第6話 親子で振りまわされてる

 近頃、お母さんの元気があまりない。

 原因は遊香ゆかだ。

 キスされたあの日を境に、遊香はうちに寄りつかなくなった。

 通話アプリでやり取りはしているみたいだけど、遊香のことだから、どうせ短い文面の返事やスタンプの受け答えだけで済ませてるはずだ。わたしは慣れているから全然平気でも、お母さん的には、不安な気持ちでいっぱいだと思う。


「あのね、アイちゃん……」


 赤紫色が映えるビーツのポテサラをひとくち食べ、夕飯のメインディッシュ・イワシの蒲焼きに箸を向けた途端、名前を呼ばれる。


「なーに?」

「ゆかりん、学校で元気してるかな?」

「え……」


 伏し目がちで片手に持った茶碗を見つめながら、力無くつぶやくお母さん。遊香のことをたずねてくるなんて初めてだし、名前じゃなくて〝ゆかりん〟て呼んでるし。やっぱり、相当思いつめているんだ……。


「あー、えーっとね……うん……いつもどおりの仏頂面かな」


 本当のところは、あまり知らなかった。

 教室でも故意にさけてるし、お昼だって別々だから、どこで誰と一緒に食べているのかもわからない。

 ただ、あのときの先輩とは、もう会ってないはずだ。あの日、最後にそう約束した。


「うふっ♡ ゆかりんて、本当に感情をおもてにあらわさない子よね」


 やっと楽しそうに笑ってくれたけど、話題のタネは遊香だ。複雑な気持ちのまま、わたしも笑顔をつくって話を合わせる。


「そうそう! アイツ、最初からああでさぁー、お腹のお肉を摘まんでも不感症で無反応なのよねー」


 ──しまった!

 お母さんが笑顔のまま、ほんの一瞬だけ固まったように見えたのは、多分気のせいじゃない。

 変な誤解を招く言い方をしちゃったけれど、そんな意味じゃないって弁明するのも余計に変だし……どうしよう、この空気。


「そう……ね。ゆかりん、感じてくれない・・・・・・・ものね。お母さんが下手ヘタ過ぎるのかしら……」


 ちょっとお母さま、お待ちになって! 話題をソッチにもっていくのですか? 感じてくれないって生々しい表現、娘としてはキツくて辛いです。

 ききたくも知りたくもなかった、元心友しんゆうとの猥談を完全にスルーして鰯の蒲焼きを箸で裂く。下になっている皮の一部が甘辛いタレの影響で食器に張りつき、上手うまく取れずに残ってしまった。



     *



 翌日の昼休み、遊香を拉致る。

 お互いにお弁当だったから、ソッコーで屋上へ向かう。

 白黒ハッキリさせてやる!

 その気持ちだけで動いていた。



 昔よく使っていた場所には、下級生の女子ふたりが仲良くすわっていた。もしもジンクスがあるなら、この子たちの未来に平穏など約束されないだろう。

 遊香に、バッグから日焼け止めを持ってくるのを忘れたっていわれて、すみっこのほうにある貴重な日陰に並んですわる。


「懐かしいね、こーゆーの」


 自然とそんな言葉が出た。


「懐かしさを感じるほど古い記憶じゃないよ。アイはもう、忘れてた?」

「……いや、そうじゃないけどさ」

「わたしね、ずっと屋上で食べてたんだ。ひとりでお弁当」


 このとき、厳かにランチクロスをほどいてお弁当箱を開ける遊香の姿が、なんだか不思議ともの悲しく見えてきて……不覚にも、胸がどうしようもなく締めつけられてしまい、つい「ごめんね」って謝ってしまった。

 わたしが悪いワケじゃないのに、なんで謝らなきゃいけないんだろ。

 ──本当に?

 そうよ、ハッキリさせない遊香が悪い。お母さんを好きなら、愛しているなら、ほかの女の誘いを断れよ!

 ──でも、本当にすべて遊香だけが悪いのかな?


 遊香はいった。


『自分でもわかんない』


 遊香は苦しんでいた。


『ごめんね、アイ。本当に自分でもわからないから、なにがしたいのか、きかれても答えられなくて……大切なことなのに、本当にごめん……ごめんなさい』


 わたしたち……心友じゃん。

 友だちがひとりで苦しみ悩んで、自暴自棄になっているのに、それに気づいたのに、無視して責めてばかりで……そんなの友だちじゃないし、ましてや心友なのにさ……なにやってんだろ、わたし。こっちのほうが最低サイテーだ。


「ねえ、あのさ……」


 以前となにも変わらず、遊香がわたしのお弁当から厚焼き卵を一切れ抜きとって頬張る。もしゃもしゃと咀嚼する、小動物のようなこの愛らしさ。本当になにも変わってないや。


「……約束してよ。せめてお母さんを傷つけないって。わたしね、お母さんを守りたいんだ。うちのお母さんてさ、すごく偉いんだよ。残業もするし、家事も毎日してくれる。休みの日だって、自分よりもわたしを優先に考えてくれててさ……マジで心から尊敬できるし、わたしもお母さんみたく強く生きたい。でもね、だけどね、本当はお母さん……弱いヒトなんだよ。遊香に裏切られたら…………そのときはお母さん、心が壊れちゃうよ……」


 涙があふれて止まらない。

 泣くつもりなんて、なかった。

 いつもの屋上で説教をするつもりだった。

 それなのに、どうしてわたしが泣いてるんだろう?


「この厚焼き卵、大好き」


 ふたつめに箸を伸ばそうとする遊香が、許可を求めて上目遣いを仕掛けてくる。わたしはわたしで泣いているから、勝手に好きにしてと、見て見ぬ素振りをした。


「だからわたし、初めて食べたときから、アイのお母さんに惹かれていたのかも」

「なによ、それ……」


 厚焼き卵を堪能しつつ、取り出したハンカチで涙を拭いてくれる。そんな優しさもあるのが、遊香だ。


「わたしもね、ひとりでずっと考えてたよ。屋上でお弁当を食べるたび、厚焼き卵がきょうも無いなって」


 意味がわからないけど、これも遊香らしさだった。

 彼女なりに本心を話してくれているなって、心友だからこそ、そう思えた。


「だからね…………ふたりとも、わたしが幸せにしてみせるから、もう泣かないで」


 なんだよ、そのセリフ。

 全然かっこよくないのに、なぜか涙がまた流れてくる。

 けれども、そんな感動も束の間で、残りの厚焼き卵も遊香に全部食べられてしまった。


「ご無沙汰していた分、みんなもらったから」


 逆光でも映える、密やかにつくられた笑顔。

 笑う遊香を見たのは、これが初めてだったかもしれない。


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