第32話 通さん振られる

 翌日起きて鏡を見ると、私の顔は最悪だった。寝不足とストレスでむくんでしまい、普段の丸い顔が更に膨れてパンパンになっていた。こんな顔で会社に行きたくない。でも、今日休んでしまったら余計な心配をかけてしまう、と重い体を引きずって出社した。


 会社に行くと、通さんは自室にはいなかった。社長に呼び出されて話し中だと他の社員が教えてくれた。


 あまりに話が長かったので、私は社長室の前で声が聞こえないものかと様子を探っていた。時々社長の声が部屋の外まで聞こえてくる。機嫌のいい時の声ではない。


 しばらくじっとして待っていると、かちりと戸が開き通さんが外へ出て来た。私の顔を見ると小さく片手をあげ合図した。


「うまくいった。もう大丈夫だろう」

「なに、なにが、うまくいったって……」


 二人で廊下を歩き、誰もいないところで話の内容を聞いた。


「香織さん、もう俺とは付き合わないって。親父にそう言ってきたらしい。何で気に入られるようにうまく付き合えなかったんだって、親父に怒られてしまった。それで時間がかかった」

「ああ、彼女私たちの事を怒ってるんじゃないでしょうか。私たちが付き合っていて、それを内緒にしていたとのだと思って……」


「怒ってはいないみたい。技術協力の話は進めるらしいから」

「あら、それは良かった。もう一度ちゃんと香織さんと話さなくていいのかしら」


「何か言ってきたらまた会えばいい。もうあんな人の事は気にしなくていいよ、君は。もう戻って仕事をして」

「じゃあ、戻ります。通さん、頑張ってください」


 私は、そうッと秘書室へ戻った。武藤さんが何言いたげな顔をしていた。


「友村さん、最近通さんに何かあったんでしょう?」

「そのようですが、私は何も知りませんから」


「社長も何か隠していたようですが……」

「そうですか」


「あなたが関係しているのでは?」

「そんなことはありません! 気のせいです」


 私は、黙ってパソコンをのキーを叩いた。入力した内容はほとんど上の空だったが、機械的に仕事をしていると少しは落ち着いてきた。


 まだ社長も武藤さんも私と通さんが付き合っていることを知らない。ましてや私のせいで通さんが香織さんを無下にしていたことも知らないままだ。会社では、私は通さんとは敢えて距離を取るようにしてその日一日をやり過ごした。



 家に帰ると通さんから電話がかかってきて、部屋に呼び出された。そこには香織さんがいて通さんと向き合って話をしている最中だった。


 香織さんは、クリーム色のワンピースを着て、首元には柔らかいシフォンのスカーフを付けている。お洒落で、スタイルが良くて、同性の私が見てもほれぼれするような素敵な女性だ。私が入ってくるの気がついて、香織さんがいった。


「私もう通さんの事どうでもよくなっちゃった」

「あら、香織さんどういうことですか?」


「まだまだやりたいことが沢山あって、結婚なんて私にはまだまだ早すぎる。私まだ大学を出たばかりなのよ」

「そんなに若かったんですか」


 通さんは、どういう風の吹き回し方目を丸くしている。昨日とは別人のようだ。


「私ばっかり通さんを追いかけまわしてるみたいで、つまらなくなっちゃった。もうこんなこと止めようと思って」

「そうか。俺に愛想をつかしたってわけだ」


「通さんはいい人だったけど、私には合わないわ。めぐさんの方がお似合いだわ」

「じゃあ、もう俺には付きまとわないんだな」


「私は、これから通さんの何十倍も素敵な人を見つけるからいいわ」

「メグリンも今まで優しくしてくれてありがとう。私のような我儘娘に付き合ってくれてありがとう」

「我儘娘だなんて、香織さんはおおらかで、心が優しくて、自分に嘘がつけない、魅力的な女性です」


「だけど、通さんは結局私には振り向いてくれなかった。もういいのよ」


 こんな美しく、魅力的な女性に言い寄られても通さんの心は動かなかった。私のような社畜女子に思いを掛けてくれる。なぜなのだろうか。今でも私は不思議でならない。だから始めはからかわれていると思ったんだ。


「またどこかで会えるかもね。通さん、メグリン。その時は笑って会いましょう」

「おう、そうしよう。元気でな」

「通さんも、元気でね」


 私も、香織さんの後姿に向かって声を掛けた。


「香織さん、ごめんなさい。それからありがとう。私も香織さんみたいに自分の気持ちに真っ直ぐな素敵な女性になりたい!」

「じゃあね!」


 香織さんはドアをバタンと開けて、後ろを振り返らずに去っていった。私たちは香織さんの堂々とした態度に、しばし言葉を失った。


「香織さん、行っちゃった。本当によかったの?」

「よかったに決まってる。俺が振られたんだから、堂々としていればいい」


「そうね、振られちゃったんだものね」


 その言葉を聞いても前途多難な気はしたが、通さんの遠くを見るような眼差しを見ていたら心が温かくなってきた。

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