Track.6-28「売られた喧嘩は言い値で買ってやるよ」

 スマートフォンが振動するブブブという音が黒いクロップドパンツのポケットの内側で響く。

 茜は手を差し込んで取り上げると、その画面に表示された文字列を見てうんざりとした顔をした。一瞬、出ないで放置しようかと迷ったくらいだが、結局は鳴りやまない振動音に観念して画面に指を滑らせる。


「――はい」

『そんな嫌そうな声しないでもいいじゃないですか』

「こっちは夜勤明けで疲れてんすよ――それでも、通話相手があんたじゃなかったらもう少しまともな声出せてたんですけどね」


 くつくつと、喉の奥で噛み殺したような笑い声が電話越しに小さく聞こえる。

 茜は寄せた眉間に手を当てながら憤りをどうにか飲み込んで、絞り出すような声を発した。


「で?用件は?無いなら切りますけど?」

『ああ、ごめんごめん――また会いたくなってさ』

「じゃあ切りますね、さようなら」


 そう告げて耳からスマートフォンを遠ざけ、画面の赤い丸印に指を伸ばす――しかしそれを制止する声は、茜の耳ではなく直接脳裏に響いた。


『余裕が無いね――そんなんだから今朝の襲撃も覚束なかったんじゃないですか?』

「――――やっぱあんたらか」

『どうでしょうね。それを確かめたければこちらの誘いを受けることをお勧めしますけど、どうするかい、“魔術殺し”メイジマッシャー?』


 言術士ワードマンサー阿座月アザツキ真言マコト――彼こそ、茜が嫌々ながらも通話する相手だ。

 PSY-CROPSサイ・クロプスの一件以降、どういうわけか時折こうやって一方的に連絡を寄越しては、まるでからかって楽しんでいるような遣り取りを交わさざるを得なくなってしまう――茜にとって、この手のタイプは苦手な部類だった。


「――その、“魔術殺し”メイジマッシャーって呼ぶのやめてくれませんかね」

『どうして?君にぴったりな渾名あだなだと思うけど?それとも、“魔術殺し”じゃなくて“魔術殺し”の方が合致するかな?』


 ガリ、と奥歯が鳴った。ぎちぎちと押し付けあう上下の臼歯はその瞬間が持続したならきっと欠けただろう。それほどまでに強い力で擦り付けられた茜の歯噛みの音は、電波を介して真言の耳にも確りと届いた。


「――分かった、会ってやるよ」


 掠れたしわがれ声だった。

 茜が憤慨を噛み殺したが故にそのような声を絞り出したのは、その言葉――“魔術殺し”がだからだ。


 安芸茜は、過去に魔術士を1人殺害している。

 その魔術士の名は鹿取カトリアキラ――鹿取心の兄だ。


 そのは世間的には暁の自死ということで片が付いているし、事実暁は自殺した。心もまた、そのことで茜を責め立てることは一切ない。

 しかし安芸茜が鹿取暁という魔術士を殺したのは真実だ。

 何故なら鹿取暁は、安芸茜の持つ異術によって魔術士としての命を絶たれたのだから。


「あんたが何を何処まで知ってるか知らねぇけど――売られた喧嘩は言い値で買ってやるよ」

『申し訳ないが“魔術殺し”メイジマッシャー、喧嘩を売ってるつもりはさらさら無いつもりだよ』

「ふざけんのも大概にしろ」


 噛み殺した筈の憤怒が喉奥から沸き上がってくるその呻きに嘆息した真言は、しかし飄々とした口調を変えずに言葉を紡ぐ。


『君に、紹介したい人がいてね――四月朔日夷の計画を阻むために必要な人だと思ってくれればいい』

「はぁ?」

『言っただろう?僕の宿願は四月朔日夷を異端審問官インクィジターとして正しく処分することだって』

「……覚えてねぇよ」

『君は嘘が下手だね。お嬢によく似てる――時間と場所は追って伝えるよ。じゃあね』

「はっ?まさか今日か!?あほ、おいっ――――切りやがった……」


 クローマーク社が産業医として指定する病院から駅へと向かう道の途中で茜は、地面の硬いアスファルトにスマートフォンを思わず投げそうになり、咄嗟に我に返って全身を弛緩させると、頭を抱える行為と項垂れる行為とを繰り返した後に盛大な溜め息を吐いた。


「マジ――腹立つ」


 そして新富町駅改札へと至る下り階段を歩きながらそう呟いた茜の怒りは、しかし真言に向けられていた矛先がいつの間にか自分自身に向けられている。

 思い上がりと不甲斐なさ。

 あの日とつい最近――森瀬芽衣戦友に請われ、“正しい友達の殴り方”をレクチャーしたことのある茜だが、茜自身は自分自身があの時本当に正しく友達を殴れていたかを確信できないでいる。


 ただそこにあるのは、あれを正当化しなくては自らもまた壊れ死へと向かってしまうだろうという予感・予兆だ。


 心は兄の凶行を阻んだ茜に対し感謝し、兄である暁の死を背負わないでくれと懇願した。

 それでも茜にとって、鹿取暁の自殺は自身が放った【空の王・簒奪者】アクロリクス・ランペイジ――当時はそんな大層な名は無かったが――が招いた結末だ。


 茜は例えば誰かに、人生において最大の過ち・後悔は何かと問われれば、確実にそれを答える自信があった。自分が死ぬまでの未来でさえも、それを越える懺悔は現れないだろうと。


 ホームドアの前に立つ茜は、屋内だと言うのに今現在の自分の顔を見られたくない気持ちからパーカーのフードを被った。

 その名が冠す茜色に焼けた髪の毛がその拍子に揺れたが、茜の目はその揺れを映してはいなかった。

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