プリンセス・セシリー
第62話「帰結と感謝」
夕方になると、イチコはロメロに声を掛けられるより早く目を覚ました。
といっても、あれから寝ることなんて出来ず、ただただ早鐘を打つ心臓を抑えるだけで過ごした。ようやく落ち着いてきた頃にはすでに夕方になっていたというだけであった。
(生きてたら、これじゃあ、心臓が持たないわね。死んでて良かったわ)
などという本末転倒な感想を抱きつつ、毛布を退ける。
「あっ、イチコさん、体はだいじょう……」
ロメロは大丈夫かと言いかけたところで、口を噤んだ。
「はい。もう大丈夫ですけど。ロメロ様、どうしたんですか?」
イチコはロメロの顔を見た瞬間再びドキドキと心臓が脈打つが、努めて平静を装い返事を返したのだが。どうにもロメロの方が変な反応であり、自分が何かしてしまったのではないかという不安がまさり、別のドキドキに変わる。
「えっと、アタシ、何かしちゃいました。あっ、寝ぐせかしら。恥ずかしい」
手櫛で髪を整えようとすると、今までならばごわごわで手櫛もなかなか入っていかないにも関わらず、今はスーッと通る。
「えっ?」
黒髪を目の前まで持ってくると、そこにはまるで自分のものではない、枝毛一つない張りのある髪。
「なに、これ。まるで、生前の髪みたい……」
改めて見れば、爪は剥がれ落ち、肌荒れとカサブタでボロボロだったはずの手も、キレイになっている。
イチコは咄嗟に部屋の中に鏡がないか探し、鏡台を見つけると、勢いよく鏡の前に飛び込んだ。
「この姿……」
頬に手を当てて確認するが、幻覚ということでもない、確かな手触り。
「アタシ、生前の姿に戻ってる!」
体がうっすらと透けていることからレイスであることは変わらずだが、それでも恋する乙女にとって、肌荒れや傷が治り、眼くまも頬のこけもなくなったのは朗報以外のナニモノでもなかった。
「ロメロ様っ!! 見てくださいよ。アタシ、キレイ?」
ついつい、言ってしまったセリフなのだが、これは後で、口裂け女みたいな事を言ってしまったとイチコは後悔した。
「え、ええ。すごくキレイですよ」
「エヘヘッ~~」
意中の男性からキレイと言われ、天にも昇る気持ちで、頬を染める。
そんな有頂天な気分の中、無粋にもドアからノックの音が響く。
「ロメロの兄ちゃん。イチコのお姉さん。開けるよっ」
扉を開けたカルロはイチコを見ると、「誰だっ! あんたっ! 敵かっ!?」と驚いたが、ロメロの説明でイチコだと納得し、本来の要件を伝えに来た。
「俺、ここで雇って貰えることになったんだ」
その言葉通り、今のカルロは執事服を身にまとっていた。
「へぇ、なかなか似合ってるじゃない。少年執事なら需要ありそうよ」
「なんの需要だよ」
苦笑いで返すカルロに、
「女の子からの需要に決まってるでしょっ!」
「ハッ!! ということは……」
カルロの脳裏にアンナの姿が浮かぶ。
「ふっ。頑張りなさいよ!」
イチコはサムズアップし、エールを送る。
「ありがとう。イチコのお姉さんも!」
恋する者同士、通じ合った瞬間であった。
「あ、そうそう、それと、もう一つ。ゴールドバーグ家、いや、ご主人様がお礼を述べたいとのことで、一緒に夕食はどうかって」
それを聞いた二人は顔を見合わせたが、
「いえ、セシリーを待たせているから、今日は帰るわ。もう、こんなに遅くなっちゃってきっと心配しているはずだもの」
「そっか、そうだよね。分かった、そう伝えてくる!」
カルロは部屋から走り去っていくと、その慌ただしさに、イチコとロメロは顔を見合わせ、笑みを浮かべた。
「男としてはそれなりに成長したみたいだけど、執事としてはまだまだね」
※
イチコたちが部屋を出て玄関に向かうと、そこにはゴールドバーグ家と使用人が並ぶ。
「ロメロさんにイチコさん。この度はありがとうございました」
当主であるゴールドバーグが頭を下げると、他の者も一斉に頭を下げた。
「皆さん、頭を上げてください。ここを助けようとしたのは、僕ではなく、カルロ君です。彼がいなければ僕らは襲撃されることを知ることもなかったか、もしくは見捨てていた可能性もあります。お礼は僕ではなく、彼に伝えるべきです」
「ええ、彼にも十分に礼は尽くします。ですが、経緯はどうあれ、貴方方が我々を助ける為に尽力してくれたことも事実です。我がゴールドバーグ家は受けた恩には必ず報います。どんな礼でもさせていただきます」
「いや、ほんと、カルロ君にだけでいいのですが、困りましたね……。イチコさんは何かありますか?」
話を振られたイチコは、少し考える。
(う~ん、この世界であと必要なものといったら結婚資金くらいかしら、でもでも、今はまだ早いわよね。体もないし。なら、貸し1つにしとく方がいいわよね)
「なら、貸し1ってことで、何か困ったことがあれば助けてもらえれば嬉しいわ」
「わかりました。では、何かあればいつでも仰ってください。我らゴールドバーグ家が全力でお応えします」
彼らに見送られ、ロメロとイチコはゴールドバーグ家を後にした。
(ねぇ、ロメロ様。アタシ、こうして誰かに感謝される日が来るなんて、思ってもみなかった。きっと、ロメロ様がついていてくれたからだと思うの。だから、ありがとう。愛しているわ)
イチコは言葉に出せない感謝の気持ちを抱え、ゴールドバーグ家が用意してくれた馬車へと乗り込んだ。
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