第8話 誕生日と異変
怒涛の四ヶ月が過ぎ、俺は今、アルファに呼び出されていつもの牧場エリアにある家へと向かっている。
もう日は落ちて夜七時を回ったところだ。この箱庭の昼夜は外の時間と連動しているので、こちらの世界でも偽りの月が顔を覗かせている。
なぜこんなことになっているのかというと、昨日、アルファに言われたのだ。明日の夜七時、歩いてこの家まで来いと。
しかし、一体どうしたのだろうか。怒らせたわけじゃないと良いんだけど……。
それにしても、不気味なほど静かだ。いつもなら真っ先に駆け寄ってくるウルフ達もおらず、馬や牛と言った家畜達の鳴き声が僅かに聞こえてくるだけ。
少しの不安に襲われながら、俺は恐る恐る家の扉を開けた。
――ガチャ
「…………おたんじょうびっ!おめでとうございますーっ!!」
「「「「「わっふーーーん!」」」」」
「「「「「グギャッギャッギャー!」」」」」
一瞬の静寂の後に言われた言葉に、思わず呆然としてしまった。
誕生日?誰の?ああ、俺のか。
今までまともに祝われた事が無かったから自分でも忘れていた。
そういえば前にアルファに聞かれて話した事があったっけ。
覚えててくれたのかぁ……。
はは、ウルフ達だけじゃなくて、ゴブリンやコボルト、オークの皆も家の裏に隠れてたのか。
そっかぁ……。皆、俺の誕生日をお祝いするために集まってくれたのかぁ……。
「これ、プレゼントです。確か、誕生日にはプレゼントを渡すんでしたよね?まあ、あまり上等な物ではありませんが、私なりに一生懸命作りました。喜んでいただけたら嬉しいです」
そう言ってアルファが俺に差し出したのは、箱庭で暮らす魔物達の抜け落ちた牙で作ったと思われるブレスレット。
確かに歪で、決して上等な物とは言えないだろう出来だ。でも、このブレスレットにはアルファが慣れないながらも試行錯誤した努力の跡がハッキリと見えた。
喜んでくれたら嬉しい?馬鹿言え。こんな物渡されて、喜ばないわけないじゃんか。俺にとってこのブレスレットは、どんな高価な宝石よりも価値があるよ。
そんな事を思いながら、俺はブレスレットを腕につけた。
その時、俺の頬を上から下に、何かが通り過ぎた。
え……。あれ……?なにこれ…………?
「……え、ディ、ディロ、泣いてるのですか?」
変だな。なんでこんな……勝手に。しかも止まんないし。うわあ……なんか情けねえなぁ。
「こんな風に……誰かに誕生日を祝ってもらうことなんて……今まで無かったからさ…………」
でもなんだろう。本当に嬉しい時って、言葉が出なくなるんだな。ああ……俺は今、本当に幸せだ。
それから俺は、アルファが作った料理を食べて、ウルフ達をもふもふし、ゴブリン達と騒ぎ散らした。
俺の今までの人生で、最も騒がしい夕食も一段落つき、俺はアルファと二人で並んで草原に寝っ転がっていた。
目の前に広がる星空は、この場所が人の手によって作られた空間である事を忘れそうになるくらい美しく輝いていた。
「アルファ、今日はありがとうな」
「なんですか急に。水臭いですね」
「でも、思わずそう伝えたくなるくらい嬉しかったんだ」
「そうですか。喜んで貰えたなら良かったです」
アルファは寝っ転がった体勢のまま、こっちを見て思い切り笑った。
その笑みは、広がる星空と相まって一層美しく見えた。
そして、再び星空に顔を向けてポツリポツリと語りだした。
「私、三百年ここに一人でいたじゃないですか。実は寂しかったんですよ、かなり。でもですね、ディロが来てからは毎日本当に楽しいんです。だから、これはその……お礼も兼ねているというかなんというか……。まあ、これからもよろしくお願いしますという事ですね」
所々声が小さくなりながらも語る彼女の頬は、ほのかに赤く染まっていた。
「俺も同じだよ……。アルファと出会ってから毎日が本当に楽しいんだ。だから、こちらこそだ。アルファ、俺と友達になってくれてありがとう。アルファと出会えて本当によかった」
自分はこんなキャラじゃないと思いながらも、俺はそんな気障なセリフを口にした。
俺の、できる限りの感謝と親愛の気持ちだ。
俺が今、この箱庭の中の世界で幸せを感じ、その事にこの上ない程の満足感を得ている事を、俺の兄弟達が知れば、外の世界からの逃げだと非難するのかもしれない。
でも、それでいい。その上で、心地いい。
俺はこの小さな白いドームの中にあるちっぽけな幸せを、もうどうしようもないほどに堪らなく愛おしく思ってしまっているのだから。
こうして、俺の十八回目の誕生日は、忘れられない最高の一日になった。
ただ、とりあえずは家の影からこっちを見てニヤニヤ笑っているゴブリン、コボルト、オークにウルフ達に文句を言いたい。
いつからお前達はそんな人間味溢れるようになったんだよ。
しかし、この時は思ってもみなかった。まさか、平和な箱庭の外にあるダンジョンでは、あんな事になっているなんて……。
◆◇◆◇◆
男は走っていた。ただただ走っていた。
男の名はガルド・ディスペリ。
現在ディロが暮らすダンジョンのダンジョンマスターを務め、ディロから魔王と呼ばれる男である。
男はかつて、同じ集落で暮らしていた同胞達と共に、人間種族から時に隠れて、時に逃げ回って暮らしていた。
男は弱者だった。世の中に、搾取する者とされる者が居るとすれば、男は紛れもなく搾取される側の存在だった。
しかし、そんな生活は数十年前に終わりを告げた。
無人のダンジョンを発見したのだ。
男は決して強者では無かったが、同胞達の中では最も強かった。
故に、男は魔王となった。
始めは何をすればいいのかも分からなかった。ダンジョンに人間種族が攻めてこないか、ダンジョンに創造してもらう物は本当にこれでいいのか。
根本に染み付いた臆病な感情というものは簡単に拭い取ることができるものではなかった。
しかしある時、男はダンジョンに侵入した人間を魔物等を使って撃退することに成功した。
その時、男は確信した。
自分は強者になったのだと。
自分は搾取する側の存在になったのだと。
それから男は変わった。
男は自分に自信を持てるようになり、尊大な態度で振る舞うようになった。
魔族として産まれた男は、産まれて始めて生を謳歌できるようになった。
男は、これからもずっと自分が強者として振る舞うことができるはずだと信じて疑わなかった。
そう、できるはずだったのだ。
では、今はどうだ。
自分を追う存在から逃げ回ることしかできない。
これではかつての自分と何も変わっていないではないか。
自分を追う存在――銀色の鎧を纏い、剣を携えた人族の剣士。
その存在に、沢山の同胞が斬られた。
突然の人族の軍隊による奇襲。
魔物による防衛は簡単に突破され、最下層に暮らす魔族達は全く対応できなかった。
魔王であった男は、得意の魔法を使って応戦した。
自分でも、決して負けていなかったと思う。
しかし、その存在が出てきてから状況は一変した。
――勝てない。
そう確信した。それほどまでに、その存在が纏っていたオーラは強者のそれだった。
実際、自分では歯が立たなかった。
こうして、今は必死に逃げている。
どうにかして生き残るために。
しかし、現実はそう甘くない。
男は辿り着いてしまったのだ。ダンジョンとやり取りを行うために日常的に訪れるその場所――最深部に。
もうこれ以上、逃げ回ることはできない。
今にして思えば、最初からここに逃げ込むように誘導されていたのかもしれない。
だが、今はそんなことどうでもいい。
大事なのはどうすれば生き残ることができるかだ。
「我ガ主!オ下ガリヲッ!!」
そこへ乱入してきたのは、男にとって最も信頼できる存在――ミノタウロスだった。
男は笑みを浮かべた。自分とミノタウロスの二人がかりであれば、この剣士にだって決して負けることはないと思ったからだ。
しかし――。
その剣士が浮かべていたのもまた、笑みだった。
男は目を見開いた。
その剣士が自分の前に出たミノタウロスを越え、あっという間に眼前へと迫っていたからだ。
そして振り下ろされるロングソード。
男はその一瞬がとても長く感じた。
チラリと目を向ければミノタウロスの頭と胴が分かれている。
いつの間に斬ったのだろうと、今となってはどうでもいい事を考えてしまう。
剣士が振り下ろしたロングソードが己を斬り裂くその瞬間、漸く男は思い出した。
――自分は弱者であったのだと。
□
「魔族の掃討完了致しました」
「ご苦労」
ガルド・ディスペリの首を斬り落としたその剣士――ガルプテン王国軍副兵士長フェリックス・ブリーマーは部下の報告を聞いて、事もなげにそう返した。
「では、見張りのために兵士を何人か置いて報告に戻るぞ」
「はっ!」
それにしても手応えがなかったとフェリックスは思う。
フェリックスは世界的に見ても間違いなく強者に属するだろう。
そんな彼にとって、出てくる魔物の殆どがEランクの迷宮を攻略するなんてことは些か簡単すぎた。
まあ、所詮推定難度【下等級】の迷宮か。そう思いながらフェリックスは踵を返した。
こうして、ディロが生まれ育ったダンジョンは、ディロが知り得ぬところで壊滅したのだった。
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