私は歩ーー盤上に駆ける駒たちの心情ーー

水無月右京

第1話 垂れ歩(たれふ)

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垂れ歩

たれふ

持ち駒の歩を敵陣から数えて2~4段目のいずれかに打つこと。あるいはそのように打った歩のこと。

次に「と金」を作ったり、金駒を打ち込んだり、打った歩を相手に取らせて陣形を崩したりすることが主な狙いとなる。特に、打った歩の後ろに飛車や香が控えている場合には、厳しい手となりやすい。

(引用:「将棋講座ドットコム」https://将棋講座.com/手筋/垂れ歩.html)

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戦況は中盤。


かつて、私は角将軍の前に布陣していた。

相手の歩を捕える功績を手にしたかと思った矢先に敵の飛車に捕えられた。

駒台に置かれた後は、それは丁寧にもてなされ、反逆するよう説得された。

確かにこっちの居心地も悪くない。


「俺が見ているから準備せよ!」


新しく上司になった飛車さんのひとつの激励で私は敵陣の前にやってきた。

駒台から持ち上げられ、かつての角将軍のいる、敵陣のひとつ手前に私は置かれたのだ。


私は歩。


敵陣に入り込めば、使いなさいと言われたエクスカリバーを腰につけている。


正直、かなり怖い。

かつては味方だった敵陣に捕らわれすぐに投入されたのだ。

味方だった彼らの私を見る目はとても冷たい。


そりゃそうだ。


周りを見る。


すぐに私を討てそうな相手は見当たらない。

ひとまずは助かった。


一息ついたところに敵にも動きがあったようだ。

私にはよく見えない。


しばらく停滞が続いたのち、私に一歩前進するよう指示があった。


(時が来た)


私は持ち上げられ、一歩進み、地面に背をつける。

と、同時に腰につけていたエクスカリバーを抜いた。


私は“と”になった。


たった一歩進むだけで金大佐のような力がみるみると溢れていく。

これが成り上がるというものか。


こいつはすげぇ。


周りを見る。


普通は敵を捕えることを第一とするため、接近することにためらいはないはずの敵武将たちが、おびえるようにしている。


私の手の届く範囲には、かつての上司、角将軍と金大佐、歩兵がいた。


「こ、こっちにくるんじゃねえ」

角将軍はとてもおびえている。

金大佐は将軍が近くにいるので少しは気が楽そうだ。

歩兵は我関せずとの具合に前方ににらみを利かせている。


私が“と”になったことで、敵陣はこれまで以上にピリピリとしだした。



長い静寂


おっと、敵に指令が渡ったようだ。


「じゃあ、後は金、お前に託す」

と角将軍は私の手の届かないところにいってしまった。


「え? ち、ちょっと待ってください」

金大佐は明らかに動揺している。

頼りにしていた角将軍が急に逃げ出したのだ。


「歩兵! 僕を守って!」

歩兵は我関せずと前方ににらみを利かせている。


さて、次の指令が入った。


敵、金を捕獲せよ。


私は金大佐のエリアに侵入する。


「や、やめろ! こないでくれ!」

金大佐が必死に逃げようとする。


我々は指令がない限り、その場を絶対に動いてはならない。


私の参加する戦では、なぜかその不文律があり、いくら捕えられようが絶対に逃げることはない。

私だってそうだ。


話は逸れた。

金大佐に近づいた。

「投降してください」

私はそう言った。


金大佐もなす術はないことを悟ったか。

「他の者を傷つけないでほしい」

と言ったきり、無言で駒台に運ばれていった。


さすが勝負の要になるお方だ。


さて、私の功績もきっとここまでだろう。

目の前には銀少佐がいた。


きっと、私の指令が届く前に彼女に捕らわれてしまうだろう。

「指令がはいったにゃ。そこの“と”、おとなしくしていれば、悪いようにはしないにゃ」


手にかかる相手が女の子でよかった。

まず、エクスカリバーを没収された。


そして、駒台へと連行され、裏切りを説得されるのだ。

ありがたいことに、裏切っても君主は悪い顔ひとつない。


これはこういうものだ、と何か悟っている様子である。

そんなことは歩の私の知ることではないが。


やれやれ、あと何回、指令がくだるのだろう。

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