第248話 お嬢様は振り返らない

 我々が住む世界とはことなる世界。それを異世界いせかいと言う。そこはあるいは我々の世界と似通っており、あるいは獣人や魔族などといった亜人種が生活しており、あるいは驚くべきことに魔法が存在しない世界もあるという。


 神の御業みわざに匹敵するとされる神級魔法を用いることで、これらの異世界と自在に行き来することも可能であるそうだ。……もっとも、神級魔法という存在自体が噂や伝説レベルであるという注釈付きだが。


 諸説あるが、今の世に“紅蓮の公爵令嬢”として知られる大魔法使いレイナ・レンドーンも、若き日にはこういった神級魔法の力を使っていくつかの異世界を旅したと伝わる。彼女が残したアイデアの数々は驚愕するところであるが、異世界から持ち帰った知識に基づくとすれば納得もいくだろう。


 異世界を渡り歩いたと自称する者に筆者は度々出会う。私の著書のいくつかを読んでくださっている読者の方ならば、我が父デニス・エプラーもその一人であると知っているだろう。


 父は若き日に偶発的な魔法事故に巻き込まれ、いくつかの異世界を巡ることになったそうだ。ギャンブルに負けて失踪していたと言うやからもいるが、私は尊敬する父の言い分を信じる。


 そういえば、我が母とは異世界で知り合ったらしい。であれば、私は異世界人とのハーフということに……おっと、話が脱線してしまった。ともかく、本著では我が父などから聞いたことを元に、貴方が偶然にもそういった異世界を訪れた際に行うべきことを記す。


 エリオット・エプラー著「異なる世界の歩き方」序章より引用――。



 ☆☆☆☆☆



 私がルシアと共に福岡にたどり着いてから五日が経った。偽造免許証は通用するし、何か聞かれたらハーフだと答えればそれでオーケー。過ごすのは意外と簡単だった。


 ディランの指輪を質入れして十分な資金を手に入れた私は、ビジネスホテルや自動精算機付きのラブホテルを転々としているわ。同じ場所に連泊して怪しまれても困るしね。


 そして新聞やテレビ、ネカフェなんかで情報を収集しているというわけよ。時刻は夕方六時。ピッと、私は部屋のテレビをつける。


『エキサイティングナイター! 好調スマートバルク、ホームにノリックスを迎えての三連戦です! 解説は――』

『続いてはスポーツ情報! まずはプロ野球スマートバルクです!』

『さて、今日のスマートバルク二軍戦、二軍調整中の長川選手が――』

『さあ、今日は早良区さわらくで話題のうどん店に――』


 ローカル局その1、ナイター中継。

 ローカル局その2、プロ野球情報。好調の選手を特集。

 ローカル局その3、プロ野球情報。二軍の試合結果。

 ローカル局その4、うどん情報。


 野球、野球、野球、ご飯。うん、いつもの福岡ローカルね。地元チームの試合の裏で他の局も地元チームの特集をする鉄壁の布陣。つまりルシアは何も目立った行動を起こしてはいない。


 ちなみに福岡では地元チームのプロ野球情報を朝から晩までやっているわ。その気になれば前日の決勝点となるホームランなんかを、一日に五回は見ることができる。


 そして『まずはプロ野球です』という言葉はある意味罠だ。だって野球とその他の報道時間は九対一だから。二軍戦と期待の若手は報道しても、サッカーは結果だけなんてザラよ。


 まあ私もサッカーは興味ないけど。マスコットが描かれた自販機を見るとかろうじて存在を思い出すわ。以上、福岡豆知識終わり。


 とにかく、こんな感じで報道を見てルシアの行方を探そうとしているけれど、まるで手掛かりがつかめない。この世界に転してきた時、私たちが出現したのは幸いにも沖合で、進化したスマホカメラを持ってしても豆粒ほどしか写らず、『玄界灘に真昼のUFOユーフォ―?』として少しその日に話題になっただけみたい。


 逆に言えばその程度しか私たちの情報はつかめてはいない。日本語は喋ることができないはずだけれど、どこかに上手く隠れているのかしら? それとも県外まで逃げた? だとしたら面倒ね……。


「えっと確かここに……」


 私は荷物から、観光案内所でもらったパンフレットを取り出す。パラパラと広げると、そこには福岡市内の地図がある。


「私たちが出現したのが……ここね。で、たぶんルシアはこっちに逃げたわけだから……」


 私は地図の上で指をつつつーとなぞる。ルシアは私に背を向けて、市内の方へ――南東へと飛び去った。だとしたら阿蘇や大分、さらに下って宮崎かしら?


 いいえ、違うわね。ルシアは混乱していたし、何より初めて見るビル群に怯えていたわ。そんな彼女はとりあえず目に付いた慣れ親しんだ場所――つまりはに降りたはず。


「だとしたら候補は三つ!」


 まずはヨットハーバーが隣接する、西区の小戸おど公園。次に福岡城跡ふくおかじょうあとでもある、中央区の大濠おおほり公園。最後にサッカー場や陸上競技場がある、博多区の博多の森こと東平尾ひがしひらお公園。


 方向と速度を考えると、小戸公園は候補から外れるわね。とするとどちらか……、いえ私たちが転移してきた日には確かラグビーだか陸上だかの試合が博多の森で開催していたって見たわ。それなら人が多いし、ルシアは避けるはず。


「なら、大濠公園……! あ、そういえば!」


 ピキーンときた私は、買ってきた地方新聞の片隅に目をやる。そこにはこんなタイトルの記事が載っている。『野犬? 大濠公園の怪。お弁当が消えた!』。


 記事によると、大濠公園でお弁当を食べていたピクニック客の所に、突然素早く動く何かが接近し、お弁当を持ち去られたという。ここ数日同様の事件が数件起きており、市は野犬の疑いがあるとして注意喚起をしている。


「間違いないわね。これはルシアの仕業だわ」


 ルシアは器用じゃないから風魔法で気を逸らしたりもできないし、強化魔法で無理やりってことね。これは間違いない。私の勘はそう告げている。


 福岡城跡はさすがにお城の跡だけあって広いから、魔導機も不可視状態で隠せるはず。決戦の場所は決まったわ――。



 ☆☆☆☆☆



 翌日、私は決戦の前に市内のある場所へと来ていた。


「よっと。まさか自分の実家に空き巣に入るとはね……」


 表札は確認した。偽造免許の時に思ったけれど、マギキン世界だとモヤがかかったように思い出せなかった前世の名前をこの世界に来てからは思い出せている。


 魔法を使えばちょちょいのちょいと侵入できたわ。防犯対策に魔法対策は必須の時代だ。私が死んだのって東京だし、実家に帰省するのなんて本当に久しぶりよ。それがまさかこんなエクストリーム帰省になるなんてね。


「覚えている。ここが私の部屋……」


 私の記憶のまんまだ。死んで一年経つのに、手が付けられていないって感じ。今の私の実家の部屋とは比べ物にならない狭さだけれど、どこか落ち着くこの感じ。


「えっと……、ここでいいかしらね?」


 私は書いてきたお手紙と共に、質入れして手に入れたまだ軽く三桁万円ある資金を、封筒にいれてマットレスの間に挟む。ここならたぶんどこかのタイミングで見つけてくれるわ。前世だと親孝行する前に死んじゃったからね。少しでもリカバリーしないと。


「ウヒヒ、これでよしと。……あ、最後にもう一つ!」


 えーっと、あったあった! はい、仏壇で自分の戒名を確認。死亡確認! 事は済ませた。長居は無用、立ち去るべし。


「見納めね……」


 外に出た私は、改めて実家をまじまじと見る。見てしまう。もう忘れていたと思っていたけれど、忘れることなんてできない。


「外人さん? あの……、うちに何かご用かしら?」


 ふと、後ろから中年女性に声を掛けられる。買い物から帰ったのか、手にはマイバッグだ。


「ごめんなさい。素敵なお家だなあって思って」


 振り返らない。振り返ると私は進むことができなくなってしまう。


「まあ、ありがとう。日本語お上手なのね」

「ウヒヒ、ありがとうございます」


 まあ前世日本人ですけどね。なんか褒められたのなんて久しぶりな気がするわ。


「ウヒヒ……? 貴女、もしかして……いえ……そんな……」


 ――あ。


 けれど振り返らない。今の私は“紅蓮の公爵令嬢”レイナ・レンドーンだ。もうブラック社畜ではなく、いわゆる悪役令嬢なのだ。


「いつまでも……、お元気で。どうかご家族皆さん、お幸せに……。……それと! マットレスの間、見た方が良いと思います!」

「……それってどういう?」

「本当にお元気で! さようなら!」


 そう言って私は走り出す。振り返らない。振り返らない。後ろ髪を引かれるとはまさしくこの事だけれど、私は振り返らない。


 今の私は超速スプリンターお嬢様のレイナ。目から熱い何かがこぼれ落ちるのなんて気のせいだ。


 わたしの――わたくしの帰る場所は――!

 帰らなくちゃ、進まなくちゃ、私に立ち止まっている暇はない。きっと今頃ディランやみんなは戦っている。アリシアは大けがをしていたし、いくら回復魔法が存在するからって心配だ。


 だから私は進まなくちゃ。過去を捨てるわけではない。過去を背負って私は進むんだ。この街は護るし、マギキン世界のみんなだって……!


「はあ、はあ、はあ……。オーホッホッホッ!」


 誰に聞かせるわけでもない決意のお嬢様高笑いが、福博の街に木霊こだました。

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