Track.8-16「いきなり古傷抉って来るんすね」
◆
12月26日――
半信半疑だったが夷の言葉は嘘ではなく、茜が参加した最後の定例会議から本番日を迎えるまでの間、一度たりとも襲撃は無かった。
つつが無く全てが順調だ。
未成年者が殆どだが、
その熱は観客席を超えて場外に配置された警護員たちにも伝搬し、ほぼ全戦力を投入したクローマーク社の魔術士たちと
「お疲れ様でした!」
「ありがとうございました!」
「明日もよろしくお願いします!」
スタッフたちに挨拶を告げて会場を出る
彼らの幾人かは舞台袖や観客席で実際にライブを観た者もいる。無論周囲の警戒を怠ることは無く、しかしその凄さに圧倒されもした。
(これはもう――守り切るしか無いな)
(こんなん見せられたら、負けるわけにはいかへんな)
それはクローマーク社の魔術士も、
本番日の配置はそれまでのメンバー別の警護とは異なり特殊な形だ――いや寧ろ、その配置こそが本来のあるべき姿。
調査チームごとにエリアを担当するという形。
WOLF、FOWL、FLOWのそれぞれ1stチームが観客席や舞台袖と言った場内を担当し、2ndチームが外周、3rdチームが屋上に配置された。
そしてライブが終わり
土師はららに就く茜は会場近くのホテルの部屋に入り、はららがシャワーを浴びている間にスマートフォンの通知をチェックした。
「やっぱ無いっすね」
『だろうな』
無線式インカムのイヤホン部からは冷静な航の声が聞こえて来る。茜が確認したのは、襲撃者からの何かしらの連絡だ。
その一人である
しかし襲撃前夜、茜に来た連絡はゼロ――招き入れられたが、やはり茜は同士とは認められていないことは明らかだ。
『引き続き警戒、何かあったら些細な事でも報告するように』
「へいへい、了解」
通話を切り、茜は備え付けの椅子に腰を落ち着けた。ほぼ同時に、シャワーを浴び終えたはららがパジャマ姿で脱衣所から出て来る。
「……ねえ」
それは思いがけないことだった。魔術警護の間――彼女が襲撃者側だと分かってからも――はららが茜に自ら声をかけたことは一度も無かったからだ。
「……何すか?」
「あ、答えてくれるんだ……」
「そりゃあ話しかけられたら返すのが筋でしょ」
「そうだよね、私てっきり、あなたのこと怖い人だと思ってたから」
「怖い人っすか……あながち間違っちゃいないとは思いますけど」
苦笑すると、はららはベッドに腰かけてとても柔らかな笑みを湛えている。これまで見たことの無い表情に茜はほのかに面喰った。
「もしかして、あなた結構話しやすい人?」
「どっすかね……でも、
「そうなの?」
「そうっす。双子の妹がいるんですけど、妹がアイドルとかめっちゃ詳しくて――一昨年の今頃っすかね?失恋したんですけど、そしたら
「一昨年の今頃って言うと……『アイじゃなくても』?」
「あー、それっすそれっす!」
今度ははららが面喰う番だった。警護員ゆえの険しい顔つきから一変した綻び。その表情はこれまでに何度も顔を合わせてきたファンの表情にとても似通っていて、全面に押し出される好意の圧が不思議と心を弾ませる。
「安芸さん、だっけ」
「あー、オレの方が年下ですし、別にさん付けじゃなくてもいいっすよ」
「じゃあ――安芸ちゃん?茜ちゃんがいい?それとも皆みたいに、私もアッキーって呼ぼうかな?」
「好きなように呼んでいただければ――土師さんのことは土師さんでいいですか?」
「茜ちゃんって呼ぶから、私のこともはららちゃんとかで」
「流石に年上の方にちゃん付けは無理っすよ」
襲撃前夜だと言うのにこんなに楽しそうにお喋りしていいのだろうかという疑念は
警戒のために
「失恋した人ってどんな人だったの?」
「いきなり古傷抉って来るんすね」
「えー、まだ引き摺ってる?」
「いや流石にそれは無いです」
「じゃあいいじゃない。教えて?」
「うー――」
一昨年の冬に振られた時のことが、嫌でも脳裏に浮かぶ。甘酸っぱいと言うには些か酸味と苦味の強い、檸檬のような記憶だ。
しかしそれはあくまで憧れだ。彼の何を好きになったのか――改めて思い返してみれば、不思議と首を傾げたい気持ちに襲われた。
「……よくよく考えると、案外分からないもんっすね」
茜の出した結論にはららは目を細めてにこりと微笑む。
「今は恋してないの?」
そして問われたその言葉に、茜は虚空に視線を投じて自問した。
「恋とは、違うかもしれないですけど――好きな人はいます」
「どんな人?」
自問の内容とは誰かではない。その名を言うべきかどうか、だ。
だが彼女は告げることを選択した。そうしなければならない衝動が黒く暗く渦巻き、立ち昇ったのだ。
「あなたに
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