第21話 出張は専用車で

 入社して二日後の事だった。ようやくどこに何があるかがわかり、周りの人たちの名前を覚えたところだった。昼食を摂り武藤さんとお茶を飲んでいたところへ通さんが現れた。


「メグリン、チョット打ち合わせをしますから、こちらへ来てください」

「はい、少々お待ちを……」


 私は飲みかけのお茶を机の上に残し、通さんの部屋へ行った。最初の日に座った衝立の向こうにある応接セットだった。打ち合わせだと言われたので、スケジュール帳を持って入った。


「ここへ座ってください」

「はい」


「どうやらプリンスの本能が僕を支配しているようです」

「通さん、こんなところでその話はまずいのでは……」


「ああ、その事を言いたかったわけではありません。今日は仕事を早く切り上げてください。僕と出張をしてもらいます」

「どちらへ……」


「ある販売店です。売り込みに行かねばなりませんので」

「ああ、そう言う仕事ですね。張り切って行きます。頑張りましょう」


「では、出口のところで時間になったら待っていますので来てください」

「何か持ち物があったら、私が持って行きますから」


「それは心配しなくていいですよ。車で行きますから」

「おお、車で行くんですか」


「では、後程またね」


 通さんは、はにかんだような表情をしている。出張には前の会社で一度行ったきりだ。一緒に痩身茶の試飲販売をしたっけ。楽しみだわ。


 私は、それから出発時間までの時間を浮き浮きと過ごした。武藤さんがそんな私の様子を見て訊いた。


「なんだか楽しそうね。いいことがあったのかしら」

「いえ、別に。あ、午後から出張しますので……」


「あら、出張の予定なんかあったの? 通さん何か言ってました?」

「ええ、一緒に出張することになっていますので」


「ふ~ん。……知らなかったわ」


 武藤さんが知らなかったなんて。出張とは名ばかりで、どこかいかがわしいところにつれて行かれるのでは……。まさか、通さんに限ってそんな下心はないだろう。いやいやわからない。とにかく出張とやらに行ってみるしかない。


 約束の時刻になり下へ降りて行った。駐車場へ一緒に行くと、通さんは車に案内した。大きめの黒い車が控えていた。


「こちらが社用車です。どうぞ乗って」

「素敵な車ですね」


 車の事はよく知らなかったが、車中はゆったりしていて足は十分に延ばせるし、スペースが広くて気分がいい。シートベルトを締め出発した。


 目的地に向かって動き出した。しかし目的地とはどこなのだろう。具体的なことは聞いていなかった。


「場所はどちらですか」

「まあ、お任せください。あまり遠くではありません」


 車は、走ること二十分ほどで目的地に着いた。駐車場に車を止め、販売店の中に入って行った。どんな用件なのだろうか。


「ここです。降りて一緒についてきてください」

「勿論そのつもりで来たわけですので……」


 何だか、会話もちぐはぐだ。一緒に打ち合わせに同行させてもらえてうれしい気持ちになっていたのもつかの間、応接室に通されたのは通さんだけで、私は部屋の前で待たされることになってしまった。秘書とはこれでいいのだろうか、と思ってみても言われた通りにするしかない。悲しい気持ちで部屋の前で待っていると、通さんが出て来た。


「打ち合わせは終わりました」

「はあ、私は……ついて来ただけですが」


「まあいいじゃないですか」


 何とも狐につままれたような気分だ。再び車に乗り会社へ戻っていくのかと思いきや、別のルートを取っている。


「通さん、どこへ向かっているんですか?」

「ようやく自由時間になりました。これからドライブでもしましょう?」


「私を連れ出したのは、それが目的だったんですか!」

「えへへへ……、御免」


 通さんの仲にはプリンスがいるのだと油断していたら、公私混同もここまで来てしまったのだ。以前彼はツーリングとドライブが好きだと言っていたっけ。


「では、今度の目的地は?」

「海を見に行きましょう。ロマンチックだなあ。そろそろ夕日が見えますよ」


「そうですね。とってもロマンチック」


 今度は走ること一時間海岸線に出て、海沿いの道をしばらく進んだ。車を止めて降りると、丁度いい頃あいに夕日が沈んでいくのが見えた。夕日は陸地の方へ沈んでいったのだが、それでも山裾に沈んでいく夕日は美しかった。


「一緒に見られてよかったですか?」

「う~ん、いいですねえ。広々していて」


 まあそうだろうな。横顔を見ると、プリンスなんかじゃないわ! 通さん自身の顔をしている。私の事が……まさか、まさか……好きなのでは!

 

「あの、あの、あの、せっかく来たんですから、あそこの店のサザエのつぼ焼きが食べたいわ! ねっ?」

「おお、美味しそうですねえ。食べましょう!」


 二人で、ふうふう言いながらサザエのつぼ焼きを食べた。通さんは潮風に吹かれながら、髪の毛をかきあげ、二枚目を気取っていた。私の心は通さんに乱されっぱなしだった。

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