Track.7-25「友達じゃないのかしら」

 計画性の無い行動のその多くは頓挫するものだ――それは共同体コミュニティでの生活を余儀なくされたトリが新しく学んだ事実だった。

 狩りを行うトリと、交流を担当する少女。役割を分担した二人は当初、自分たちはうまく人間社会に溶け込んだと錯覚していた。

 しかし彼らは社会というものが孕む規律ルールを知らない。知らないが故に、狩りで得た肉や獣皮などの素材を売り払って生計を立てようとしたした際にそれを侵してしまっていたことを思い知らされ、追われる羽目になる。


 小さい共同体コミュニティ――街よりは町、さらに言えば村や集落――であればあるほど、狩人たちの狩場という半ば縄張りのような規律ルールがあり。

 大きな共同体コミュニティになると、今度は商売を行う際に商会に加入している必要性に迫られた。


 幸いだったのは、彼ら二人が一箇所に定まらず共同体コミュニティから共同体コミュニティへと渡り移ろっていたことだ。もし留まっていれば、いずれ捕まり、よくて鳥籠戻り、悪くて死体となっていただろう。


 やがて社会に溶け込むことを諦めた二人は、人里離れた山や森を強行するようになった。そしてそうなると途端に少女にガタが訪れ、旅速はがくんと落ちる羽目になる。


「ごめん、なさい……」


 その日も、日照りに晒されながら荒野を進んだおかげで少女は脱水症状を起こし倒れた。か細く軽い肢体を背に負いながら天然の洞穴へと辿り着いたトリもまた、疲労を隠し切れない。

 この辺りに出没するのは野獣と言うよりは魔獣だ。魔獣は霊銀ミスリルを知覚し程度の差はあれどそれを操るだけの力を得た獣だ――トリにとってそれは狩る対象ではなく、逃げる若しくは遣り過ごす相手だ。


 だから、その大型の魔獣が現れた夜は、炊いていた火を消して息を潜め、二人が身を寄せる洞穴に近寄らないようただ祈るだけだった。


 その大型の魔獣は、錆色の強靭な鱗を纏い、鋭く太い鉤爪の生え揃った四対の剛肢、剣の切先・或いは槍の穂先のような牙が乱れ並ぶ強大な顎、上下左右に配置された妖しく光る眼球、背中から長い尾の先端までびっしりと並ぶ歪んだ円錐状の大小さまざまな棘。

 それらの特徴を除けば、蜥蜴トカゲを単純に巨大にしたようなその大型の魔獣は“バジリスク”とばれていたが、そんなことをトリが知るよしも無かった。

 トリがその時知っていたことは――バジリスクは飢えており、そして洞穴に身を隠すトリと少女の存在に気付いている、ということだけだ。


(――――行くしか、無い)


 緩慢な動きでしかし確かに洞穴に近付きつつあるその歩みに、トリは洞穴を飛び出して自らが囮となることを決めた。

 このまま洞穴に身を隠したままでいれば、トリも少女もその巨躯の糧となり果ててしまう――トリは少女を庇ったまま洞穴という狭い空間であのような魔獣を相手取れる程卓越した戦闘能力を有しているわけではないことを知っている。


「……行かないで」


 立ち上がったトリの背にか細い声がかかる。その声色には多分に心細さが宿っており、トリはほんの少しだけ逡巡してしまう。

 そして、その逡巡の何故を、トリは脳裏に浮かべる。


 何故、この少女を守りたいのだろうか――――かぶりを振って疑問を消し去る。

 今はそんなことを考えている場合じゃないと。

 今はただ、少女を守ることだけを考えるべきだと。


「すぐ、戻る」


 トリは肩越しに少しだけ振り向いて、ぎこちないながらも笑みを向けた。

 その笑みが寧ろ少女の不安を増幅させたことをトリは知らないし、次の瞬間には駆け出していたのだから少女が再度その背に「嫌だ、行かないで」と呟いた声も聞こえてはいなかった。



    ◆



 黒い視界が白く塗り潰され、咄嗟に閉じた瞼の隙間からそれでも差し込んでくる光に顔を背けてしまう。

 直視しないよう手を前に翳しながら薄く目を開き、徐々に背けた顔の向きを正面へと戻していく。


「――っ?」


 下肢、というよりは下半身に大きな違和感。それもそのはず、視界に映り込んだ室内の景観から違和感に視線を落とすと、青い皮のソファに座らされている。


 カチャリ――――耳に飛び込んできた音にビクリと身体を僅かに跳ねさせ見れば、常盤さんがソーサーに載ったカップを低いテーブルの硝子ガラスの天板に置いたのだ。

 ほのかに湯気立つのは、焼けた琥珀色の液体が静かに揺れている。


「紅茶でいい?それとも、珈琲がよかった?」

「いえ、……どちら、でも」


 先程までとは打って変わった場所、混乱の最中に差し出された紅茶、何でもないようにかけられる声――――完全に面食らってる。そして常盤さんは、そんなオレの落ち着かない様子を気にかけてなどいない。


 っていうか、これって魔術か何かか?違法行為じゃないのか?

 頭の中でぶっちゃけどうでもいい疑念が渦巻くけれど、オレは魔術に関してはからっきしだし受けたことも無かったし法律のことも細かくは解ってないし。


「で、最初に言っておくけど」


 そんなオレの逡巡の一切を無視して、常盤さんは話し始めた。


「私には被験者の情報を秘匿する義務がある。それは被験者の同意が無い限り情報を開示することが出来ない、っていうこと。だから、私が誰に対して施術を行ったか、その人がいいよって言わない限り私は“お答えすることは出来ません”なんていう事務的な言葉しか吐けないの」


 未だ落ち着かない脳味噌でその言葉を噛み砕く。結局のところ、暁のことは話すつもりは無いらしい――その結論にオレが反射的に眉間に皺を刻んだのと同時に。


「ああ、鹿取君のことは話すわよ。だって、本人から許可、もらっているからね」

「は?」


 刻んだ皺の深度が増した。


「鹿取君――君が来て訊ねて来るんだったら、教えてもいいって言ってたから」

「それ、どういう……?」

「君が一番よく知ってるんじゃないの?友達、なんでしょ?」


 友達――――そう問われて、オレは目を泳がせるだけでしっかりと頷くことが出来なかった。

 オレがアイツの友達だと言うのなら、どうしてオレは何も知らないのか。

 どうしてオレは、アイツの抱えている悩みを聞いてなどいないのだろうか。

 友達っぽく振舞っていた。

 友達っぽく毎朝顔を合わせておはようと声をかけていた。

 友達っぽくたまに帰り道を共にした。

 友達っぽく昔の恋バナを打ち明けてみた。

 友達っぽく――――そのどれもが、結局は表面上の付き合いだったんじゃないか?


「それとも――友達じゃないのかしら」


 突き刺すような抑揚に伏せた目を上げて見てみれば、その視線までもが。

 まるで今現在の揺れる心を見透かしたような、ごくごく低温の眼差し。


 怖い。――ああ、また、怖いものが増えた。

 オレは、実は暁の友達なんかじゃないって事実を、突きつけられるのが怖い。

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