第8球 扇の要
初めての打席の後は、守りの仕事が待っている。
キャッチャーマスクに、プロテクター、それにキャッチャーミット。 陸や他の野手のみんなよりもだいぶ重装備だ。 なんとなく、異世界に行ってた時の鎧みたいな感じかな。
ベンチのすぐそばに置いてある黒板には、”4”というスコアが刻まれている。 少しだけ誇らしい気分でキャッチャーの指定席に向かった。
ホームベースの後ろに陣取ってしゃがんでいれば、陸の投球練習の合間に美空の声援も聞こえてくる。
「カイくん、いいぞー。 人生初打席が満塁ホームランなんて、運使い果たしてるぞー」
――うるさいな。 実力だっての。 なんて言えるほど強気にはいられないから、やっぱり運なんじゃないかと思う。
美空に向かって軽く手を挙げると、小さな体を目一杯大きく見せるように飛び跳ねながら両手を振ってよこした。
投球練習の最後の球を投げ返すのと同時に、相手の一番バッターが打席に入り、攻撃が始まった。 しかし、いずれの打者も、陸のボールをヒットゾーンに打ち返すことはできず、わずか8球でこの回の投球を終えた。 全てストレートのみだ。
この相手は弱いのではないかという疑念が浮かんだが、それが間違っていることは次の回に思い知ることになった。
打席に入ったのは、相手の四番、毒島さん。 三度続けたストレートは完璧にはじき返され、レフトポール直撃のホームランになった。
「ずいぶんとナメたことしてくれるじゃねーか」
四番打者の毒島さんは、ホームインと同時に僕へそう言葉を投げかけた。 思わず苦笑いが漏れてしまった。 陸のいるマウンドまで駆け寄ると、ポリポリと頭をかきながら出迎えてくれた。
「いやー、やっぱストレートだけじゃダメだな。 四番に対してやることじゃないわな。 こっからは頼むわ」
「満足したわけね。 じゃ、いろいろ混ぜてくからね」
試合が始まる前に陸と決めていたこと、それは打たれるまではストレート一本でいくこと。 相手からしたらナメられていると感じでも仕方がない。
僕たちには『異世界帰りでどの程度通用するのか』という点における指標がなかった。 それを測るために、ストレートだけで行こうと予め決めていた。
結局のところわかったのは、いくら身体能力が上がったところでストレートだけでは抑えられないということ。 そして逆説的ではあるが、陸のストレートは思った以上に打たれないこと、だ。
どんなにすごいストレートがあっても、それを活かす変化球がないと抑えることはできない。 逆に、そこまですごい球がなくても、やりようによっては抑えられてしまう。 野球ってのはなかなか奥が深い。
陸の持つ変化球は、スライダー、カーブ、チェンジアップ。 フォークは何度か試してみたものの、角度をつけて落ちることはなく、ストレートと大してスピード差もなく、落差が少ないチェンジアップのような変化しかしない。 つまりそれは、実戦では使えないことを意味している。
これらの情報をふまえて、次の打者からはちゃんと攻めていこうと思っていた矢先のことだった。
五番の高梨さんには、今日初の変化球、チェンジアップから入った。 当然、ストレートを予想して振ってくるわけなのだが、そのスイングの大きさが桁違いだった。
バランスを崩しかねないほど大きなスイングに、危険を察知して上半身を反って距離を取ると、バットは大きく弧を描いて、キャッチャーマスクの鼻先をかすめるようにしてホームベース付近の地面を叩いた。
高梨さんは右打者で、バットを振った後右手を離し左手一本で振り切るスタイルのようだ。 バットが当たりそうになったことなんて気にした様子もなくコキコキと首を動かしている。
キャッチャーとしての経験は少ないとしても、身の危険は敏感に感じ取れる。 向こうでの経験がこんな形で役に立つとは思っていなかった。
次の球は、外角からさらに外に逃げるスライダー。 これには手を出してこなかった。 さっきの大振りを見ると手を出してきそうなものだけど、インコースが得意なんだろうか。 でも、今の球でストライクが取れたのはラッキーだった。
ともかく、この人には次の球でお帰り願いたいところだ。 出したサインはもう一回スライダー。 今よりもボール1個分外に構える。 しかし、陸が投げたボールはさっきよりも甘く入ってきた。
「オラっ! 」
バッターが踏み込んで振ったバットは、外角に逃げていくボールを捉えて快音を響かせた。 飛んで行ったボールは幸いにもライトポールの右側へと切れてゆき、辛うじてファールになった。
――ふう、危ない。
中軸を担うバッターに同じ球を続けるのは危険。 スピードか、コースか、高さか。 どれか一つでもズラしていかないと、抑えるのは難しい。
かといって、陸が変化球を投げる時はコントロールがアバウトになりがち。 一つ間違うと絶好球になる。
そうすると――やはりインコースへのストレートしかないな。
僕はバッターの近くに寄り、少し腰を浮かせた。 身体に、そして一番顔に近く、打たれた時には長打になりやすいこのゾーン。 それでも、打ち取るためには必要な攻め。
所謂
さぁ、来い、陸。
振りかぶって投げた陸の手を離れたボールは、コースも高さも注文通り。 バットは空を切り、ミットにボールが収まった。
その時だった。
――ゾワッ!
全身の毛が逆立つような感覚は、死の予感を知らせる合図。 ボールを掴んだままのミットで、死角から飛んでくるバットを迎え撃った。
シールドバッシュの要領でバットを押し返すと、高梨さんのその巨体がバランスを崩し、ドシンと尻もちをついた。
普通の人間だったらとんでもない被害を受けそうな打撃。 まったく、バットは人を殴るもんじゃないよ。 この人はいつもこんなことをしているのだろうか。
高梨さんはバットを支えにして巨体を起こし、のそのそと一塁ベンチへと帰っていった。
「おい、大丈夫か? 」
入れ替わるように陸がマウンドを駆け下りてやってきた。 目には怒りを宿している。
「もちろん。 物理防御全開にしてたしね」
「ちゃんと防御できてたのか。 良かった」
「伊達に修羅場潜ってないさ」
「頼んだぞ。 キャッチャーは扇の要、抜けてもらうわけにはいかないからさ」
「はいはい。 んじゃ、しっかり要求通りに頼むよ」
「うげっ。 お手柔らかに頼むよ」
陸は軽い足取りでマウンドへと帰っていった。
そこからの陸は危なげなく抑え、序盤の三回を終えた。
4-1 で3点リード。 試合はこれから中盤へと差し掛かる。
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