第6話 ダエワの王政復古⑤

 史書に曰く。黄金フラース宮は、ダエワの都の南東に、広壮な敷地を誇る、と。

 その外壁に刻まれたるは六連星むつつらぼし

 すなわち、ダエワの一大勢力である国内派、ないし名門賢者たるマッジャール一門の本拠地であった。

 星観の塔の高さは、他の賢者の館のそれと大差はない。しかし、その他の規模は、桁外れである。

 また、例えばエルク・バウトの館では、最初の門をくぐればすぐに屋内庭園があったが、黄金フラース宮の場合は、まず大規模な車止めがある。

 来客は、そこに馬なり牛なりロバなりに引かせた車を止め、第二の門をくぐり、屋内庭園を囲む回廊に入るのだ。

 もちろん、それぞれの門には、守備の兵が居る。

「それにしても、賢者様。魔法で車は動かせないのかよ?」

 ロバにひかれて、のろのろと時間をかけてやってきた車から降りながら、アクル・トウンは言った。

 歩いた方が楽だったかよ、とか思っている。

 ダエワの都が広いとはいえ、エルク・バウトの館を昼過ぎに出たのが、すでに夕暮が近い。

「…………」

「……やれやれ」

 マルファ、そしてエルク・バウトが続いて降りてきた。

 どうでも良さそうな声で、アクル・トウンに返答するエルク・バウト。

「できますけどね、偉くなるのは楽をしたいからなのに、そんなことしたら疲れるじゃないですか」

 一行は、御者をつとめたシル・ウスルトを車の番に残し、すでに結構な人数が、集まり、騒ぎ、あるいは飲み食いを始めている宴の場に向かう。

「ああ、演目を中庭でやるそうなので、そちらには入らないように」

「はいよ」

「…………」

 黄金フラース宮の中庭は広大だ。それをとりかこむ回廊も、宴会の参加者が、全員入ってあまるほど巨大である。黄金の名にふさわしく、ところどころ金メッキか、あるいは黄金で作られたかの動物像などがあり、黄金好きのグチ人としては感興を覚える。

 あちこちにテーブルが置かれ、酒や食事が用意され、フードを被ったダエワの賢者たちとその従者たちが、そこかしこで輪を作っていた。

 黄金フラース宮に仕える召使いたちが、忙しげに動いている。

「……ああ、そこな……問いますが、王様はどちらです?」

 通りがかった召使いを捕まえ、尋ねるエルク・バウト。

「あちらの緞帳の中にいらっしゃいます」

「ふむ。では、ガヌース・マッジャール様は?」

「さきほどは、星観の塔の近くで、シタン・マッジャール様たちと談笑されておられました」

「ありがとう」

 賢者は、わずかに考えて後、自身の護衛に向けて言う。

「まずは、王様の方に挨拶します」

「おう。で、ガヌース・マッジャールと言うのはどなただよ?」

「国内派が、次なる大賢人に推している方ですよ」

「なるほど」

 つまるところ、故フラース・マッジャールに続く、国内派の首領と言う事だ。

 エルク・バウトは示された緞帳……羽の生えた星の刺繍がほどこされていた……へと向かう。

 あとに続こうとして……

「おいおい」

 ……アクル・トウンは気がついた。

「…………」

 先程から、妙に静かだと思ったら、マルファが剣呑な目つきで床、ないし地面を睨みつけていた。

 ――なにかあるのかよ?

 彼女が見ているところを見るが、アクル・トウンの目には妙な点は見当たらない。

 故郷では、貴人の内に入る彼は、クルガン人に竜祭司と言う役職がある、と言う事は知っている。だが、真物の竜祭司が、崇める竜を感知できる事は認識しておらず、マルファがそうであると言う事も知らない。

 まして、マルファの崇める竜が捕らわれ、黄金フラース宮の地下に在ること、今の今、彼女がその存在を感知した事など想像の埒外である。

 ただ思うだけである。

 ――まあ、なにかあるのだろうがよ、先走った事はしてくれるなよ……

「……マルファの姐さんよ!」

 声をかけて、正気にもどす。

「……むう。なにか?」

「なにか、じゃないのだよ。なにを呆としているのだ?」

「細かい事は聞くな」

「細かくないのだよ!」

 アクル・トウンはやや強めに言った

雇主やといぬしが行ってしまうのだよ。おれらも追わねばならん」

「おおう!」

 やや小走りで追う二人。

 走りながら、マルファへとささやく。

「何があるか聞く気はないよ。だが伝えておくよ。ことと次第によっては手助けする。だが、この宴が終わるまでは待つのだよ」

「……ううむ。感謝する」

 回答に、アクル・トウンはうなずいた。昨日、彼女を追い出そうとした身とは思えぬ、うってかわった対応だが、これも彼なりのリスク計算なのだ。

 一方、先行したエルク・バウトは、緞帳脇の貴人に声をかけていた。右の手のひらを左肩口にあてつつ一礼している。

「お久しぶりにございます。ダーツ・ハトウ様」

「あはは。エルク・バウト殿か? 久方ぶりだね」

 ダーツ・ハトウと呼ばれた貴人は、羽の生えた星が刺繍されたローブを羽織っていた。フードこそないが、頭巾をかぶり、面紗でもって口元を覆っている。アクル・トウンの見たところ、男か女か判別がつかない。

「サルル・ハトウ王陛下にお目通りを賜りたいのです。お取次ぎ願えますでしょうか?」

「やれやれ。面倒な事だね。ちょっとまっていてくれたまえ」

 わずかに数歩移動して、ダーツ・ハトウは緞帳内の人物に声をかけた。

「兄上様。賢人殿がお目にかかりたいとの由……あはは。分かりました」

 ひょこり顔をのぞかせる。

「どうぞ」

「光栄にて」

 うやうやしく、こうべを垂れ、そのまま二十八賢人の一人は緞帳の正面に回る。

 そして、中の人物に相対する。

 ――おいおいおい。

 アクル・トウンは呆れかえった。

 昨日、ダエワ王に言及した時は、ずいぶんと軽く扱っていたのに、いざ、目の前にするとなんともへりくだっているからだ。

「恐悦至極に存じます。サルル・ハトウ王陛下のご機嫌はいかがにあらせられましょうか?」

「いいわけあるか」

 そのへりくだりに返ってきたのは、鬱屈というか、ひねくれと言うかを感じさせる声だった。

「古は、賢者といえども王に面する時は跪拝したと言うのに、貴様の如き若輩がこれだ。しかも由とされているのだから、予の鬱屈が晴れようはずが無い」

「おそれいります」

「などと言っても始まらんがな。おい、エルク・バウト。なにかおもしろきことはないか?」

「左様でございますなあ……先日、珍しき人材を二名見つけました。王陛下に倣いまして、手元に置くことにした次第です」

「奇貨おくべし、か。おもしろい。その者らをこれに」

「ははあ」

 エルク・バウトは、ちらりとアクル・トウンらの方を見た。軽く、うなずいて見せる。

 アクル・トウンとマルファはちらりと視線を交わした。

 そして、エルク・バウトの後方左右に立つ。

 緞帳内には、黒檀作りの玉座が置かれていた。輝石が、これを飾っている。

 玉座の主の手の届くところに、きわめて長柄の大鎌が置かれているのが、異様ではあった。

 だが、玉座の主は、それに見合った異相の人物だった。

 まず頭を剃りあげていた。貫頭衣は、腹から下のみで、腕も胸も露わである。袖なしの開襟胴着を羽織っているのみだ。

 ただし、腕も胸も首も、筋肉で盛り上がり、およそ貧相には程遠い。

 ダエワ王サルル・ハトウ。

 同名の先祖と区別すべく、サルル・ハトウ十一世と呼ばれる。

 その背後には、これまたいずれ劣らぬ異相の人物が三名控えていた。

 一人は、赤肌のダエワ人だ。王に倣うかのような剃った頭部に、鍛え上げた巨躯を誇る。アクル・トウンに伍するのではないだろうか? その手に、穂先から石突に至るまで、青銅製らしき槍を持つ。

 一人は、ダエワで他に見覚えのない、一面黒地のローブを着た人物だ。肌の色も褐色で、ダエワ人ではない。指先や、体形から察するに女であるようだ。

 最後の一人は、貫頭衣の下の肌、すべてを布で巻いていた。肌の一つも露出が無い。

 サルル・ハトウは、まずマルファに視線をやり、上から下まで見て言った。

「ふん。良い目だ。生きる以上はそうありたいものよ」

 かく言う王の眼は、ぐつぐつと煮えたぎる鍋を思わせる、よどんだ黒である。

 そして、その眼が、アクル・トウンに向く。

「ほう。でかいな」

 一言評し、背後のダエワ人の巨漢に言う。

「サドゥー・ガッムアル。卿に並ぶのではないか?」

「…………」

 巨漢は、礼儀正しく口をとざしたままだ。

 王は、アクル・トウンに視線を向け直す。

「卿の名は?」

「グチの人。テペ氏族はトウン家のアクルと申す。王陛下」

「強そうだな」

「自信はあり申す」

 多少はよそ行きのしゃべり方をする。

 王は笑った。

「良かろう。では、予に仕えよ。予の不死隊に並ぶが良い」

 さらりと言った。

 奇貨おくべし。この王の信条との由。まったくの真実であることを、アクル・トウンは察した。

「……いやはや……」

 アクル・トウンの位置からは見えないが、エルク・バウトが苦笑を浮かべたのが分かった。

 何故なら、彼も同じものを浮かべていただろうから。

「ありがたき仰せですよ。王陛下」

 アクル・トウンは言う。

「さりながら、昨日、賢者様にお仕えすると、約定を交わしたばかりなのですよ。そして今日、主を変える尻軽ぶりでは、王陛下も安心は出来ますまいよ」

「断ると?」

「申し訳ございませぬがよ」

「ふん」

 サルル・ハトウは、一気に興味を失くした様子だった。

 片手を振る。

「よかろう。もう行け」

「はは! 宸襟を騒がせましたこと、恐懼のきわみです」

 ごくうやうやしく一礼し、エルク・バウトは王前を去った。

 無論、アクル・トウンとマルファも従っている。

 エルク・バウトの歩む先には、黄金フラース宮の星観の塔がある。

 先に、所在を尋ねていたガヌース・マッジャール……ダエワ国内派の新首領のところにいくつもりらしい。

「なるほど。あれがダエワの王様かよ」

 アクル・トウンのつぶやきに、エルク・バウトは肩をすくめた。

「奇矯な方で困っております」

「時に、不死隊とはなんだよ?」

「あの方が、奇貨おくべしでダエワの内外から集めた護衛ですね」

「不死なのかよ?」

「もしそうなら、今は亡きフラース・マッジャール様は、よろこび勇んで王党派に旗色を変えていたでしょう」

「王党派?」

 また、知らない単語が出たぞ、とか思う。

 賢者は、当然のように説明する。

「はい。ダエワの統治機関たる、賢人会議に席を置く二十八賢人は、三つの派閥に分かれているのですよ。一つは、地主を支持基盤とする国内派。一つは、商売で財を成した交易派。最後が、あの王様を支持する王党派」

「ふむ」

「頭数で言うと、フラース・マッジャール様が亡き今は、国内派が十二人。貿易派が九人。王党派が六人です。で、賢人会議の議決は、結局は多数決なのですね」

「なるほど。理解したよ」

 あきらかに、王様を軽んじていたこの賢者が、眼前ではへりくだっていたわけである。

 エルク・バウトはうなずいた。

「そう言う事です。この宴も、言ってみれば王党派を取り込むため、ですね」

「面倒な事だよ」

「こんなモノではすみません」

 アクル・トウンの慨嘆に、首を振って見せるエルク・バウト。

 ――そう言えば、すぐにも国内派を離脱するかもしれません、とか言ってたのだよ。

 巨漢は、頭痛を感じていた。

 やがて、星観の塔の足元に来ていた。

 複数のローブ姿が談笑している。

「ガヌース・マッジャール様。エルク・バウトが参りました。ごきげん麗しくありますでしょうか?」

「ああ、そうか」

 やや小太りの、恰幅の良い中年が、こちらを見た。あごに髭をたくわえている。

 ガヌース・マッジャール。ダエワ国内派の新首領は、しかし自派の賢人にあまり興味がなさそうだ。すぐに、談笑相手に向き直る。

 談笑相手に至っては、エルク・バウトに見向きもしない。

 とは言え、それらはマシなのかもしれない。

へつらいに来たか? エルク・バウト」

へつらいに来たか! エルク・バウト」

 露骨に敵意を向ける、賢者が二人いる。

 小柄だ。男女の双子であるらしい。銀の巻き気味の髪を持つ、艶美な目鼻立ちの美少女と美少年の組み合わせである。

 その眼もまた似通っている。アクル・トウンら異郷の者はおろか、仮にも賢者であるはずの、エルク・バウトすら見下している。

 見れば、概ねの賢者たちは、従者に人を連れている。多くはないが、エルク・バウトのように異郷の者を従える者も居る。

 だが、この双子が従えた従者は、石造りと思しき一つ目の、泥を乾かして作った魔法人形どもである。

「これはこれは、シタン・マッジャール殿。シラン・マッジャール殿」

 エルク・バウトは、彼と彼女にも慇懃に一礼した。

 気分が良くは無いのだろうが、ここは争うべき場所ではない、と心得ているようだ。

「忘れたのか? 罪咎を。大賢人様が亡くなられた理由を」

「忘れたのか! 罪咎を。大賢人様が亡くなられた理由を」

 とは言え、そんな態度で行いを改める双子ではなさそうである。あくまで、居丈高にエルク・バウトを責める。

 あくまで、低姿勢にエルク・バウトはかわす。

「覚えております。肝に銘じていますよ。シラン・マッジャール殿。シタン・マッジャール殿」

 ぴりぴりとした空気である。

 ――ん?

 さらに同種の剣呑さを、脇に感じてアクル・トウンはかたわらを見た。

 ――おいおいおい。

 見れば、マルファが、またしても斬りかかりそうな目つきになり、双子の賢者を見ていたのである。

 明らかに、見知った相手であるらしい。同時に、心底から敵視している事も分かる。


「その敵意は使い道があるかもしれないので」


 昨夜のエルク・バウトの言を思い出す。そして、その見立ての正しさを認識する。なにしろ、エルク・バウトは、あきらかに双子と険悪である。

 ――やれやれ、だよ。

 アクル・トウンは、ゴタゴタを嫌う。

 もっと正確に言うならば、味方に刺される事と、味方に刺されるかもと、ビクビクしながら過ごす事が嫌いなのである。

 だがしかし、この地ではそれがむしろ日常である、らしい。

 ――伏魔殿かよ。

 彼は思った。一分の隙もない正解であることを、アクル・トウンは、この後も何度も確認することになる。

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