第18話 より良い衣服を求めて

 その日の箱庭内は生憎の雨だった。


 箱庭内にも雨は降る。どういう仕組みなのかはわからないが、定期的に雨が降るのだ。


 雨というのは、自然に様々な恩恵をもたらすと言われている。そう考えると、今ポツポツと降っている雨を、"生憎"と表現するのは適切ではないのかもしれない。


 また、箱庭内で降る雨は、大雨による洪水などの心配はしなくても良い。量も時間も適度な雨が降るのだ。


 本当に、箱庭様様である。


 ちなみに、雨が降る日も、降るのは必ずどこか一エリアで、草原エリアに雨が降っている時は、森林エリアを含む他エリアでは絶対に雨が降らないようになっているらしい。


 故に、どうしても雨が嫌なのであれば、他エリアに移動してしまえば良いわけだ。


 こういう雨の日の俺とアルファは、森林エリアに移動するか、家にいることが多い。


 今日の場合は後者だ。


 アルファは、俺の誕生日のあの一件以来、小物作りや手芸にハマったらしく、今は編み物をしている。


 そんなアルファを横目で見ながら、俺は何か良い魔物はいないだろうかと、魔物育成キットの取扱説明書のページをパラパラ捲っていた。


 俺がページを捲る音と、時計の音、そしてアルファが編み物をする音しか聞こえない。


「ワオォォォォォォォオン!!」


 失礼、狼の遠吠えもだ。


 何が言いたいのかといえば、この静かで何の変哲もない時間が俺は好きだということだ。



「ん?」


 とあるページで、俺の手が止まった。


 気になる魔物がいたからだ。


 その魔物というのはブラックスパイダー。


 蜘蛛型の魔物である。



 ◆◇◆◇◆




 ブラックスパイダーは一メートルを超える体長と、八本の脚を持つ巨大な蜘蛛型の魔物である。


 漆黒の体と赤い八つの目を持つのが特徴で、糸を出し、その糸で巣を作ることができる。


 食性は肉食であり、狩りは基本的にはせず、巣にかかった獲物を食すことが多い。


 魔物の中では珍しく、雌しか存在しない。単為生殖が可能である。


 一度に千にも達する数の卵を産むが、産まれたばかりの子ども達を戦わせ、より強い子どものみを選別する。

 結果として、無事成体となるのは五十にも満たない数しかいない。


 ブラックスパイダーの幼体は、ベビースパイダーという魔物である。


 また、ブラックスパイダーの出す糸は高級品であり、人間種族間でも高値で取引される。




 魔物育成キット取扱説明書 『【生】の書』

『ブラックスパイダーの生態』より抜粋―――。




 ◆◇◆◇◆



「と、いうわけで、糸を使わせてもらいたい。頼めないか?」


 俺がそう言うと、脚を一本上げて「分かった」という意味だろうジェスチャーをするブラックスパイダー。


 名前はヨミだ。


 ちなみにステータスはこんな感じ。


 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 種族:ブラックスパイダー


【体力】:D


【攻撃】:D


【防御】:D


【魔力】:D


【魔耐】:C


【敏速】:D



【総合】:D


 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 蜘蛛が苦手な人であれば、巨大な蜘蛛が前脚を振り上げるというその光景は恐怖を体現したものであろうが、幸いにも俺は蜘蛛は嫌いではない。むしろ、微笑ましいとさえ思える。


 俺がこの世で嫌いな生き物は「ゴ」で始まって「リ」で終わる、素早く動き、何故か潰そうとするこちらへ向かってくる黒光りのアイツだけだ。


 さて、そもそも今回ヨミを創造した理由は、取扱説明書の「ブラックスパイダーの出す糸は高級品であり、人間種族間でも高値で取引される」という一文を目にしたためだ。


 これを読んで俺は思ったわけだ。


 ブラックスパイダーの糸はアルファの手芸にも使えるのではないかと。


 アルファにはいつも助けられているし、感謝している。


 だから、たまにはそのお返しでもできればと思ったのだ。


 そして、どうせするならサプライズでしたい。


 故に、ブラックスパイダーの創造と森林エリアへの案内、そして先に創造した魔物達への顔合わせは俺一人で行った。


 全ての作業を一人ということに少し不安になったが、無事全ての過程を終えることができた。


 ツキヨとヨミの仲が少し険悪かに見えたが、概ね問題は無いだろう。


 喧嘩とかはしないでくれるといいんだが……。


 "一人"というのが原因でこんな気持ちになるのなら、話し相手も兼ねてアインスでも連れてくるべきだっただろうか……。


 でもなぁ……アイツ口軽そうなんだよなぁ……。


 分かるかな?こう「秘密」って言われると、誰かに言いたいオーラを身体中で表現しちゃう奴。


 それで、その姿に見兼ねた誰かが「何かあったの?」って聞くと「ああ、実はな……おっと、これは秘密なんだった」とか言っちゃうんだよな。


 しかも、「なんだよ、教えてくれよ」ってちょっと押されると、「えぇ〜、全くしょうがねえなぁ。ここだけの秘密だぜ?」ってポロッと直ぐに得意気に話し出すんだよ。

 いやいやお前、元々話す気満々だっただろそれ。っていうさ?共感してくれる人いると思うんだわ。


 え?お前友達いなかったのに何でそんなこと分かるんだって?

 今は亡き我が愚弟ディンがそのまんっまそのタイプだったからだよ……。


 アインス君からは微妙に同じ匂いがする。そう考えると、やっぱりなしだな、うん。俺の判断は正しかった。


 え?お前もその類じゃないのかって?はっはっは、何言ってんだ。ぶっ殺すぞ。


 でもまぁ、なんというか……。俺は気がつかないうちに、孤独というものに対する耐性がめっきり無くなってしまっていたらしい。


 ようやく手に入れた『孤独ではない環境』を大切にしよう。改めてそう思った。



「んじゃ、また一週間くらいしたら来るから。できるだけ糸を溜めておいてくれ」


 俺はヨミにそう言って、その場を後にした。



 ◆◇◆◇◆



 あれから一週間が経った。


 その日もまた、草原エリアは雨だった。


 俺はあれから一週間、アルファをヨミの行動範囲内に入れないように苦心し、なんとかバレずに今日という日を迎えることができた。


 さて、ヨミはちゃんと糸を溜めてくれているだろうか。


 期待と不安が入り混じった変な気持ちになりながら、俺は森林エリアのヨミが暮らすエリアに到着した。



 □



 ソレを見て、ディロは思わず固まってしまった。


 彼は本来、蜘蛛が苦手な人物ではない。


 また、彼は生まれた時からダンジョンで暮らしてきた魔族であり、無能認定を受けていた当時は、ダンジョン内の掃除をさせられる事も多かった。更に言えば、今は魔王である。


 グロテスクな光景など何度も目にしていて、むしろ見慣れていると言ってもいい。


 しかし、そんな彼をもってしても、その光景は些か刺激が強すぎたようだ。


 そこに広がっていたのは、巨大な蜘蛛の巣。


 無数にある木と木の間は、どれも蜘蛛の糸がピンと張られている。


 また、どうやって作ったのか、何に使うのかはわからないが、地面には簡易的な木製の椅子や机、その他の家具があった。


 その様相は、巣と表現するよりも、家と表現するのが正しいように思える。


 しかし、ディロが目を奪われたのは、それらの光景ではない。


 彼が目を奪われたのは、地面を埋め尽くすほどの蜘蛛蜘蛛蜘蛛蜘蛛蜘蛛蜘蛛蜘蛛蜘蛛蜘蛛蜘蛛蜘蛛。


 地面には、千にも達する数の拳大より少し大きい程度の大きさの蜘蛛がひしめき合っていた。そして、互いに互いを喰らいあっていたのだ。


 一匹の蜘蛛が別の蜘蛛の脚を喰らう。その喰らった蜘蛛の腹部を今度はまた別の蜘蛛が。その蜘蛛の頭部を更に違う蜘蛛が。


 その様子をひとことで表現するならば、弱肉強食という言葉がまず真っ先に思い浮かぶだろう。


 ディロは、ブラックスパイダーのその性質を知ってはいた。しかし、百聞は一見にしかずという言葉があるように、知っているのと見るのとでは、受ける衝撃が全く違った。


 その光景を初めて目にして、何の感情も抱かずにいられる人物は、果たしてどれだけいるのか。


 そんな人間がいるとすれば、余程の物好きといえるだろう。はたまた、狂人の類か。


 そう考えれば、仮にも魔王たるディロが思わず固まってしまったのも、しょうがないといえるのかもしれない。


 ソレは、それほどの光景であった。



 □



 俺がヨミが暮らすエリアに入って目にしたのは、共喰いしている拳大の大きさの無数の蜘蛛だった。


 やっべえよ。


 何コレ。


 軽くトラウマになるよ?


 うわー、これは夢に出そうだ。


 いやね?知ってはいたよ?


 取扱説明書いつものに書いてあったから。


 でも実際に見るのは全然違うわ。何これ、グロすぎるよ。本気マジで。



 余談だが、ブラックスパイダーの幼体がベビースパイダーであるという発見が、エドガー達四人が「魔物進化説」を提唱するきっかけになったそうだ。


 なんでも、ベビースパイダーは魔物の中でも進化しやすい種族のようで、余分な魔力を吸収されるダンジョン内でも、自然とベビースパイダーがブラックスパイダーに至った前例が何度かあったらしい。


 彼らも最初は、ベビースパイダーが成長してブラックスパイダーになるのだと考えたようだ。


 しかし、いくら探しても見つからなかったのだ。ベビースパイダーとブラックスパイダーの中間の個体が。


 これは一体どういうことかとなった結果立てられた仮説が、「魔物進化説」というわけだ。


 これも取説様に書いてあった。


 それにしてもすごいと思う。


 普通、「なら魔物って進化で成長してんじゃない?」とはならないだろ……。やっぱりあの四人は天才キチガイだな。


 閑話休題。



 そういえば、ヨミはどこだ?


 あ、いた。こっちに手振ってる。


 こっちに来いってことか?


 でもさ、まず言わせてほしい。


 地面一面蜘蛛なんだわ。


 どうやってそっちまで行けばいいの?



 ◆◇◆◇◆



 結果的に、ヨミから糸を貰うことはできた。


 それも、予想よりも量はかなり多く、持ち運びやすいようにするためか、木で糸巻きまで作ってくれていた。


 ヨミは頭もかなり良いらしい。


 そして、それを渡したアルファも、「うわー!すごい綺麗な糸ですね!え、これ貰っていいんですか?プレゼント……?ありがとうございます!ディロ!嬉しいです!!」と、喜んでくれた。


 もうその笑顔だけでトラウマという代償を背負った甲斐があったよ……。


 アルファへのヨミの紹介も、例の惨劇が起きていない時を見計らって無事済ませることができた。


 あのトラウマを背負い込むのは俺一人で充分だぜ本当に……。


 え?ところで今着ているそのセーターは何だって?


 よくぞ聞いていてくれました!


 ヨミの糸を使ってアルファが編んでくれた手編みのセーターである!!


 ちなみに着心地は最高だ。


 しかも魔法耐性も高い。


 ……何だよ、その目。


 あげねえからな?

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