第266話 邪神様との契約

 あえて申し上げるならば、“紅蓮の公爵令嬢”レイナ・レンドーンの伝説的な活躍は我が国だけではなく周辺国の民にとって当然知っているべき常識だ。


 また貴方が歴史に詳しい人間なら、彼女と同時代に活躍した英明王弟えいめいおうていディラン・グッドウィンや大魔法使いルーク・トラウト、それに天才芸術家ライナス・ラステラ、神速の剣神パトリック・アデルについて語ることができるだろう。


 あるいは科学の母エイミー・キャニングや政治と演劇二つの道で長く活躍したリオ・ミドルトン、食品物流に革命を起こしたサリア・サンドバルの名前を挙げるかもしれない。


 この激動の時代に名を残した人物は非常に多い。しかし、“漆黒しっこくの聖女”の名はとくと聞かない――。


 “漆黒の聖女”と呼ばれたアリシア・アップトンは彼ら彼女らの友人であり、またそれらに並び立つほどの実績を残したと伝わる。実際歴史書なり当時の資料なりには彼女の名前はたびたび登場する。しかし、


 そもそも“漆黒の聖女”という異名自体が後年創作されたものともいう。そして、彼女の性格すらミステリアスな謎に包まれている。


 ある人は花畑でほほ笑む童女の様に純粋な人物だと答えた。またある人は暗い森の中で呪詛を唱える恐ろしい魔女のようだと評した。


 ――同時期の人物評である。


 本著はそんな“漆黒の聖女”アリシア・アップトンの謎を、当時の資料や証言をもとに紐解いていくものである。


 エリオット・エプラー著「影に隠れし漆黒の聖女の謎」より抜粋――。



 ☆☆☆☆☆



「どうした? 緊張しているのか?」


 目の前に座る女性――闇の女神ルノワ様は楽しそうに問いかけてくる。緊張――驚愕――疑念――様々な感情が私の中を駆け巡る。


「疑っているのか? 私が本当にルノワかどうか」

「いえ、そんなことは……」


 この不可思議な現象に感じる膨大な力、そうでも言わないと説明がつかない。目の前の黒髪で紫色の瞳の女性は女神ルノワ。疑いようがない。


 それにレイナ様から聞いた話や、ルイ君からこの前お見舞いで頂いた本に記された内容とも合致する。この聖堂に来たのだって、彼の本に書いてあったからだ。


「そうか。ならば汝、何を望む? 何かしら目的があって私を呼びつけたのだろう? あ、滞在許可はシュルツにとってあるから心配しなくていいぞ」


 滞在許可の意味はわからないけれど、シュルツと言えば風の女神様のお名前だ。


「……力を。レイナ様の隣に立つための力を望みます!」


 ルノワ様は「ふーん」と考えるような仕草をし、私がそれで言い終えたことを確認すると、怜悧な美貌が崩れて途端にキョトンとした顔になった。


「……え? それだけか?」

「それだけ……とは?」

「私は女神だぞ? 泣く子も恐れるルノワ様だぞ? 邪神を呼び出せばもっといろいろあるだろう。こう……死とか絶望とか恐怖とか支配とか! なんだその恋する乙女のような願いは!?」

「えーっと……、その……ごめんなさい」


 わからないけれど女神ルノワ様の逆鱗に触れたのかもしれない。六大神の中で闇を司るルノワ様は、死や恐怖を司っている。光の女神ルミナ様の姉であり、月の癒しも司ってらっしゃるはずなんだけれど……。


 でも私は何をしてでも力を取り戻さないと。でないと私はデナイトワタシハタトエアイテガカミサマデモ――。


「なんてな。冗談だよ」

「ご冗談……?」

「お前の所業、心根、ずっと見させてもらっている。純粋で真っ黒な闇。混じりっけの無い深く黒い闇。お前は実に面白い、私の数少ないお気に入りの一人さ。早寝早起きなのも高評価だ」

「じゃあ……!」

「落ち着け。――おい、アラタ!」


 ルノワ様がそう呼びかけると、金と黒の入り混じったような髪の色をしたガラの悪そうな男性が闇の中から現れた。その手には紫色の魔石がついた立派な杖が握られている。


「本当に良いのか?」

「ここが使い時だ。押入れの隅で虫食いにさせるわけにもいかないだろう?」

「ホムセンで防虫剤を買えよ……」


 何かわからない単語を二、三やりとりして、アラタと呼ばれた男性は女神様に杖を渡し、またフッと闇の中に消えた。従属神だったのかな?


「それは?」

「見ての通り魔法の杖さ。そして――」


 女神様が杖を宙に浮かすと、先についていた輝く紫色の魔石がとれてそれも宙に浮いた。


「これをお前にやろう」

「この魔石を……私に?」

「ああ。この杖はある世界で私が愛用していた杖だ。神愛用の杖だぞ? 当然ついている魔石には通常ではありえない力が宿る。一種の神遺物しんいぶつさ」


 確かにルノワ様の瞳と同じ色で輝くそれからは、莫大な力を感じる。これを手に入れれば、私はきっと――。


「これをどうすればいいのですか?」

「埋め込む」

「え?」

「お前の中に埋め込むと言った。お前のズタズタの魔力器官を、この魔石によってつなぎとめる。原理は何と言ったか……そう、お前たちの世界で言う魔導機と一緒だ。人間魔導機……いや! うん、悪くない響きだ! 浪漫ろまん。浪漫を感じるぞこれは! さあ契約だ。この世は契約社会、さっさと契約しよう」


 女神様はすごく楽しそうに笑う。魔導さいぼーぐ……? 無茶苦茶な話だ。けれど今の私は無茶の一つや二つしないと奇跡は起きない。起こせない。


「わかりました。契約、お願いします!」

「よく言った。契約成立だ、いくぞ」


 ルノワ様が魔石を手に取り、何かブツブツと唱えながら私の下腹部に押し当てる。熱い。身体が燃えるように熱い。それと同時に確かに魔力を感じる。私の身体に間違いなくもう一度魔力が宿っている。


「あれ……ちょっとしくじ……いや大丈夫! 問題なしだ!」

「ありがとうございますルノワ様! すごい力を感じます!」

「それは良かった。だが勘違いするなよ、こんなサービス滅多にしないからな私は」

「心得ています」


 たとえこれが億万分の一の幸運でも、私は力を手に入れた。その力は元よりも強大。確信する。これであの方と並ぶことができる。


「それで、これからどうするんだ?」

「レイナ様のお隣へ」

「愚問だったな。世界に覇を唱えんとする者と対立するか」

「立ちふさがるのなら」

「そうか。一つ言っておこう、はっきり言って私は世界征服とか大好きだ。超好きだ。浪漫だからな。異なる世界では魔族を支援して人間を恐怖のどん底に陥れるなど日常茶飯事だ」


 女神様は露悪的ろあくてきな笑みを浮かべ、大仰に手を振って語る。


「だが――、世界征服にもというものがある」

「格……ですか?」

「そうだ。俗物が簡単に口走っていいこころざしではないのだ、世界征服は。だから叩き潰せ。徹底的に蹂躙じゅうりんしろ。泣いて謝っても許すな。本当の悪とは何かを見せてやれ! それこそが契約の対価! 安心しろ、この私――邪神ルノワが保証してやる。その復活をご都合主義だと笑わば笑わせておけ! 恐怖のどん底のさらに下があることを思い知らせてやれアリシア・アップトン! それが“紅蓮の公爵令嬢”と並び立つ唯一無二の道だ!」

「はい……! はいルノワ様! ――あれ?」


 言いたいことを言って満足したのか、次の瞬間には全て掻き消え元の静かな聖堂に戻っていた。


「でも――」


 でも分かる。力を感じる。あれは夢じゃない。そうであれば――。



 ☆☆☆☆☆



「よいしょっと……焼けたかな?」


 翌朝、私は早い時間からパンを作っていた。両親から受け継いだ大切な味のパン。レイナ様が美味しいと言ってくださったパンだ。


「早いわねアリシア」

「あ、サリアちゃん! お早う」

「お早う。パンを焼くのも久しぶりよね。心境の変化かしら?」


 そうかな? そうかも。最近の私にはパンを焼く暇もなかったし、焼こうとも思わなかったから。私は口で言わず表情で答えると、サリアちゃんも頷き口元を緩めた。


「だとしたら、私と兄さんのは無駄じゃなかったようね」



 ☆☆☆☆☆



 王都の魔導機格納庫。朝食を終えた私は、サリアちゃんに連れられてここへやって来た。


「アリシア、あんた魔力が戻ったのね?」

「――え? どうしてそれを……!」

「何年友達やってると思ってんのよ。わかるわよ」


 サリアちゃんは事も無げにそう言うと、歩を進める。私は置いて行かれないようについて行く。奥には一機の魔導機があった。


「これは……〈ミラージュレイヴンV〉? いいえ、少し違うような……」

「お! やっと来たか! あれ? パンを焼いたのかい?」

「シルヴェスターさん! あ、はい。どうぞ」


 いつものにこやかな微笑みを浮かべて待っていたのは、シルヴェスターさんだ。昔からサリアちゃんの家に遊びいくと明るくもてなしてくれた。私は持ってきたバゲットからパンを取り出しながら、彼の横にある魔導機を眺める。


「うん、アリシアちゃんの焼くパンはいつも美味しいね」

「ありがとうございます! あの、これは……?」

「〈ミラージュレイヴン〉に〈リューヌリュミエール〉というユニットを装着したんだ」

「〈リューヌリュミエール〉……?」

「月の輝きを意味するそうだよ。アスレス王国が開発していた秘蔵の品さ」

「アスレス? それがどうしてここにあるんですか?」


 疑問が頭にいっぱい浮かぶ。なんで〈ミラージュレイヴン〉が修理されてここに? なんでアスレスの装備を?


「それは私と兄さんが貴族と商人のコネを全部使って手に入れたからよ。もちろん合法的にね」

「サリアちゃん……?」

「アリシア、あんたが必ず立ち直るって信じてた。だから準備したのよ。エイミーさんがいないから、魔導機技師もお金で腕利きを集めてね。私は戦えない。凡人よ。物語だと所詮脇役なんだって自分でもわかってる。けれどね、凡人にもできることがあるんだなあ、これが」


 信じていてくれた。今回だけじゃない、ずっとだ。サリアちゃんはいつも私のワガママに付き合ってくれた。そう思うと、自然に涙がこみあげてくる。


「サリアちゃん……」

「ほら、泣かないの。泣くのは全部終わって嬉し泣き。そうでしょ?」

「うん。うん……!」

「行きなさいアリシア。行ってあんたのしたいようにしなさい」


 レイナ様とヒルデガルトさんの言葉で立ち直れた。ルイ君の本で神様と会えた。そしてサリアちゃんとシルヴェスターさんが魔導機を準備してくれた。私が奇跡を起こしたんじゃない。皆が奇跡を起こしてくれた。私は戦える。レイナ様の隣に立てる……!


 操縦席に座ると、すごく私に馴染む。追加ユニットも問題なさそうだ。


「アリシアちゃん、どうする? 船も準備させようか?」

「いいえ、大丈夫です。直接行きます」


 「直接?」と二人が疑問の表情を浮かべる。私は魔力を込める。間違いない、今ならいける。


「す、すごい。なんだこの魔力は……?」

「アリシア、これってレイナ様並の……!」


 禁書から得た知識、今の私とこの子なら無理なく使える。


「《影渡り》!」


 かつてヴェロニカが使っていた影に溶け込み移動する魔法。それを使う。これなら今の私の魔力なら長距離だって。


「アリシア、後方のことは私に任せときなさい!」

「アリシアちゃん、グッドラック!」

「はい! アリシア・アップトン〈ミラージュレイヴンLLリューヌリュミエール〉行ってきます!」


 自分で言うのもなんだけど、たぶん今の私の笑顔は最高に輝いている――。

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