第265話 憧れを超えてその先へ

「はあはあ……」


 息が荒い。喋ることができない。苦しい。お腹が熱い。ドロリとした液体を感じる。


 ――血だ。


 血が止まらない。意識が朦朧もうろうとする。どうして――攻撃を受けたのかしら。油断。認識の外からの攻撃。しっかりしないと……私がしっかりしないとレイナ様にご迷惑が……。


「アリシア、大丈夫なの!? いえ、大丈夫じゃないわ!」


 ああ、レイナ様の声が凄く遠くに聞こえる。大丈夫。大丈夫じゃないけれど大丈夫ですレイナ様。こんなこともあろうかと、私は私が気を失っても魔導機を動かせるように魔法を。その為に隠された図書館で沢山勉強をしましたから。えへへ。ああ、レイナ様がクラリスさんに連絡を――。


 ダメですレイナ様。いくらレイナ様でも、お一人でルーノウさんとロマンさんの相手は――。


「大丈夫。すぐに片づけるわ」


 レイナ様待ってください。私はまだ戦えます。お役に立てるんです。例えそれで命を失うことになっても、わずかばかりでもお役に立てるのなら本望。だから私を置いて行かないで、レイナ様――!



 ☆☆☆☆☆



「はっ!? はあはあ……、またあの時の……」


 またあの時の夢を見た。見てしまった。あの戦いから数日。怪我をした私は、航空艦によって王国へと戻ってきていた。あの後、レイナ様はルシア・ルーノウと共に空にあいた大穴へと吸い込まれるように消えたという。


 でも大丈夫。レイナ様は「今度はすぐに戻ってくる」とクラリスさんに伝えたそうだ。レイナ様がそう仰ったのだから、それは未来への予言に等しい。だから私ごときが心配するまでもない。レイナ様は必ず戻ってきます。問題は――。


「体調はどう、アリシア?」


 りんごを持って部屋に入ってきたのはサリアちゃんだ。王都で治療を受ける為、サリアちゃんのサンドバル家が王都での世話の一切を引き受けてくれた。本当にありがたい、大切なお友達だ。


「大丈夫よ、サリアちゃん。でも……」

「使えなかった?」

「うん……」


 昨日、私は魔法の専門家であるトラウト公爵の診察を受けた。その答えを端的に言うなら、私は魔法がほぼ使えなくなった。私の身体の中の魔力操作を司る部分。そこに深刻なダメージを受けているそうだ。


 だから、私はもう魔法を使うことができない。

 だから、レイナ様をお助けすることができない。

 だから、私なんて存在していても――。


「――シア? アリシア!」

「え? な、なにサリアちゃん……?」

「ぼーっとしていたわよ。やっぱり体調悪いんじゃないの?」

「少し眠かっただけだよ。気にしないで」

「そう? それならいいんだけれど……。はい、リンゴ」


 カショリカショリと、差し出されたリンゴを食べる。うん。甘くてみずみずしくて美味しい。お値段も高そうだ。きっとサリアちゃんが商家のネットワークを通じて入手してくれたんだろう。


 リンゴを食べながら他愛のない話をしていると、コンコンとノックの音が聞こえた。来客を告げる使用人さんだ。普段は平民の私と同じ目線に立ってくれるサリアちゃんだけど、彼女もれっきとした貴族令嬢なのだ。


「お嬢様、サイス・レンドーンご令息ご息女様が。アリシア様にお見舞いとのことです」

「通してちょうだい」


 サイス・レンドーン! つまりルビーちゃんにルイ君のことだ。私は慌ててパパっと身だしなみを整える。顔が似ているからか、二人と話しているとレイナ様とお話しているようで緊張する。


「こんにちは」

「アリシア……さん。レイナお姉様に代わってお見舞いに来てやった……ですわ!」


 本を片手に静かに入って来たルイ君に、片手に花束を持った変なお嬢様言葉のルビーちゃんだ。


「こんにちはルイ君、ルビーちゃん。お見舞いありがとうございます。それと、あなたは確か……」


 部屋に入ってきたのは二人だけじゃない。もう一人、赤い髪の毛の女の子が一人。以前パーティーで、ちらりとご挨拶をした。確か名前は……。


「ヒルデガルトよ」


 それだけ言うと、彼女は興味なさげに窓際に立ち外に目をやる。


「まったく、なんでついてきたんだか? はい、お見舞いでしてよ。淑女たるもの病床にあっても華やかさが必要ですわ」

「これも。古今の魔力回復について記された本です」

「……ありがとう。大切にしますね」


 素敵な彩りの花束に、古くて分厚い本だ。きっと私の事を聞いて来てくれたんだろう。嬉しい……けれど――。


 二人は自分の知っている魔力回復の方法や、レイナ様について話して元気づけてくれた。帰り際、それまで口を開かなかったヒルデガルトさんが一人扉の前で立ち止まった。


「……ヒルデガルトさん?」

「……魔力っていうのは、そこら中に存在している。あなたにはまだ手もある、足もある、そして心がある。あがきなさい、求めなさい、渇望しなさいアリシア・アップトン。最良の解決策というものは、いつも真っ暗な闇の中にあるものよ」


 そう言って彼女は帰って行った。元気づけようと気休めを言ってくれたのか……いいえ、何か確信があるような物言いだった。


 その日の午後にはエイミーが忙しい合間を縫ってお見舞いに来てくれて、ルイ君たち三人にいたってはほとんど毎日顔を出してくれた。サリアちゃんはかいがいしく不自由な私のお世話をしてくれたし、以前から知り合いのシルヴェスターさんはちょくちょく顔を出して諸国の珍しい物を持ってきてくれた。


 そんな人々の心が、私を絶望の淵でなんとか押しとどめてくれた。彼ら彼女らがいなかったら、私はとっくに底知れぬ黒い沼の底だ。そして数日が経ち、レイナ様が帰還されたと伝え聞いた――。



 ☆☆☆☆☆



 レイナ様が私を訪ねられ、そして大陸へと旅立ってからさらに数日が経った。伝え聞くのは“紅蓮の公爵令嬢”の大活躍。レイナ様は私ごときが心配するまでもなくあの煌煌とした炎で全てを照らしていらっしゃる。


 この数日、私はひたすらに私の新しい道を探していた。レイナ様は仰った。私は私の道を歩むべきだと。


 正直今までの私は――レイナ様に依存していた。


 依存。依存。依存。レイナ様こそが私の全てという考えに間違いはない。間違っているつもりはない。けれど私は弱い自分を克服することなく、それから目を逸らす為にレイナ様に依存していたのではないか?


 いいや違う。違うと言いたい。違うと言ってほしい。今の私はそれを明確に否定できない。


 確かにレイナ様は素晴らしい。彼女はこの世の全てを差し置いて尊い存在だ。崇拝している。お慕いしている。お美しいレイナ様。可愛らしいレイナ様。嗚呼、レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様――。


 ――こうしてお慕いすることが、レイナ様の側にお仕えできる条件だろうか?


 クラリスさんはどうだ。確かに彼女はレイナ様の事を大切に思っていらっしゃる。素晴らしい。レイナ様からも大切に思われている。素晴らしい。しかしそれは疑似的な姉妹のような関係だ。つまり私の関係性とは違う。


 クラリスさんはレイナ様に依存することなく、その実力、その振舞い、その確固たる精神をもってレイナ様のお側にお仕えしている。


 今のレイナ様に依存しきった弱い私では役に立たない。私はレイナ様の御側にずっといたい。一生いたい。永遠にいたい。来世でもいたい。つまり私はレイナ様と並び立つ存在にならなければならない。憧れを超えてその先へ。あの“紅蓮の公爵令嬢”と等しい存在へ――!


「ああ、神よ!」


 時刻は既に深夜。グッドウィン王国王都ウィンダム。その一画にある闇の女神ルノワを祀った大聖堂。シンとした静寂の中、私の声だけが響く。


「神よ、女神ルノワよ! 私は望みます。レイナ様の為ではなく私自身の為に!」


 神にでも悪魔にでも何でもすがる。その為に無限に努力し、いかなる代償も支払う。だからお願いだ。私をあのお方の隣へ。“紅蓮の公爵令嬢”の隣へ――。


「お願いします、女神ルノワ様!」


 以前レイナ様は言った。あなたは“”だと。意味はあまりわからないけれど、私が願えばそれは実現すると言っていた。


 床に膝をつき、願いを捧げる私の目から自然と涙が流れ落ちる。その一滴が、床に達した時だった。


 ――世界が闇に覆われた。


 無限に広がる虚無の空間。闇そのものと言うしかない空間。そんな空間に私はいた。今まで聖堂にいたのに。


『呼んだかな? 私の名前を』


 何もないと思っていた闇に椅子が出現していた。その椅子は派手過ぎず、しかし良い物だとすぐにわかる立派な椅子だ。そんな椅子に、一人の女性が腰かけていた。


 艶やかに腰まで伸びる黒髪、瞳は怪しく紫色に輝く美女。身にまとった黒いローブには深々とスリットが入っていて、白い肌がまぶしい。この現象――、この姿は――。


「まさか……、……?」

『ご名答。まあ、座りたまえ』

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