第42話 旅路

 僕とクラリスは、以前ブラーゼまでの護衛の依頼を受けた時と同様にノルン迄の旅の準備をする。


 ブラーゼまでと違うのは、その距離と寒さだ。



 旅の準備の段階で集めた情報では、ノルンは王都から北に馬車で10日程かかる場所だ。街道は途中まで整備されているが、北に行くに連れて道は悪くなってくる。


 また、北に向かえば当然気温も下がり、ノルンの辺りでは雪も積もる。今の時期であれば雪が積もる事はないだろうが、それでも朝晩の冷え込みがきつく、野宿をするにはそれなりの準備が必要だ。




「クラリスはノルンまで行った事はあるの?」


「いや、そこまではないな。ノルンの手前にあるハイルという町がある。小さな町なんだが、そこには温泉があってね。そこまでは旅の途中で行った事があるよ。雪がちらつく中で入る露天風呂は興があってね、また行きたいなぁ……」


 途中からクラリスは恍惚の表情で遠い目をしてしまった。


 僕は温泉に入った事はないが、クラリスがこれだけ惚れ込んでしまう様な素晴らしい物なのだろう。機会があれば一度は入ってみたいな。



「それで、いつノルンには出発するの? 結構遠いから準備もしなくちゃいけないし、酒場のジルバさんにもまたしばらく依頼が受けられない事を伝えておかなくちゃならないよ」


「ん、ああ、そうだね。今の時期だから別に多少遅くなっても大丈夫だけど、でもなるべく早く行こうか。ここ2、3日で出発できるように準備をしよう。明日から二人で準備しようじゃないか」



 そうして僕達の出発が決まった。旅の食糧、服や布団、それに馬を借りるにしても馬車にするのかも決めなくては。


 明日からまた慌ただしくなるな。だけど、それに勝る期待と興奮を覚えて僕は布団に入った。




 ◆◆◆◆◆◆




 今回の旅の準備は案外すんなり済んだ。馬屋ではたまたま馬が余っていたらしく、悪路を走破する為に一番力の強い馬を借りる事が出来た。


 酒場でジルバに話をしたら、これまた意外とあっさり終わってしまった。闘技会が終わってから王都に残る者が多く、その人達が日銭を稼ぐために酒場で依頼をこなしているらしい。


 まあ仮に僕一人が抜けて酒場が廻らないのであれば、そもそものシステムに問題があるのだ。


 という事で王都での準備は全て整った。後は出発前に食糧を買い込むだけだ。


「今回はね、ハクト。あんまり食糧は買わなくていいんだ」


「どうして?」


「ノルンに行くまでの街道には大小含めて結構町や村があるんだ。ハクトが闘技会で準優勝したおかげで多少なりとも懐はあたたかい。出来るだけ宿に泊まって、どうしようもない時だけ野宿にしよう。だから食糧もその都度町や村で買う事にしよう」


 という事で今回のノルンまでの旅路は、思ったよりは楽なものになりそうだった。




 ◆◆◆◆◆◆



 王都から出発して既に1週間が経った。当初の目論見通り町や村によりながら来たので、体力的には楽な旅だったが、僕は精神的に疲れてしまった。


 その原因は御者台の隣に座っているクラリスだ。


 クラリスはこの旅に出てからとても上機嫌だ。王都にいた時も大体は機嫌が良かったが、ここに来て明らかにニコニコしている時間が増えた。


 多分、始めはとある村に泊まったところだったと思う。

 その村は、村に宿屋が一軒しかなく、二部屋取る事が出来なかった。仕方なくクラリスと同じ部屋に泊まったが、ベッドも一つしかなかった。

 僕は床で寝るって言ったのにクラリスが『旅の最中で体調を壊されては困る。身体をしっかりと休める為、お互いに暖を取る為に二人でベッドで寝るべきだ』と主張し、一つのベッドに二人で寝る事になった。


 女の人と初めて同じ布団で寝たから、僕は全然寝れなかった。クラリスは翌朝妙にスッキリした顔をしていて、そこから上機嫌だった。


 そんな事がこの一週間続き、僕は余り寝れていない。整備された平坦な街道を走っている時はうっかり寝てしまいそうだった。


 ただ、ここから三日は悪路が続く。うたた寝をしていたらすぐに脱輪してしまい、最悪馬と馬車を手放さなくてはならなくなる。気を引き締めていかないと。


 僕が御者台でうつらうつらしていると、クラリスがなんとなく話しかけてくれる。その声が鈴を鳴らした様に響き、逆に僕は心地よくなって遂には眠りこけてしまった。





 ……その日僕が目を覚ましたのは、もう陽が暮れかけた夕方だった。


「目が覚めたかい?」


 優しくクラリスが声を掛けてくる。


「えっ、ああ。僕は寝ちゃったんだ。ごめんね、クラリスだって疲れてるのに」


 そう言いながらクラリスの声が異様に近い事に気付く。そしてその声は僕の真上から聞こえてきた。


「……もしかして」


「ん。これで二回目かな。君に膝枕をするのは」


 ……やってしまった。僕は御者台の上で横になったあげく、クラリスに膝枕までしてもらっていた。


「そのままでいいよ。私は気にしていない。もう少し進んだら今日は野宿になる。夜の見張りは頼んだからね」


 悪戯にクラリスはそう告げる。僕は返す言葉もなく、もう暫くの間だけクラリスの温もりを感じさせて貰う事にした。





 そして、野宿の予定地に辿り着く。

 周りは岩肌剥き出しの山々しか無く、仕方なく僕等は大きな木の脇に簡易的なテントを張り野宿の準備をする事にした。

 せめて小さくても洞穴の様な物があれば助かったんだけどな。


 何度か旅をして覚えた事は、野宿の際には火を絶やさない事が鉄則だった。

 焚き火を起こす事は、自分達の体温を保つ事、調理と灯りに使える事、そして野生動物が近寄ってこない事に意味がある。


 ……ただ、人間は火を恐れない。僕は野宿の度に人間の恐ろしさを想像して身を震わせていた。



「そんなに心配しなくたって平気さ。ハクトは強い。獣も魔物も、野盗だって恐るるに足りないさ。それに私がいるじゃないか」


 僕の心を見透かした様にクラリスは言ってくる。クラリスの優しさは安心感と共に自身へのやるせなさを感じさせるものだった。


 クラリスはとても強い。僕なんかよりも、下手したらアレクだって敵わないかも知れない。

 でも、僕だって男に生まれて剣士を目指している身だ。せめて身近にいる女の子くらい守れる様になりたいさ。



 そんな事を考えていると、クラリスが手際良く料理を始める。これは僕も覚えている。以前旅をした時に作ってくれたスープだ。簡素になりがちな旅の食事に彩りを添えてくれた最高の料理だ。


 クラリスが作ってくれたスープを二人で食べ、明日の出発に備えて早めに床に着く。

 先程打ち合わせした通り今日の番は僕が行う。

 少し大きめに焚いた火の脇に丸太を置き、アレクからの借り物の剣を手に腰を掛ける。



 焚き火は不思議だ。その火の揺らめきを見ていると、自分の心の奥底に向き合っている気がする。故郷の村の事、キャロルやベンタスの事、自分自身のこれから。


 様々な思いが頭の中を駆け巡り、僕は一瞬その事に気付かなかった。




 ……いくつかの木が生えている先から、足音が聞こえる。そんなに多くはない。

 でも、これは消そうとして消せていない足音だ。そしてそれはゆっくりと近づいてくる。


 旅人か、動物か、それとも夜盗か。

 静かにクラリスの横まで行き、事態を告げる。たちまち目を覚ましたクラリスは、慌てる事なく自身のローブを身に纏った。


 ────二人で見つめる闇の先、そこには二対の目がこちらをじっと見返していた。

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