Track.6-31「どうしてあなたから死の匂いがするの?」

「先輩、お疲れ様です」

「うん、お疲れ様」


 18時ジャスト――森瀬芽衣が地下駐車場に停めてあるクローマーク社のワゴン車の前に現れた。

 通勤時にスケアクロウのまま移動するわけにはいかないため、近場にて人目を忍んで換装を行うからだ。

 とはいっても、社用車に装備があるわけではない。それだと緊急時にスケアクロウとして現着できないからだ。


「森瀬、現着しました。スケアクロウへの換装お願いします」

『森瀬さん、了解しました。座標確認完了、接続完了。転送まで10秒――よろしくお願いします』


 峠縁佐那オペレーターがコマンドを入力する。OSオペレーションスフィアの画面上に小さくカウントダウンの数字が表示される。

 その表示がゼロを刻むと、直立していた芽衣の身体を包むように、外套コート型乙種兵装・カラスが、その両腕を護る手甲型乙種兵装・カスミが、そして芽衣の顔を覆うように防毒面ガスマスク型丙種兵装・クチバシが現れた。

 少しだけ転送のための時間を必要とするものの、自動的に装着されるためかなり有用な機能だ。


「お待たせ、行こう」

「はいっ」


 芽衣はこの後、会議室にて今後の動きについての会議に参加し、その上でスケアクロウがスケアクロウの状態で存続するのか、それとも素顔を晒すことになるのかが決定する。

 

 IDカードを改札にタッチすると、シャラン、という電子音が鳴って道を塞いでいたゲートが開く。

 その姿は傍目から見ると不審者極まりないが、リーフ・アンド・ウッドおよびソニック・エンターテイメントには通達済みだ――警護だけではなく、魔術士が介在する業務には時折、突拍子もない格好の者が見られることがあるが、まさしくスケアクロウ芽衣はそれだった。

 エレベーターホールにてすれ違ったソニック・エンターテイメントの社員は瞬間的に目を見開いたが、首から下げたIDに気付いてすぐにその目を逸らす。

 魔術士は社会的にどこにでも存在する者となったが、しかし社会的に馴染み切ったかと問われると、そうだと回答できる者はいない。特に“魔術後進国”と蔑される日本においては顕著だ。


「先輩、少しお話いいですか?」


 エレベーターに乗り込んだ心が口火を切る。

 スケアクロウ芽衣は振り向いてこくりと頷き、言葉を待つ。


 決された意の元に紡がれた言葉――それを芽衣は、飲み込むことは出来なかった。


「内通者かどうかはまだ判りません――でも、RUBYルビ二期生、星藤花さんは……異骸リビングデッド化しています」

「……嘘だ」


 狼狽が終わりの無いような逡巡を呼び込む。

 思索の迷宮に陥った芽衣は、何を考えればいいのか・果たして何が答えなのかが解らないままぐるぐると脳を回転させる。


「……いつ、から?」

「判りません。ただ、今朝方の襲撃の時点ではすでに」

「何、で?」

「……ごめんなさい、それも判りません」

「……敵なの?」

「いえ――まだ判明していません」


 目の前の愛する人は明らかに苦悩を抱え込み、混乱してしまっている。

 そうさせたのは自分だと心は顔を歪ませたが、しかし結局は芽衣自身の問題だ。


「先輩……」

「……ごめん、取り乱した」

「いえ……」


 自分にはどうすることも出来ないと知る心は、しかし芽衣の着る外套の袖を摘まんだ。

 本当は手を握りたくてしょうがなかったが、そうしてしまうと自らの動揺すら芽衣に押し付けてしまう形になってしまう。


「心ちゃん、ごめん」


 しかしその動揺は伝わっていた。袖を摘まむ指の微かな震え、その意味を汲み取った芽衣は、小さく白細しらほそい指を握る。


「あたしがしっかりしなきゃいけないんだった。忘れてた」

「いえ……先輩の力になれなくてごめんなさい」

「違うよ。心ちゃんは沢山力になってくれてるよ――今の話だって、本番日にいきなり発覚したんじゃ遅すぎる。でも今判っていたら、確認のしようはあるし、対策だって出来る」

「……先輩、ありがとうございます」


 エレベーターホールから廊下を進み、巡回中の同僚と敬礼を交わした後で2人はレッスン室の扉を開く。

 動揺は去ったと言えば嘘になる。ただそれを表に出しても何の意味もないどころか、隙になる。

 星藤花が異骸リビングデッドと判った以上、敵にしろ敵でないにしろ、それが真実であるならば排除するしかない。

 それでも芽衣は、いや、それだからこそ芽衣は願う。

 どうか、何かの間違いであってほしいと。


 そして。


 扉を開き、レッスン室へと入ったその瞬間に。

 その願いが叶わないことを思い知らされた。


 鼻に衝く“死の片鱗”――それは、確かに藤花から漂ってくるものだった。


 森瀬芽衣の持つ直感力――“死の片鱗”を嗅ぎ取る異能とも呼べる異術。

 それは意識と無意識の差で効力にも影響が出る。

 今朝方、比奈村ヒナムラ実果乃ミカノの襲撃の際に藤花のに気付かなかったのは、藤花から多度寄ってくるは意識を注がなければ気付かないほどの微弱なものであり、また実果乃への対応でその微細な違和感に気付けるほど注意を割けなかったからである。

 2ヶ月前、副都心線の社内で遭遇した時は――もうその頃から、藤花は異骸リビングデッドだったのだろうか――芽衣は沸いて生まれたそんな疑問を振り払って、ただただダンスに汗を散らすメンバーたちを見詰めていた。


『森瀬、どこいる?』


 そんな折、インカムから航の声が聞こえてきた。

 夕方からの緊急会議に同席するため、航もまた事務所に向かっていたのだ。


「……レッスン室です」

『おう、今から行く』

「わかりました」


 数分も経たないうちに静かにレッスン室の扉が開き、スーツ姿にモッズコートを着込んだ航が現れた。

 航は振り向いたスケアクロウ芽衣に頷きで合図を送り、スケアクロウ芽衣もまたそれに了解の意味を込めた頷きを返す。


 レッスン室を出たスケアクロウ芽衣は、先を歩く航の斜め後ろで歩調を合わせ、2ヶ月前に訪れた会議室へと足を運ぶ。


「失礼します」

「……失礼します」


 堂々と入室した航の後ろで、控え目な挨拶を零して入ったスケアクロウ芽衣は、航の合図により顔を覆う防毒面ガスマスク型の兵装を取り外した。

 会議室のテーブルに着いているのは、皆スケアクロウ芽衣の素性を知っている者たちだ。そんな中で面を着けたまま会議に参加することは失礼に値する。


「十全の結果を出せずに済みません」


 席に着く前に頭を下げる航。その詫びは、今朝方の襲撃に対するものだった。

 十全の結果とは何か――それは、誰一人負傷者を出すことなく、襲撃者を撃退・拿捕した上で収録を再開させることだ。

 しかしその場にいる誰もそれを責めるつもりは無い。

 負傷者は出た。ただし、それはRUBYルビのメンバーでは無ければ、運営・収録スタッフでも無いのだ。


 クローマーク社は契約通り、身を呈して警護対象を護り切った。

 それが、RUBYルビとその運営スタッフの共通の見解だ。


「四方月さん、我々はあなたが言うような十全の結果など期待していません。うちのアイドルたちをあなた方は十分に護り切った。収録がストップすることなど些末事です」

「そう言っていただけると助かります」


 煤島の言葉に漸く腰を落ち着けた航と芽衣。

 ふと芽衣は視線に気付き、はららをた。


 無意識に瞳孔が拡張する――“死の片鱗”を察知したことで、それを打破する状況を探そうと無意識が働いたのだ。


「――――土師、さん」


 脊髄反射で声が出た。

 はららは疑問符を頭頂に掲げたが、しかし芽衣は問い掛けない。


 ――なんて、訊けるわけがない。


 しかし確かに、その“死の片鱗”は。

 先ほど星藤花に確認したものと、全く同じだったのだ。

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