第77話 雨の森で踊る凶獣

「よーし! 全体停止、しばし休憩!」


 コンラッド教官の号令が響き渡り、魔導機を制止させる。

 ふう、と長めに息を吐くと、私の身体から久しぶりに緊張が抜ける。

 行軍が始まって早数時間。道のりをとりあえず半分まで来たところだ。


 しかしこの魔導機の操縦席というものは実に暑いわ。

 快適性は大いに難アリね。


 幸い休憩中に魔導機から降りることを許されているので、駐機状態にさせて外に出る。

 周辺を警戒する役目はコンラッド教官たち監督官と、休憩ごとに指名される三名によって行われる。まあ、ただの行軍訓練だから警戒なんてしても敵は来ないんだけれど、そこはそれも含めて訓練だからね。


「ふう、生き返るわ」


 季節はもう冬に近い。魔導機から降りると、冷たい風が私の頬をなでる。

 既に学校から遠く離れた林の中。いつもの喧騒とは違った静けさが支配している。


 レイナ・レンドーンに転生してからというもの、私の周りには常に人がいる。


 それは側付きメイドのクラリスだったり、私を優しく見守ってくれるお父様お母様だったり、すっかり友人となった攻略対象キャラだったり、取り巻きではなくお友達になったリオとエイミーだったり、シナリオから大きく外れ私を慕ってくれるようになったマギキンの主人公であるアリシアだったりだ。


 ぼーっと水たまりを眺めていると、みんなの笑顔が思い浮かんでくる。

 大好きな乙女ゲームの世界――けれども私の知っているマギキンとは大きく違う世界でいままで楽しく過ごせてきたのは、おのおとぼけ女神に貰った魔力チートのおかげじゃなくて、みんながいてくれたからだ。


 無間地獄むげんじごくさながらのブラック労働で心も体もすり減っていた前世の頃には考えもしなかった。

 私は今、多くの人と一緒に生きている。


 あー、なんかふと前世の事を思い出してしまった。私って死んだのよね?

 私のお葬式ってどんなのだったのかしら?

 お父さんお母さんは悲しんだ?

 そうよね。先立つ不孝をお許しください。


 まあしっかり者のお姉ちゃんがいるから大丈夫か。

 皆さん、私はこの世界で元気にやっています。一応。


 あ、私は過労死だから会社は損害賠償を私の両親に払え。

 そしてセクハラパワハラの禿上司は香典百万くらい包め。


「あの、レンドーン様……」


 突然話しかけられて、私の意識は記憶の海から浮上する。

 立っていたのは同じ班の女の子。私は記憶をたどって彼女の名前を探す。


「え? あ、えーっと、あなたはスタッシさん……だったかしら?」

「はい、そうです。セリーナ・スタッシですレンドーン様」


 そうそう、セリーナ・スタッシさんだわ。

 赤毛で小柄な身体の可愛らしい女の子だ。


「どうしたの? 何かご用かしら?」

「は、はい! あの、はお助け頂いきありがとうございます!」


 とは、ここにいたるまでの行軍中に起こった出来事の事だ。

 雨上がりのぬかるみで足を滑らせた彼女の魔導機を、私がとっさに支えた。私の乗る〈トレーニングイーグル〉はカスタムされているから、他の機体に比べてはるかにパワーで優れるわ。だから一機支えるなんてわけのない事よ。


「気にしないでちょうだい。困っている時はお互い様ですわ」


 シリウス先生には班員が困っていたら助けるよう言い含められている。

 それに言われていなくても私は助ける。

 だって私は悪役令嬢のレイナではありませんから。イエス親切心。


「まだ何かご用かしら? ……いえ、言い方が悪かったわね。怖がらせちゃったかしら?」


 公爵令嬢としての振舞いとフレンドリーさの両立は難しいわ。

 スタッシさんを怖がらせちゃったかしら?


「い、いえそんなことは……。私はレンドーン様がカッコいいと思います!」

「私が……カッコいい?」

「はい! 何でもおできになるのに、それを鼻にかけないでさっきみたいにお優しい。そして何より気高くお美しい。それがカッコいいと思っていました……!」


 スタッシさんはそう一気に言った。エイミーやアリシアから褒められるのは慣れているけれど、こういう予想外に褒められると恥ずかしいわね。


「ウヒヒ、褒め過ぎよう」

「そんなことはないです。レンドーン様は高嶺たかねの花です!」


 高嶺の花!?

 正直に言って、前世の私には程遠い称号だった高嶺の花とおっしゃいましたか?

 なによこの子、すごく良い子じゃない!


「ウヒヒ、ありがとうスタッシさん」

「い、いえ。こうやってレンドーン様とお近づきになれてよかったです」


 モブだなんて思ってごめんなさい。この世界だとみんな生きている。

 新しい出会い、新しい感覚は大事ね。


「コンラッド班、出発するぞー!」


 おっと、もう休憩は終わりみたいだ。

 これからまた蒸し暑い魔導機での行軍ね。


「スタッシさん、出発の準備をしましょう」

「はい! ではまた」



 ☆☆☆☆☆



 その日は今にも雨が降りそうな曇り空だったけれど幸いにも雨は降らず、トラブルらしいトラブルもないまま予定通り夕暮れ前には野営予定地へ到着した。


 野営地で各自機体のチェックを終わらせた後は、各自当番に分かれて作業を行う。

 私は炊事すいじに立候補した。スタッシさんも一緒だ。

 担当教官のノーラは気さくな女性で、積極的に会話でコミュニケーションをとってくれた。


 この行軍演習のメインはあくまで魔導機を適切に運用できるかなので、夜は普通に焚火たきびを囲んでみんなで食事を食べる。一応交代で起きて夜の見張り番なんかもするけれど、気分的には前世でのキャンプに近い。


 お坊ちゃまお嬢ちゃまの中には野宿なんて言語道断……という人もいるかもしれないけれど、私はすっかりこの”楽しいハイキング”を満喫していた。


「隊長はあんな顔してるけど、本当は気さくで優しいのよ」

「えーっ、本当ですか!?」

「こらノーラ! 緊張感がなくなるからそのことは言うな!」

「えーっ、いいじゃないですか」


 私もスタッシさんが間に入ってくれたことで、みんなの輪の中に入れた。ノーラは私の料理の手際を褒めてくれたし、コンラッド隊長やみんなも私の料理を美味しいと褒めてくれた。


 明日の復路も問題なく終えて、このまま新しい知り合いを得た良い思い出になってくれればいいのだけれど。そんな事を考えながら、私は硬い地面を背に眠りについた。もし晴れていたら満点の星空だったでしょうに――。



 ☆☆☆☆☆



 明けて次の日。

 空は引き続きの曇天どんてん

 でも後は帰るだけと考えると心なしか足取りは軽い。


 陣形は往路と同じく先頭にジョナス機、遊撃にノーラ機。そして最後尾にコンラッド機がついて、私は後ろのグループだ。横にはスタッシ機が並んでいるわ。


「あ、雨」


 ぽつりぽつりと、空から雨が降り始めた。

 まだ小雨こさめだけれど、この雲を考えたらすぐに強くなるかもしれない。


「雨が降り始めたぞ! 足元に気をつけろ!」

「はい!」


 コンラッド隊長から注意の言葉が飛び、生徒たちが返事をする。

 エイミーの魔法による魔導機同士の通信はまだ一般化されていないので、ただ叫んでいる感じだ。


 何か、何か森が騒がしいような気がする。

 そう思った時だった。


 ――ゴゴッ、ガンッ!


 そんな鈍い音が前方から響いた。


「なんだ? おいノーラ、トラブルかもしれん。確認を頼む!」

「了解しました!」

「後方メンバーは俺の元に集まれ」


 コンラッド隊長の指示に従ってノーラは前に出、私たちは隊長の元へと集まる。

 なんだろう、何かあったのかな?


 ――ゴンッ、ガシャッ!


 また森の中に金属がぶつかり合う様な音が聞こえる。

 なんだか聞いたことがある音だ。もしかしてこれは――。


「この音はもしかして戦闘か? ――ッ! ノーラ!」

「た、たいちょ……敵襲です!」


 前方から後退してきたノーラ機は既にボロボロだった。

 右腕は切断されており、フレームのあちこちはひどく歪んでいる。


「敵は!? 数は!?」

「敵は……、一機」


 そこまで言うと、ノーラ機は力尽きたようにガシャリと崩れ落ちた。

 前方の木々が揺れ動く。襲撃者がやってくる。


「……。お前ら、来た道を戻って撤退しろ! ここは俺が引き受ける!」

「わかりました、いくわよみんな! スタッシさん!」

「……は、はいレンドーン様!」


 みんな突然の実戦に動揺して固まっている。

 恐怖は振り注ぐ雨よりも冷たい氷水の様に全身を流れ硬直化させる。

 私は大きな声を出してみんなを動かそうとする。けれど――、


「――来る! あ、あれはこの前の漆黒の!」


 森の中から現れた襲撃者は、エンゼリア襲撃事件の時に戦った相手――パトリックが言うには確か〈シャッテンパンター〉。影の黒豹。


「クソッ! おい、ヒヨッコ共は早く逃げろ! 飛んでけ《岩石》!」


 そう叫びながら、コンラッド隊長は敵目掛けて魔法で岩を放つ。

 〈シャッテンパンター〉は軽々それをかわすと一歩踏みしめた。その一歩だけで、デタラメな加速を得てコンラッド機に接近し、ハルバードの一閃で切り伏せた。秒殺だ。


「う、うわああああああああああッ!」


 誰かが叫んだ。恐慌は伝染する。

 操縦に慣れない生徒たちは操作を誤り転倒する。


「みんな落ち着いて! 早く逃げて!」


 私はスタッシ機を助け起こしながら叫ぶけれどもう遅い。

 一機、二機、三機。黒い影が蠢くと、そのたび味方が刈り取られる。

 瞬く間に私たち以外の〈トレーニングイーグル〉は地に伏した。


「みんなをよくも! 《火球》!」


 私の放った魔法は簡単に避けられ、空で炸裂した。

 この足場の悪い雨の森で、まるで踊るようにステップを踏んでいる。


 ――こいつ、この前よりも動きが良い!?


「スタッシさん、逃げて!」

「わかりました! ごめんなさい、レンド――」

「セリーナ!」


 セリーナが最後まで言葉を発することはない。

 その前に接近した〈シャッテンパンター〉に機体が吹き飛ばされてしまった。


 恐ろしい敵だ。この前はアリシアの魔法による援護で何とか勝てた。

 けれど今回は私一人だけ。

 班のみんなも、生きているか死んでいるかすらわからない。


 雨足あまあしが強くなる。雷鳴が鳴り響く。

 緊張が私の身体を支配する。今朝食べた物はもう喉の先まで上がって来そうだ。


 漆黒の機体が構える凶悪な獲物が雷光を反射して光り輝いた。いえ、あいつは機械じゃない。そうは見えない。あれは影の黒豹シャッテンパンター――獣だ。凶悪な猛獣だ。そしてあれは獲物に突き立て狩るための牙だ。冷たい森の中、私は一人凶獣きょうじゅうと対峙している――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る