第5話 猫を飼うには準備が必要
プリンスの写真を休み時間に見てにんまりしていた。隣の席から通がのぞき込んでいる。
「それは、メグリンの猫なの?」
「ええ、可愛いのよ」
「まだ子猫だね」
「そうなのよ、つい最近酔い込んで来たんで、拾って家で買ってるの」
「へえ、そう。じゃあ、色々かって準備したんだ。大変だっただろう?」
「何かがですか。キャットフードを買ったぐらいで後は特に何もしてませんが」
「それじゃあ飼い主としては失格だな。捨て猫は、変な病気があるかもしれないから
獣医さんにつれて行かなければダメだ。それにトイレとか、高低差のある台や、爪とぎなんかも必要なんだ。そういう物を買ってあげないと可哀そうだ。まったくなってないなあ」
私は絶句してしまった。そういう知識を全く持っていないのに、いっぱしの飼い主のつもりでいたのだから。ああ、可愛そうなことをした。早速猫関連のグッズを売っている店へ行ってみよう。
「家でも猫を飼っていたから、知ってた」
「飼っていた……ということは、今は?」
「もう、高齢で亡くなったんだ。悲しかったなあ。その後は飼っていない」
「そうだったんですね。早速準備します」
「何も知らないようだから、一緒に買い物に行ってあげよう」
得意げな顔をして、上から目線で私を見ている。本当だったら断わりたいところだけど、自分があまりに鞭なのでここは協力してもらうことにした。
「じゃ、じゃあ、一緒に行ってください」
「昼休みにでも行こう」
屈服したような形になったが、まあ致し方ない。帰宅時間があまりにも毎日遅いので、昼休みに行ってくれることになった。つんけんしていたわりには、親切なのね。
買い物は、休み時間の昼休みにすぐ出かけることになり、それに気づいた綾が私に訊いた。
「二人でどこへ行くの」
「猫グッズを買いに。あいつ詳しいみたいだから、ついて行ってくれるんだ」
「もう、二人で買い物。わあ、早い。ずるい、ずるい。いいわねえ、通さんとお買い物だなんて」
綾がジト目で睨んでいる。この甘えたような、拗ねたような言い方は男心をそそるのだろう。さあ、通はどんな反応を示すだろうか。
「綾さんも何か買いたいものがあったらお付き合いしますよ。何なりとお申し付けください」
あら、殊勝なことを言うのね。可愛い子には弱いのかしら。
「じゃあ、行ってきます」
「悪いわね。綾さん」
私たちは、短時間でてきぱきと買うべきものを買い、どこにもよらずに会社へ戻った。綾が羨ましがるようなことは何もないはずだ。
「さあ、必要なものは買いましたから、愛情を持って育ててください。まだ子猫なんですから」
「ああ、ありがとうございます。何から何まで、助かりました」
「また、分からないことがあったら俺に聞いてくれ」
「どうも……」
猫の飼い方に詳しかったなんて、知らなかったが、これでプリンスはさらに居心地がよくなるかと思うと嬉しかった。
昼休みの時間はあとわずかになってしまったが、通はスマホを取り出ししきりに指を動かしている。脚は相変わらず机の外に出して組んでいる。
私はそれが気になり、ちらちら見ていた、
「どうも脚が長くてね。机が小さいのかなあ」
「そうですかあ。困りますねえ」
また脚の自慢をしている。先のとがったタイプの靴を履いている。この会社に入って来たのが不思議なくらいのイケメンだ。
「あまり気にしないでください」
「気になどしておりません」
ようやく私は視線を前に向けた。綾がにやついている。渉もそれを見て感心している。
始業時間が来て、皆パソコンに向かい始めた。社長は取引先に電話をして、一人でにぎやかだ。一時間ほどが経過し、私は無性に喉が渇いてきた。
お茶を入れて飲もうと、机の中からティーバッグを取り出し、電気ポットに水を入れ始めた。すると電話していたはずの社長が、くるりと振り向いて行った。
「ついでだから、俺のお茶も入れてくれたまえ、メグリン!」
はあ、こっそり入れるつもりが、目ざとい。するともう一人がいった。
「ついでだから、僕の分もお願いします、メグリン!」
何とそいつは通だった。私は成り行き上三杯お茶を入れることになり、自分のティーバッグを三つ使うことになった。
「はい、どうぞ」
二人にしおらしくお茶を置いた。すると通お茶の色を見て一言いった。
「もっと濃い方がおいしいですよ」
ここはぐっとこらえて返事をした。
「そうですか、これ以上出すと苦いと思ったんで」
「色がよく出た方がおいしいんですよ」
ああ、もうこれ以上言っても駄目だと思い引き下がった。悔しいなあ。淹れてあげたのは私なのに。二日目は、こんな調子で通のペースに飲み込まれてしまった。一口飲んでから通はいった。
「まあまあですね」
はあ、さいですか。
メグリんかあ、面白いやつだなあ。つんけんしているけど、内心は見え見えだ。俺に興味津々のようだ。ちょっとかまってやろう。これからの会社生活が楽しくなりそうだ。
通はそんなことを企んでいた。
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