【18 倉⇒郷 執筆のモチベーションの維持について】回答。
最近、ツイッターで科学の中で「車輪の再発明」という言葉を知りました。
意味は「既に誰かが発見したことを自分で思いついたと錯覚すること」なんだそうです。
それを踏まえてツイートは以下のように続きます。
「過去にいろいろな研究をした人や、データを集めた人がいる。それをまず、心を澄まして学ぶことから始めなければいけない。学ぶ前に自分の頭で考えようとするのは愚かです」
「自分の頭で考えることは重要だが、その前に先人が残した知恵に心を開いて受け入れ、煩悩を排除して世界を見る」
僕は評論の真似事をエッセイでしています。
評論には幾つかの役割がありますが、今回はヒカルの碁のラストみたいなことを言いたいと思います。
どうして碁を打つのか。
それは遠い過去と遠い未来を繋ぐ為だ、とヒカルの碁では語られていました。
評論にも似た役割があります。
例えばですが、1000年前のテクストが脈々と論じられてきていたとして、それについて僕らの世代が論じなくなってしまったら、僕らより先の世代は1000年前のテクストを読めなくなってしまいます。
前の世代の方々が論じてくれているものを引き受けて、次に繋ぐ努力は誰かがしないといけません。
その努力は必ずしも、僕がしないといけないことではありません。
つまり、Mr.Childrenの「ヒーロー」の歌詞みたい気分ですよ。
――例えば誰か一人の命と
引き換えに世界を救えるとして
僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ
ただ、執筆をする為には、先人が残した知恵から学ぶところから始めなければいけません(学ぶ前に自分の頭で考えようとすることは確かに愚かだと僕は思うので)。
問題はその先人が残した知恵を受け入れる為にも知恵は必要だ、という矛盾でした。
そのような矛盾の為に、先人の知恵を理解する為の試行錯誤が僕のエッセイの内容だった訳です。
では、小説はどういう思考錯誤があるかと言えば、その先人の知恵を自分の頭で考えて書いたものだ、ということになります。
そのような訳で、小説を書く時にモチベーションがどれだけ高くても、自分の頭で考えられるだけの知恵が溜まっていないと、まったく書けません。
逆にモチベーションが低くても、知恵が溜まっていれば小説は書けると思っています。
んー、いや、ちょっと格好つけたかも知れません。
モチベーションを維持しなければ死活問題!
ってなるのは、むしろ先人が残した知恵を学ぶ時かも知れません。
知恵は自分から、「俺、こういうヤツなんだぜ!」って言ってきてくれないので、自分から「君はこういうヤツなんだね」と迎えに行く必要があります。
そういう時、先人の知恵を学び得た未来の自分を想像します。
知恵を学んだ未来の自分像は、それこそMr.Children「ヒーロー」の歌詞で歌われるような人間だったら良いなと思います。
――つまづいたり 転んだりするようなら
そっと手を差し伸べるよ (Mr.Children「ヒーロー」より)
人生において、複雑に絡み合った感情や状況によって、人はつまづいたり、転んだりしてしまう時があります。
そういう時に、そっと差し伸べて、複雑な問題を抱えているなら、一緒に糸口を探すくらいには賢くなりたいですね。
頭がいい人はやっぱり優しい。
って一文が、ある小説の中にありました。
優しさを鍛える為には、賢くなる必要があります。
恋愛系のコラムで異性にモテる条件の中に必ず「優しさ」は入ってきます。
つまり、賢くなり、優しさを鍛えた先には異性にモテる将来があるみたいです。
少しだけわがままを言えば、異性だけでなく同性にも、人間全般にモテるような人間になりたいですね。
そちらの方が楽しそうなので。
そんなモチベーションで日々執筆しています。
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