ゼンカの業

施しの凡人

第0章

ある女の業

 0月00日。


 夕闇が広がる空間。


 目の前に続く長い階段を見据え、華やかな黒の衣装に身を包んだ女が拳を握りしめる。

 

 既に傷だらけでボロボロの身体。そんな女を追いこむよう、無機質な材質の足場から、何十体もの黒い人影が湧き上がって来た。


 立ちはだかる影の刺客達。満身創痍の女は最後の気力を振り絞って戦う覚悟を決める。


「これが、私の業……」


 右手に掴む巨大な鉄の剣を前方にかざすと、虹色の光が周囲に広がっていく。


 夕闇の空間に複数建造されていた彫刻が、形を崩して女の全身を包み込んでいった。鉄の剣を媒介に集束した虹色の光が、女を守る鎧として形を変える。


「必ず……――辿り着いてみせる――」


 女が目指す場所。そこに辿り着くためには、まず階段を登りきらなければならない。ラクエンに座するモノを破壊するため、女は神聖な空間に足を踏み入れたのだ。


 深い業を背負った女は目的を果たすべく、前へ踏み出して影の兵士達を蹴散らしていく。


「――邪魔を、しないでください――」


 長い階段を駆けながら、ひたすら影の兵士と戦闘を繰り広げる侵入者。


 弾丸や剣で幾度も傷つけられるが、鎧の損傷は虹色の硝煙と共に即座に修復されていく。女は拳を振るい、敵を薙ぎ払い続けた。


 それでも兵士の数は減らず、失った戦力を補充するかのように地面から湧きあがってくる。


 纏う鎧の修復も、完全には追いつかなくなってきていた。無数の影を屠りながら、女は必死に階段を登っていく。


 そうして時間の感覚を失うほど戦い抜き、頂上に辿り着く頃には鎧も破壊されて形を失っていた。


 女は剣を杖代わりに、頭上を覆う巨大な門を見上げる。荘厳な装飾が施された門は、思わず息を呑むほどの威圧感を放っていた。


「……間に、合っ――」


 突如、背筋に奔る悪寒。


 咄嗟に剣を上空に掲げると、重い衝撃が腕から全身に広がった。


「…………邪魔」

「――っ!?」


 何の変哲もない細身の刀と鉄の剣が拮抗し合う。


 これまでの兵士達と違い、全身を隠すような影は半分以上が剥がれている。精悍な顔つきの男は、ボロボロの女を値踏みするような視線を向けた。


「…………愚かな」

「愚かでも、構わないです!」


 人間離れした膂力で刀を振るわれ、女の身体が後方へ退く。同時に、頭上から鈍い音が空間内に響いた。


 空を覆うように存在する門。その扉が微かに開き、そこから緋色の光が亀裂となって二人に注がれる。


「このままでは……」


 門はゆっくりと回転を始めた。それは残された時間が僅かしかないと、女に知らせる合図でもある。


 だが焦っている暇はない。正確には焦りを感じている余裕がない。隙を与えてしまったら、鋭い斬撃の連鎖で殺されてしまうだろう。


 精密で苛烈な猛攻。同じ時代から選ばれ、ここまで女を追いつめられる存在は一人しかいない。


 満身創痍の女は、この人間の正体に思い当たる。


 99人殺しの救世主――そう呼ばれていた者。


 かつて世界に僅かな希望が残されていた頃。とある計画によって選ばれた100人の男女がいた。


 皆それぞれの方法で世界を救うために力を尽くす。それのみが存在理由となるよう調整された人間達だった。


 その中で覚醒した一人の異端児。暴走し、計画に選ばれた自分以外の人間を皆殺しにした。


 自らをメシアと称して非道を行った者こそ、目の前の人間に違いない。


「私の対が、貴方とは――ッ」


 メシアの鋭く重い斬撃が容赦なく襲いかかる。一撃一撃を全力で防ぎ、はじき返す瞬間を狙い女も反撃していく。


 一つの油断で敗北する一進一退の攻防。


 その戦闘中にも回転する扉の隙間から、緋色の光が幾度も身体に浴びせられていった。


 その度に強烈な不快感に襲われ、身体の動きが鈍くなってしまう。


「アレを破壊することが、私の使命です!」

「…………手遅れだ」


「――諦めません」


 門の回転が速まるにつれ、徐々に開き始める扉。緋色の亀裂は大きくなり、光は空間全体を包むように広がっていった。


「貴方を倒せばまだ間に合う……だから!」


 再び剣に集束していく虹の光。メシアに勝って目的を果たすために、女は歪な鎧を纏う。


「――私の、全てを込めます――」


 鎧によりメシアの背丈を上回った。頭上から振り下ろした拳は最速で渾身の一発。


「…………15人」


 だが、女の一撃が届くことはなかった。


「――あぅっ、ぐッ……」


 メシアはいとも容易く拳の速度を上回り、虹の光で縫われた鎧を粉々に破壊してみせる。


「オマエは16番目だった…………」


 そう言って、メシアは刀を納める。既に女には戦う力が残っていないことを、己が与えた傷を見て理解していた。


 女は地面に倒れ、光を失っていく瞳で空を見上げる。扉は大きく開き、夕闇の空間は濃い緋色に変化していった。


 世界の変化を、もう女が止めることは出来ない。しかし、それでも命が尽きるまで諦める訳にはいかなかった。


 どんなに醜く身勝手な理由でも、女にとってはそれが全てだ。


 女は微かに残っていた力を剣に注ぎ、自らの胸に深々と突き刺す。


「がふっ――」


 メシアはその行動の意味を、瞬時には理解出来なかった。だが変質していく女の肉体を確認した直後、すぐさま剣を引き抜く。


「つまらない…………」


 空中に放り投げられた鉄の剣は溶けるように消えていった。


 一人の人間と、身体が泥のように液化して肥大し続ける怪物が対峙する。  


 理性を失い、巨大な泥人形と化した女がメシアへと襲いかかる。残された少ない時間。人間性を犠牲にしてまで全てを賭けた女の末路。


 その泥人形を、救世主は十字の軌跡を描いて斬り伏せた。何の感慨もなく、ただ作業をこなす様に、人類を憂いた咎人を排除したのだった。

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