第5話 気がつけばお友だちになってる
中学生時代の記憶に、楽しい思い出なんてなにもない。
両親の離婚で、わたしのすべてが一変した。生活環境も交友関係も、いままでの平和な日常が幻のように消え失せてしまった。
転校後は気持ちが塞いでいたせいか、友だちは一人もできなかったし、いじめの標的にもなった。もちろん、やられっぱなしじゃなくて反撃もしたけど、卒業するまで誰も、先生すらも助けてはくれなかった。
だから、高校では小学生の頃みたく陽キャで振る舞おうって決めていた。
でも、実際やってみると空回りばかりで、全然イケてない自分となにも変えられなかった現実に失望してしまい、一ヶ月もしないうちに高校が嫌いになっていた。
そんな感じだから、部活動も結局スルー。これからの三年間、また楽しくない学校生活が続くのかなって、あきらめかけていたとき、わたしたちは出会った。
ある日の放課後、まっすぐ帰らずにアプリでマンガを読みながら屋上へ向かっていると、スマホをいじる女子生徒が階段の途中ですわっていた。
顔に見覚えがあったけど、名前までは知らない。おなじ一年生の誰か──それだけの存在。
「パンツ見えてるよぉー」
すれ違いざま、歩きスマホで忠告したわたしに、
「うん、知ってる」その子は小さな声で答えた。
「知ってて見せてるの? いまの時間ひとけが少ないから、マジでヤバイよ?」
屋上運動場で最終下校までねばる生徒の数は、けっこう多い。わたしよりも先に、特に男子が二三人くらいならフツーにもういるだろう。
「うん。さっき、男子たちに声かけられた」
見向きもせず、淡々とした口調の小さな声で、ふたたび答えた彼女。肩ごしに見える画面のなかでは、パズルゲームの連鎖が次々に決められていた。
「……なんていってたの、そいつら?」
「エロいね、勃起しちゃった、ゴム持ってるからオレたちとどう」
「ダメじゃん!」
開け放たれたままの屋上出入口を見上げる。きょうは変態野郎が何人か来ているみたいだから、行くのはやめておこう。
でも、この子を放ってはおけない。
「ねえ、ここでゲームするだけならさ、どっかほかへ行こうよ。わたしもそのゲームやってるから、対戦したいし」
口実は適当に決めた。
誘った本当の理由は、彼女を守りたかったから。だって、その場の雰囲気に流されてエッチしちゃいそうに思えたんだもん。
このときのわたしは、いつもの自分らしくない正義感に促されて行動していた。
「ほら、早く」
階段を降りながら差し出した手のひらに、スッと彼女の手のぬくもりが添えられる。
そのまま一階まで降りてきたけど、正直、ゲームをする気分じゃなかったし、目的地も全然思いつかない状態で……結局、下駄箱まで手を繋いだ。
「ほかって、どこ?」
陽を照り返すローファーを履きながら、彼女がきいてくる。
「うん……どうしようか?」
わたしも履きながら正直に答えた。
「決めてないんだ?」
「うん。ごめんね」
グラウンドから運動部の号令がきこえる。ここでサヨナラしても大丈夫そうだし、わたしの態度も自然と一気に冷たくなっていた。
なにか適当に別れの言葉を考えていると、彼女が右手の甲をわたしの腰の位置にまで上げてみせる。
「……なに?」
「ん」
「えっ? だから、なによ?」
「手」
「て?」
「歩くから」
「…………あぁ」
レッドカーペットでエスコートする紳士のように、彼女の手を取る。
なんか絶対におかしいけど、これはこれで、別にかまわないからいいんだけど……それでもなんか……うん、まあいいや。
特に行くあてもないまま、手を引いて歩く。
校門に着くまでのあいだ何人かの生徒に奇異な目で見られたけど、わたしたちは恥ずかしくもないし、全然気にしない。
だけど、困った。
これからこの御嬢様をどうしてくれようか。
「あっ……ねえ、名前は? なんて呼んだらいい? わたしはアイでいいよ」
「
ゆかりんて……自分からいうのかよ。
そういえば遊香って、ずっと表情が無い。少し様子もおかしいし、ヤバイ性格の子として認定したいところだけど、人間離れしたなにか不思議な魅力を感じてしまう。
「えーっと、遊香の帰り道って、どっち?」
「電車でかよってる」
「じゃあ、途中でお別れだね」
「アイは地元なの?」
「そ。中学から住んでる。遊香はどこら辺に住んでるの?」
「ヒント無しで当ててみて」
「いや、当たんないっしょ、フツー」
口数が少ないわりには、いろいろと話が途切れないまま、駅へと続く交差点でわたしたちは別れた。
「また
次の日もその次の日も、お互いに「また明日」の別れの挨拶を交差点で交わして帰っていた。
気がつけばなんか、ふたりは友だちの関係になっていた。
そんなある日の昼休み、屋上でお弁当を食べ終えたら、隣で横ずわりをしている遊香が自分の太腿をポンポンと叩いて「アイ、膝枕してあげる」と、謎のご褒美をわたしにくれた。
お腹も膨れたから眠たかったし、遠慮なくプリーツスカート製の枕カバーに包まれた乙女の柔肌に頭をあずけて横になる。反対側ですわっていたカップルが、ちょうどイチャつき始めたから、そのままぐるりと顔を空に向けた。
「どう?」
「小学生のとき、お母さんに耳掃除してもらって以来だから懐かしいかな。でもさぁ、遊香の足超細いから、もう少しデブれー」
枕の硬さの苦情と一緒に、目の前にあるお腹を人差し指で突っついてやる。おのれ……こっちも超細いじゃねえか。
「毎日おごってくれたら、きっとそうなるよ。ほかに感想は?」
わたしを
このまま見つめられたら──恋人だったらキスしちゃいそうなくらいの短い距離に、なぜか心臓がドキドキしてくる。
「うん……なんか……青空が綺麗……」
「それだけ?」
「……おまえも負けないくらい綺麗だよ」
「ほかには?」
「どんだけ欲しがるのよ…………とってもかわいいよ、遊香。一生キミを離さないぞ」
今度は人差し指だけじゃなくって、お腹をしっかり摘まんでやった。それでも遊香は、ポーカーフェイスで
ちょっと間をおいてから〝よくいえました〟のご褒美のつもりなのか、遊香がじっと見つめたまま、わたしの頭を何度もやさしく撫でる。なんだか気持ちよくて、本当に寝ちゃいそう。
「ありがとう、アイ。大好きだよ」
「はいはい、わたしも遊香のこと大好きだから、大人になっても
けれども遊香は、意味深に口角を上げて「それはどうかな」って意地悪に答える。
「は? もう、なによそれー!」
ちょっとだけ頭にきたわたしは、両手を伸ばして下から頬っぺたをぐいぐい強めに引っ張ってやった。
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