第4話 ある男の業 Ⅳ

 ――オレのような人間になるな。


 イェフナの父であり、鋳物師の師匠でもある養父から言われ続けていた言葉を、男は思い出していた。


 そしてその後は決まって、イェフナを守ってくれと頭を下げられる。


 親の命令は絶対だ。なぜ決まって申し訳なさそうなのか、理解が出来なかった。


 だからそのたびに男は言う。自分がイェフナと養父を守るのは当然だと。


 心からの言葉。大切な家族を守るためならば、出来ることを何でもする覚悟があった。


 だから安心してほしいと、いつも力強く口にして誓う。


 その言葉を聞いた養父が喜んでくれる。そんなことが一度もなかったのは残念だった。


 ただ不快なモノを見るように、養父は男を見つめるだけだったのだ。


 養父には複雑な心情があったのだろう。だがどんな事情があったとしても、男の中には二人への愛情があった。


 ぼんやりとした意識の中。ゆっくりと目を開けた男は、自らを優しく見下ろす女と目が合う。


 見覚えがある顔。柱の上で妖しげな瞳を向けていた律業の系譜は、ずっと膝枕をしてくれていたらしい。


 大人びて落ち着いた雰囲気の彼女に介抱されていると、不思議な懐かしさを覚えてしまう。


「ふふっ、おはよ」

「どうして……」


 男の口から、自然とそんな疑問が漏れた。


「身体は大丈夫? 頑張ったら動けそう?」


 初めて会ったのに、甘く優しい口調で親切に男の心配をする女性。


 まるで子供に語りかけるような温かさに、男は思わず眠りに落ちそうになる。


「―――――――――――――――ッ!」


 だがそれは、轟いた咆哮によって遮られた。同時にぼんやりとした意識が覚醒し、これまでの状況を一気に思い出す。


「ゴウレムが気になる? アレはね、暴走してるの」


 男が質問を口にする前に、系譜の女が言った。


 頭を上げて周りに目を向ける。


 独特の装飾に彩られた薄暗い空間には、微かに虹色に発光した業光樹が生い茂り、蠢いている。


「地上から落ちた時は本当に心配したけど、もう大丈夫そうね」


 言われて、ここが地下だと気付いた。


 頭上には、丸い巨大な空洞が見える。男が地下に落ちたのも、恐らくはその穴からだろう。


「グランドマルクティアが、暴走してる……」


 古くから人々に敬愛され、守護神と崇められていた存在。


 それがフォルフヨーゼに危害を加えている事実を、すんなりと呑み込めない。


 意識を取り戻してから例の声は聞こえず、ゴウレムの状態を知ることも出来なかった。


「どこか痛い? 怪我なら、もう治したはずだけど」

「いえ……大丈夫です。助けてくれて、ありがとうございました。えと……」


「ふふっ、ユミル・エマミュールよ。律業の系譜、第5罪徒。蜜鑞みつろうのユミル」


 自らをユミルと名乗った系譜に介抱の感謝を告げ、続けて男は質問する。


「ユミルさん、広場にいた人達は……」

「ここに落ちた人間? もう助からないわね、興味は全然ないけど」


「――っ」


 この事態を止められなかったことに、男は強い罪悪感を覚える。


「ど、どうして辛そうなの……もしかして不安にさせちゃった? あっ、あのゴウレムなら、どうせ地上の罪徒が処理するわ。街の安全も、全部アイツらに任せておけばいいのよ」


 系譜に連なる者、ユミルは男の頬にそっと手を添えて、今の状況を簡単に説明し始める。


 市民を避難させている者、ゴウレムと交戦する者。


 マルクティアの守護を優先し、王宮を結界で防御するなど、律業の系譜達は各々で対応していると言う。


「イェフナ……イェフナ・レーヴンは!?」

「そんな女、別にどうでもいいんじゃない? ほら、こうしてお姉さんがいるんだから」


「教えてください!」


 ユミルは僅かに目を見開き、すぐに真顔に戻って男を見つめた。


「……もぉ、仕方ないわね。あの巫女モドキはぁ……ふふっ、ふふふふふふふふふっ♪」


 真剣な表情でいるのが耐えられなかったのだろう。ユミルは呆気なく破顔し、俯きながら笑い続けた。


「知らないんですね」


 男は立ち上がり、業光樹が茂る上空の風穴を見上げる。


「ほら、ユミルお姉さんが、安全な場所まで案内してあげるわ」


 ユミルは慈愛に満ちた笑みを浮かべ、手を差し出した。


「……ボクは、上に戻ります」

「――……え?」


 その差し伸べられた手を取らず、続けて男は言う。


「ユミルさんは先に避難してください。律業の系譜なら、一人でも安全な場所に逃げられますよね?」


 上から聞こえてくる轟音。重い地響きが繰り返されるたび、瓦礫と石材の欠片が落ちてくる。


「イェフナを助けに行かないと――」


 地上に戻ろうと足を踏み出した男。その腕を、ユミルにがっしりと掴まれた。


「……上に戻っても、出来できることなんてないのよ? ないから無意味。無意味に死んで消えるだけ」

「はい……悔しいけど、ほんとにその通りです。出来ることなんて、ないかもしれない」


 男はユミルの手を優しく振りほどく。


「けど大切な家族だから、放っておけません」

「どうして……手を離したら、お終い……二度と会えなくなるのに……なんで?」


「すみません、それでも戻ります」


「……そっか、そうなんだ……お姉さんの言うこと、聞けないんだね。こんなに心配して、こんなに想ってあげてるのに……それでも離れようとするなら――」


 言葉を遮るように、二人の間に出現した業欣の大樹。僅かに白い輝きを放つ業光樹の壁が、男とユミルを引き放した。


「どこにも行かせないよ」


 業光樹の僅かな隙間から、ユミルの片目だけが真っ直ぐに男を見つめている。


「……今度、助けてもらったお礼をします」


 一方的な約束を交わし、男はユミルの元から走り去る。


 地上に戻るため、老朽化した無機質な階段を駆け昇っていった。

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