの姿だった。



「ハクト! 大丈夫!? 早く見せてっ」



 クラリスがそう言いながら淡い輝きで僕の腕を包む。腕からは濁った血液が蒸発し、やがて傷口を魔術が塞いでいく。


「はぁ、はぁ、はぁ……。クラリス、ありがとう。危なかったよ。……何なの、あれは」


「アレが呪いの力だ。色々な呪いがあるが、恐らくは痛みの増幅、力の増幅等だろう。ハクト、アレクと戦うなら一筋も傷を負ってはならないよ。でないと、また同じ目に合う。その気になれば直ぐに殺されるだろう」



 ──これが呪いの力か。


 怖い。身体が自然と震えだす。



 あのアレクを相手に、かすり傷一つ負ってはいけないなんて。ただのアレクじゃない、呪いで正気を失った相手だ。どんな攻撃をしてくるかも分からない。






 本当にこんな条件で勝てるのか。勝機はあるのか。


 退くか進むか、生きるか死ぬか。


 僕は今、最大の決断を迫られていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る