第55話 どこにもいない

 ──その日の夜、エリスは屋敷に現れなかった。


「父上、今日はエリスは来ていないのですか?」


「なんだ、アレクと一緒ではないのか? 私は見かけていないな」


 視線を母に向けると、無言で首を横に振る。


「もしやエリスに何かあったのでしょうか」


「それも考えられるが、ただ単に今日は来ていないだけとも思える。心配ならばミルヒシュトラーセ家に使いを出して確認をするが、どうする?」



 ……確かに心配ではある。だが、仮に誰かに絡まれたとして、エリスが負けるとも思えない。他の事があったのか、ただ単に今日うちに来ていないだけなのか。


 しばらく考えたが、とりあえず今日は使いを出す事は辞めておいた。貴族の家の体面もあるし、もしエリスが家にいた場合は後で何を言われるか分かったものじゃない。



「いや、父上。ただ今日は来ていないだけかも知れません。使いを出すのは辞めておきます」


「ふむ、そうだな──」


 その時、遠慮がちに居間の扉をノックする音が響く。扉を開けて入って来たのはうちのメイドだったが、何故かその表情には困惑の色が漂っていた。


「どうした?」


「はい、御主人様。ただ今正門にミルヒシュトラーセ家の使いの方が参られております。エリス様をお迎えに上がったとの事でしたが、いかがいたしましょうか」


「何?」


 父と顔を見合わせて、二人で席を立つ。



 急いで正門へ駆けつけると、そこにはいつもの馬車でセバスティアンが待っていた。


「夜分に申し訳ありません、フリューゲル侯爵閣下。エリスお嬢様が戻られておりませんでしたので、お迎えに上がらせて頂きました」


 礼儀正しくお辞儀をする姿は、いつものセバスティアンと何ら変わりわない。だが、うちにはその迎えに来るべき対象が来ていないのだ。



「わざわざ来て頂いて申し訳ないのだが、エリス嬢は今日はうちには来ていないのだ。屋敷にも戻られてないのか?」


 父の言葉に片眉をピクリと動かし、セバスティアンは俺と父を交互に見据える。


「ええ、私がお迎えに出る迄には未だ戻られておりませんでした。こちらにいらっしゃらないとなると、果たしてどちらへ行かれたのか……」


 セバスティアンの顔が少しずつ焦りと怒りに変わっていくのが見て取れる。そして、俺の背中にも冷たい汗が流れてくる。


「セバスティアン殿、何処か他に心当たりはないのか?」


「……すぐに思い当たる場所はございませぬ。アレク殿こそ、何処か思い当たる節はございませんか?」


「俺は……。残念ながらやはり無い。だが、ここに居ないのも事実だ。直ぐに探しに出よう」


「かしこまりました。当家の事でお手を煩わせて申し訳ありません。何か分かりましたら屋敷の者にお伝え頂けると助かります」


 再び深くお辞儀をして、セバスティアンは馬車に乗り込んで行った。


 俺も急いで屋敷から外套を持ち出すと、エリスを探しに街へ出る事にする。




「父上、エリスを探して参ります。日が変わる迄には戻りますが、何かあれば連絡を下さい。王都内であればすぐに戻ります」


 そう言って駆け足で屋敷を出て行く。



 本当は馬を駆りたい所だが、夜道で馬をとばすのは危険だし、何より捜索には向いていない。

 果たしてエリスはどこへ行ったのか。


 あのお転婆娘め、帰ったらしっかり説教してやらないとな……!




 そんな事を考えながら、夜の王都を走り始めた。





 ◆◆◆◆◆◆◆





 エリスはどこに行ったんだ。自分でいなくなったのか、何かに巻き込まれたのか。

 あてもなく走り回る訳には行かないので、ある程度の推測をする。


 まず貴族街にはいないだろう。本拠地を南に移したとはいえ、エリスは公爵家の令嬢だ。そんなエリスを知らない貴族がいる訳がない。


 そして、恐らく同じ理由で商人街にもいる可能性は低いだろう。

 有名所の貴族を知らない商人など商売できないからな。



 だとすると、住人街、歓楽街、貧民街のどこかだ。

 俺は多少なりとも土地勘のある住人街を目指して走る。


 短い期間ではあるが、見習い騎士としてこの町を警邏していたのだ。そしてエリスの行きつけの店なんかもある。ここにいる可能性は高いだろう。




 ──そう思い、住人街のあちこちを探して回った。方々の店の店主にも特徴を伝えて聞いてみるが、結果は芳しくなかった。


 一軒だけ、昼間にエリスが来たという店を見つけたが、店からはすぐに出て行ったらしく、その後の足取りはわからないという事だ。


 エリス、どこに行ったんだ……!




 俺は住人街を後にし、続いて歓楽街へ向かう。あまり好きな街ではないのだが、ここにも貴族をメインの客にしている店は多い。歓楽街の食事処や服飾店を主に廻るが、

 結果は住人街と同じだった。


 ここでも見つからない、手掛かりすらない現状に少しずつ焦りが大きくなってくる。


 本当にどこに行ったんだ。考えたくはないが、まさか何かの事件に巻き込まれたのだろうか。




 焦る気持ちを抑え、最後に貧民街に向かう事にした。


 正直、ここは立ち入りたくない。貴族街の整えられた街並みと違い、道は凸凹、家は傾き、住人自体もみすぼらしい。


 こちらから頭ごなしに嫌う事はないが、彼等は俺を嫌悪の混じった眼差しで見つめてくる。

 心地良いはずがない。




 貧民街へ足を踏み入れ、やはりここは空気が違うという事を感じる。


 ここには伝手もなければまともな店もなかった。ざっと見て回って、あるのは薄汚い酒場くらいな物で、話を聞けるとしたらそこくらいしかないだろう。


 意を決して酒場の戸を開く。何人かの客と、気怠そうな店主がいるだけで、店は薄暗く淀んだ臭いが充満していた。


「なんだい、兄ちゃん。いらっしゃいって言えばいいのかい」


「あ、いや、俺は……。客ではなく、聞きたい事があるんだが」


「……客じゃなきゃかえんな。てめえに用事があったとしても、俺らにゃ聞く耳はねえよ」



 そういうと、既に俺への興味はなくなった様で、全員黙って杯に口をつけ始めた。


「もう一度言う、聞きたい事があるんだが」


「わかった兄ちゃん、俺ももう一回言ってやろう。俺は客にしか用事はねえよ。それすら分かんねえならさっさと帰れ!」



 店主は強い口調でそれを告げると、今度こそ俺に背を向けて酒を飲み始めた。


 ……貴族は相手にしないというのか。それともただ単に俺の事が気に入らないのか。もしくは武力を見せるべきなのか。

 対応が分からない。


 店の中を見回しても、客達は薄ら笑いを浮かべるだけで何も言わない。


 こいつらは相手にされている。それは何故だ? それは客だからだ。客……。


 ……そうか。




「失礼した、店主。この店で一番強い酒を貰おうか」


 店主は何も言わずにニヤリと笑うと、奥のカウンターへ手を伸ばし一本の酒を取り出す。


「兄ちゃんが馬鹿じゃなくて助かったぜ。まぁ、まずは飲めよ。お代は中身によるからよ」



 そう言って、小汚いグラスに並々と茶色い液体を注ぎ渡してくる。

 受け取ったグラスを一気に煽り、中身を空にする。むせかえる様なアルコールの匂いをそのまま飲み下し、俺は再び店主に問いかける。


「良い酒だな。御馳走さん。それで、ちょっと聞きたい事があるんだが」





 ◆◆◆◆◆◆




 俺の聞きたい事、エリスの事については店主も知らなかった。ただ、ここ最近貧民街へ出入りする貴族が増えてきたそうだ。

 ……いや、違うな。ある特定の人物が複数回、この貧民街に足を運んでいるらしい。


 そいつが誰かは分からないが、いつも全身黒い服を着た男達を連れて、この街で何やら動き回っているそうだ。



 そいつとエリスに関係があるかは分からないが、貴族連中は悪い事をする時は大抵貧民街の人間を使う。

 もし何かの企みにエリスが巻き込まれているならば、非常に危険な状況だ。


 俺は嫌な予感がよぎり、酒場を後にする。



「おい、兄ちゃん」


 突然の店主の呼びかけに一瞬驚くが、店主は真面目な顔をしてこちらを見つめてくる。


「あんた、悪い奴じゃなさそうだから言っておく。あんたみたいな奴はこの街に来るべきじゃない。この街は人間を腐らせるんだ。今はいい。だが、少しでも心に隙があると容赦なくこの街はあんたの隙間を埋めてくるぞ。用事がないなら、来ない方がいい」


「……あぁ、わかった。ありがとう」


 それだけを言い残して今度こそ俺は酒場を発った。







 結局、何の手がかりもないまま時間だけが過ぎてしまった。


 エリスが見つからない事態に気は焦るが、もしかしたらもう屋敷に帰っているかも知れない。そう思い俺は一度自分の家に帰る事にした。



 門の前まで来ると、突然背後から人の気配がする。余りに急に現れた為、一瞬反応が遅れてしまった。


 腰から下げている剣を引き抜き振り返ると、そこにはみすぼらしいローブを全身にまとった男がいた。



「……旦那、剣をおさめてくだせえ。害意はありやせん」


 酷くしわがれた声で話す男には、確かに敵意はなかった。


 そして、裾からそっと一枚の封筒を差し出してくる。


「私はこれを旦那に渡せと頼まれただけです、それ以外は知りません」


 そう言うと男は、また音もなく消えていく。正面で見ていたはずなのに、突然男の気配が希薄になる、まるで闇夜に溶けていくかのようだった。



「これは……」


 明らかに質の良い紙。蝋で封までしてある。ただの紙のはずなのにその存在が凄く重く感じる。


 暗がりの中、街灯の明かりを頼りに封を切る。





 そこには──



 ──見慣れたレッドブロンドの髪が一房挟まっていた。

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