サービス終了ゲーム世界に転生したらNPCたちが自我に目覚めていたせいで……
鏡銀鉢
第1話 マイベストゲームのサービスが終了する日
「そんなに見つめられると恥ずかしいんだけど」
目の下をほんのりと赤く染めながら、申し訳程度に文句を言う女の子の顔があった。
亜麻色の髪を右側にまとめて肩に垂らしたサイドテールを指先でいじり、気持ちを落ち着けようとする仕草の可愛い、優しい顔立ちの子だ。
彼女の姿に、俺は長く唖然とした。
決して、彼女の愛らしさに見惚れたわけじゃない。
いや、確かに彼女は可愛かった。それも、とびきり可愛い女の子だった。
視線を下ろせば、プロポーションもかなりイイ。
身長は一五五センチとやや小柄だけど、手足はスラリと長い。
バストは88センチのFカップで、ウエストは56センチ、ヒップは87センチの恵体で、年齢制限付きの同人誌は何十冊も出ている。
どうして俺が彼女の個人情報に詳しいのか。
どうして彼女の同人誌なんてものが出ているのか。
それは彼女、もとい、ノエルがオンラインRPG【アクティヴェイドオンライン】のチュートリアルキャラで、設定資料集に彼女のデータが載っているからだ。
オンラインRPG【アクティヴェイドオンライン】、通称AOL。
俺はそのゲームで、いわゆるガチ勢というやつだった。
一部のユーザーからカルト的な人気を誇るこのゲームは、なんと十年もの長きに渡りサービスが継続されてきた老舗だ。
俺の青春も、社会人生活も、ずっとAOLと共にあった。
それだけに、サービス終了の告知を目にした時の絶望は計り知れなかった。
原因はいわゆる大人の事情。
制作会社の吸収合併に伴い、一部の人気タイトル以外は全て切り捨てるというわけだ。
おかげで、次回のアップデートで実装が予定されていた新要素もパーだ。
レベルキャップに達した100レベルプレイヤーへの特典、ハイヒューマンへの進化。
新ボスモンスター八大龍王。
新スキル、新武装、新アイテム、新規クエスト、新フィールド暗黒大陸の開放。
ヨダレが止まらなかったのに、今は涙が止まらない。
やれることは小さなことから大きなことまでなんでもやった。
ネット上に掲示板を立てての反対運動。
SNSを使った作品の宣伝。
陳情書は会社に何度も送った。それも電報で。
夏のボーナスと貯金を全部つぎ込んで課金もした。
でも、そんなことで会社の方針が変わるわけもなく、とうとうサービス終了当日を迎えてしまった。
深夜。
暗いリビングで独り、俺はテーブルの前で正座していた。
ノートパソコンを開き、哀愁に打ちひしがれながら背中を丸めた。
画面の中では、俺が十年間育て上げたアバター、クランドが、はじまりの街アマルカンドの噴水広場に佇んでいる。
昼間の太陽を浴びながら揺れる黒髪。その髪と同じ黒い瞳の、中肉中背の優男だ。
主兵装がハルバードの魔法戦士なのに眼鏡をかけ、鎧ではなくコートを着込んだ姿は、そのミスマッチさも相まって、剣と魔法の中世ファンタジー世界ではかなり浮いていた。
でも、この奇抜なキャラメイクのおかげで、ガチ勢界隈ではちょっとした有名人だった。
眼鏡とコート姿の魔法戦士を、クランドルックと呼んでくれる人もいた。
それも、今はもう思い出の中だ。
今頃、他のプレイヤーたちは、帝国の皇城前に集まっているだろう。
数日前、最後の瞬間を共に迎えようと、掲示板に書き込みがあった。
でも俺は、最後の瞬間はこの、はじまりの街で迎えたかった。
初めてAOLにアクセスした、高校時代を思い出すと、涙腺が熱くなる。
老若男女、あらゆる職業のNPCが集まるこの広場で情報収集をして、チュートリアルをしてくれる少女、ノエルに送り出されて、俺は冒険に向かった。
この十年間、俺は数えきれないほどのクエストをこなした。
そしてAOL世界の村を、国を、人々を守り、Sランク冒険者の称号を貰い、世界を守り続けた。
けど、全部無駄だった。
十年間、俺が守り愛した世界は、あと五分で消滅してしまう。
「ッ……」
広場を駆け回って、片っ端からNPCたちに話しかけた。
「もうすぐ娘の誕生日でね。ふんぱつして新しい服を買ってやるんだ」
「店長がロバと荷馬車をくれたんだ。明日から俺も行商人だ。冒険先で会ったら、贔屓にしてくれよ」
「ああああ、ネタがないわ! 劇の脚本の締め切りが今夜なのにぃいいい!」
「聞いてくれよ。薬草を買って森に行ったら毒蛇に噛まれちまった。お前も冒険者なら、状態異常対策は忘れるなよ」
「お兄ちゃんの武器カッコイイね。あたしも大人になったらパパと同じ冒険者になるの」
NPCには、ある程度のAIが搭載されている。
それでも、彼らは皆、プログラムどうりにしか動けない作りものだ。
けれど、人は紙にインクで印刷された漫画のキャラに感情移入して、死亡シーンに涙する。
この世界に感情移入している俺にとって、この世界の人たちは生きた人間も同じだ。
みんな大好きだし、幸せになって欲しいし、冒険者として、守ってあげたい。
なのに、この人たちは、自分たちが作られた存在であることも知らずに、あと一分で消されてしまう。
娘のことが可愛くて仕方ないトーマスに頼まれて、迷子になった娘を探しに森へ行ったことがある。
商会で下働きをするジョンは、旦那様のツボを割ってしまい、俺はその代わりを見つけあげた。
脚本家のポーリーは、取材で魔の森へ行くのにボディーガードをしてくれと言うので、一日中彼女を守りながら森の中を散策した。
駆けだし冒険者のスパンクはドジでいつもつめが甘いけど、めげることのない努力家で、集団クエストでは、NPCとしてよく参加している。
冒険者を志す少女リリは、父親のサンソンと何度も喧嘩をして、そのたびに仲直りしている。そのサンソンは、三流冒険者なのに、娘の期待に応えようと、一流の冒険者を目指す熱い男だ。
イベントやクエストをこなすたび、浮き彫りになる彼らの想い、夢、それも大人の事情で、あと一分で消されてしまう。
一人でも多く、この人たちが生きていた証を胸に刻みたくて、俺は最後の瞬間まで、NPCたちに話しかけ続けた。
サービス終了まで、あと40秒。
石畳の地面を踏みしめながら、一人一人のセリフを目に焼き付けた。
サービス終了まで、あと30秒。
噴水の水にたゆたう水鳥に話しかけると、気持ちよさそうにあげる鳴き声が愛おしい。
サービス終了まで、あと20秒。
ベンチに座る老人、花壇の花を愛でる少女、みんなの存在を忘れたくなかった。
サービス終了まで、あと10秒。
次に話しかける人、まだ話しかけていない人を頭の中で確認しながら、俺は近い人から順番に声をかけていく。
そして………………狩人風の恰好をしている少女は、何も答えてはくれなかった。
メッセージウィンドウが表示されない。
まるで、NPCではなく、オブジェクトを前にしているようだった。
恐る恐る、画面右下の時計に視線を移した。
時間は、深夜0時0分を指していた。
「あ……………………………………………………」
サーバーから、このアクティヴェイドオンラインの世界は消滅した。
ただ、プレイ中のこのパソコンに取り込まれたデータとして、いま、この広場だけは残り続ける。
でも、誰に話しかけてもなにも起こらない。この広場から外に出れば、データを読み込めませんとエラーになって、画面は黒く消えるだろう。
BGMが延々と流れるだけの画面を、いつまで眺めていただろうか。
初心者を歓迎するはじまりの街の、明るくて軽快な音楽が、いまはどこか寂しく、無機質なものに感じた。
胸の奥に、じわじわと広がる冷たい感覚。
NPCの女の子と見つめ合う、俺のアバター。
眉ひとつ動かさない彼女の顔も、マネキンのように無感動で、体温を失ったように感じた。
もう、終わったのだ。
アクティヴェイドオンラインの世界は、たった今、死んだのだ。
それがわかっていてもなお、俺はゲーム機の電源を落とせずにいた。
世界の亡骸も同然のこの画面を、だが失いたくはなかった。
この画面が、最後の形見のように愛おしく思えて、指が動かなかった。
ありがとう、アクティヴェイドオンライン。
お前との十年間は、本当に楽しかったよ。
君らの世界を守りたかった。
でも所詮、現実の俺はただの一プレイヤー。
Sランク冒険者でも、勇者でもない、ただのサラリーマンなんだ。
好きな漫画が打ち切りで終わった時や好きなアニメが最終回で終わってしまったあととは比べ物にならない喪失感で、体が動かなかった。
どれだけ画面を眺めていただろう。
この画面をスクショしても、この喪失感は埋められない。
プレイ動画じゃ足りない。
たとえ会話イベントすら発生しなくても、思い通りにアバターが動いて、システム画面やアイテムボックスを開いて、主人公の装備を変えられるこのデータを消したくない。
いっそ、このパソコンは一生このままにしてしまおうか。
そうだ、それがいい。
パソコンの強制アップデートの対象にならないよう、オフラインにして、新しいパソコンを買って、このパソコンはAOL体験専用にしよう。
もう遊ぶことはできなくても、俺の十年はここにある。
仕事終わりにアバターのステータスやアイテム、装備を眺めて楽しもう。
このパソコンの寿命が尽きるその日まで。
なんて思った直後、海の波が引くように、希望が消えていく。
「馬鹿だな。そんなこと、できるわけがないのに……」
パソコンの詳しい仕組みは知らない。
でも、数日も経てば、きっとこのウィンドウ画面は動きが遅くなって、止まって、しばらくしたら画面が白くぼやけて【プラグラムに不具合が発生したのでこのプログラムを開きなおします】というダイアログが表示されて、再読み込みと同時にデータは消える。
儚い夢に息を漏らし、俺は背後のソファに座った。
せめて、明日の朝まではこの画面を残しておこう。
それで、ステータス画面やアイテムボックスの内容を全部スクショして残そう。
俺にできるのは、それだけだ。
無限の無力感に打ちひしがれながら、画面を点けたまま、ソファに横になる。
目を閉じても、まぶた越しに画面の光が明るかった。
意識が遠のく中、最後に話しかけた少女、ノエルのことが気にかかった。
チュートリアルキャラの彼女は、最後に何を言ってくれただろう。
◆◆◆
「そんなに見つめられると恥ずかしいんだけど」
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