【17 郷⇒倉 訓練としての読書や視聴】回答。
好きと嫌いだけで作品を選んでいると偏ります。それで思い出したのは、週刊少年誌でした。
小学生の頃、僕の家には毎週、新しいサンデーとマガジンが家に転がっていました。ジャンプはなかったけど、ジャンプ漫画はアニメで見ていたので話題に遅れることはなかったです。
さてさて、サンデーとマガジンです。永遠の二番手争いを演じる二誌。それらの漫画を毎週、僕は全部読んでいました。興味ない作品でも、必ず。誰かに命令されたわけではなく、自主的にでした。
いまにして思えば、訓練としての読書のはじまりは、ここかもしれない。
最近みたいに、無料でなにかを試せなかった頃だからこそ、金を出して買った週刊少年誌ならば、全てを血肉にしてやろうという思いがあったのでしょうね。いや、単なる貧乏性かな。もったいないおばけ。
簡単に、それこそ無料で音楽や作品に触れられるようになって、いまは素晴らしい時代になったと思います。ですが、それ故に読書や視聴に対する真摯さが僕の中で失われつつあるのかもしれない。
言ってしまえば、金を払って作品に触れることは、その時点で訓練としての読書や視聴に傾いているように思うのです。
そういえば、自分が書きたいことを表現するために、昔は遠回りをしていました。
取材と称して、車中泊して旅に出ていましたからね。
楽しかったけど、いま思えばパソコンの前で得られることと大差ないんやなぁって。もちろん、現地でないと知れないことがあるにはある。けど、あまりにもディープなネタを仕入れたら、ストレートには使えないことがあったりなかったり。
だから、いまはパソコンの前で本やネットで調べる能力を鍛えています。目当てのエロ関連を探すのも、この訓練の一環なのかもしれない。
ここまでは、話作りでの訓練の話ばかりしましたが、文章的な訓練もひとつ例にあげます。
その訓練とは、縮約。
長文を短くまとめる作業。むちゃくちゃオススメです。
僕の場合、新聞に載っているコラムを半分の分量にして、それでも意味がわかるように練習していました。そこから更に半分に、最初から四分の一ですね。そして、最終的には四十文字にする。
文章において、どれが必要でどれが不必要かがよくわかる作業です。そのうえで、僕は無駄な言葉を、あえて残しています。
学生時代なら、縮約だけをしていましたが、時間がかかる作業なので、これだけをやるのはもったいない気がするんですよね。
なので、最近は映画論を書く際に、その作品のあらすじを公式から引っ張ってきて、それを縮約してます。
ちなみに縮約は、どんな文章でも最終的に五文字であらわせるんじゃねぇのかと思っています。
今回の往復書簡の解答だって、縮約するとこうなります。
「色々あった」
以上。
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