Track.5-35「あたしは誰を、殺したんだろう」
「あー、うん。時間は適当に帰るから、いとちゃん見送ってからにする」
「そっか」
翌朝。糸遊家の一家3人プラス1人で食卓を囲む。
愛詩は2日ぶりの登校のために制服に袖を通しており、夷はやはり
「行ってきます」
愛詩が家族に告げて玄関のドアを開くと、夷は振り返って愛詩の両親に頭を下げた。
「お邪魔いたしました」
余所行きの丁寧な仕草に愛詩の父は苦い顔で微笑む。隣で愛詩の母もまた、少し唇を噛んでいる。
「またいつでもおいで――今度は、愛詩の“友達”として」
その言葉に面食らった夷は、父と母と、そして自分の後ろにいる愛詩との顔を見交わした後で、それぞれに微笑みを貰うと再び愛詩の両親に向き直った。
「……では、いつか。そうさせていただきます」
四度目の駅の改札を抜け、同じ電車に乗る。
朝方の通勤ラッシュの人混みの中で窮屈さを感じながら、何となく何を話すことも無く2人は“星荊学園前駅”で一度下りた。
ホームから改札に至るコンコースは愛詩と同じ星荊学園高校の制服を来た少年少女が流れていく。その流れの中で立ち止まった愛詩と夷は、名残惜しそうに向かい合って手を握り合った。
「また、ショッピング行こうね」
「何だよ、今生の別れみたいじゃん。たぶんすぐ連絡するよ」
「……そうだけど、でもそれは“魔術士仲間として”でしょ?そうじゃなくて、……友達として、ってこと」
出かける際の愛詩の父の言葉が脳裏に繰り返された。
“いつか”と返したその“いつか”は、きっと来ないことを愛詩は直感している。
成し得ない約束を交わすことは、互いに残酷を打ち付けるようだ。
それでも、嘘になろうとも、時として人はそんな約束を求めることがある。
「夷ちゃんがどうかは分らないけど――私は、夷ちゃんの“友達”だって思ってるから」
触れるように握られていた手が離れた。
まるで泣き出しそうな顔で、愛詩は今にも踵を返しそうだ。しかしそうなる前に、夷は一歩前に進み出ると自分に比べて随分と肉付きのいい愛詩の身体を正面から抱き締めた。
突然の行為に愛詩はびくりと身体を震わせ肩を強張らせたが、しかしすぐに自分を抱き締める細い身体をぎゅっとした。
「……正直に言うけど。わたしは友達なんて要らないって思ってて、いとちゃんとの関係はギブアンドテイクに留めたいって思ってる。そうじゃないとさ、――いつか悲しくなっちゃうじゃんか。だから、ごめんね」
「……うん、わかった」
そして手を振り合い、改札を抜けた愛詩が見えなくなるまで見送った夷は、再びホームに戻るとさらに2つ先の駅まで移動した。
改札を抜けて閑静な住宅街をとぼとぼと歩き、やがて見えてくる異人館を思わせる邸宅。その門で主人の出発を見送り頭を下げている、黒いスーツに身を包んだ褐色肌の青年がいる。アリフだ。
そして主人とは勿論、弓削善継に他ならない。夷は咄嗟に
「よっ」
「おや、これはこれは」
友人同士の気軽な挨拶のように軽く手を挙げて声をかける夷。格子門を閉じて邸内へと戻ろうとしていたアリフはその場に留まり、再び頭を深く下げた。
「ご機嫌麗しゅう」
「気持ち悪っ」
頭を上げたアリフは不躾な物言いの客人に、しかし気を悪くした素振りを見せず、いつも通りの――敵であったことしかない夷にとっては初めての対応を続ける。
「どうされましたか、
「様付けてんなよ。いやさぁ、結局どうなったのかなーと思って」
「おかげさまで、――これまで通りです」
大きく切れ長な目を細めてにこりと微笑んだアリフの表情に、まるで唾を吐き捨てかねない顰めっ面を見せた夷は、「じゃあいいや」と呟いて踵を返す。
「失職してたら雇ってあげてもいいとか思ったけど杞憂だったね」
「御呼びとあらば、いつでも駆け付けますよ」
「じゃあ
「何なりと――」
「妹さんにもよろしく、って、伝えといてー」
「ええ――時に、
「ああ、そういや名乗って無かったね、お互い」
「その節は大変失礼いたしました。
「これはご丁寧にどーもです。四月朔日家当主、幻術士・四月朔日夷」
「ワタヌキ――もしかして、
「ああ、うちのお祖父ちゃんだね」
それを聞くと、アリフは唐突に高笑った。気持ち悪いものを見る目でそれを眺めていた夷に、「失礼」と一言断って笑い声を殺したアリフは、遠くを見るように目を細める。
「――成程。挑んだ私が愚かだったのか」
「は?」
「いえ――引き留めてしまい申し訳ございませんでした。どうぞ、ご達者で」
「あー、うん。妹さんにもよろしく言っといて」
「ええ、抜かりなく」
そして
四月朔日玄靜――第二次魔術大戦に於ける東南アジアの撤退戦で単身
アリフもまたその逸話を
おそらくあの白い幻術士は、
「先輩、お疲れ様です」
「わっ、ゆ、ゆげくん――お、おつかれ……」
放課後の弓道場は2日ぶりの愛詩の姿に俄かに騒めき立った。更衣室で道衣に着替えている最中も、同級生の部員からどうしていたのか聞かれて口ごもっていた愛詩だったが、色恋沙汰を好んで食む高校生らしい弓道部員は、射場で対峙する2人に注目し心を弾ませていた。
「後で、お話があるんですけど……」
「う、うん。わかった。終わったら、で、いい?」
「はい」
そして弓を手に、矢を取ってその場所に立つ。
2日間だけこの場所に立っていないと言うのに、愛詩にはひどく懐かしく感じられ、またその風景はこれまでとは違って見えた。
礼をし、射法八節に入る。
視線は的を見据え――それは完璧な射法八節だったが、しかし唯一これまでとは明らかに違うものがあった。
(――線が、視えない)
美しいとさえ思える形。
離れさえいつもよりも冴え渡っている。
弦の描く軌道はそこに無いと言うのに、矢はその軌道をなぞるように的の中心に吸い込まれ、穿った。二の矢もまた的中。
「2日間のブランクは無さそうね」
顧問から褒められた愛詩は、にこりと微笑んで頷いた。
彼女の弓に、もう弦の導きは必要無かった。
「お待たせ」
「あ、はい」
廊下で待っていた絲士に並び立ち、職員室へ弓道場の鍵を返却に向かう。
いつか共にそうした時は、その間隔にどぎまぎとしていたのは愛詩の方だった。
今では。
「先輩」
校庭を横目に、正門まで貫く並木道。その途中で立ち止まった絲士は、実に真剣な表情で愛詩を呼び止める。
「何?」
「ありがとうございました」
振り向いた愛詩に、絲士はそう告げながら頭を下げた。
「先輩がいてくれなかったら、僕たち一家は一生、彼らの傀儡でした。彼らにも僕たちを使って悪事などを働く気は無かったらしいですが、それでも僕たちの意思は無かったでしょう」
「わ、私はそんな……見破って解決したのは夷ちゃんだよ」
「いえ。それでもそのきっかけは全部、先輩なんです。本当に、感謝しています」
「ぅ……うん」
頭を上げた絲士の顔は、まだ真剣さを宿している。精悍な顔立ちだと愛詩は思い、そう思ってしまうと途端に気恥ずかしさが鎌首を
「伝えたいことは、もうひとつあります――あの後、アリフとリニと話し合いました。2人にはこれまで通り、弓削家の使用人として働いてもらうことになったんですけど……」
「うん」
「リニにも、弦術を学んでもらうことになりました。僕と父とで教えていきます」
「そ、そっか」
「でも出来れば、先輩にも来てほしくて」
「え、わ、私?」
「はい。先輩が良ければ、ですけど……」
「も、勿論だよ。私に出来ることなら、だけど……」
それを聞き、漸く絲士の表情に微笑みが訪れた。しかしそうやって一度目を伏せた絲士は再び真剣な眼差しで愛詩を見据えると、まるで立ち合いに臨む武士のように口を開く。
「先輩」
「は、はいっ」
気圧された愛詩は姿勢を正し、絲士の言葉を待つ。
「リニが弦術を修めたら、正式にあなたと勝負をしたいと言っていました。それは勿論、あなたと勝負をして、どちらが弓削家に嫁ぐに相応しいかを決めるつもりです」
「う、うん――私、負けないよ」
「――そこに僕の意思は無いんですか?」
「え?あ――」
「だから、その勝負に僕も参入します。勝者が総取りです。
「え――?」
「先輩、好きだ。
――――首を洗って待っていろ」
「の――――望む、ところだぁっ」
◆
げ ん と げ ん
Ⅴ ;
next Episode in ――――― Ⅵ ;
◆
「安芸、訊きたいことがあるんだけど」
「おう、何?」
11月の冷たく清廉な空気に入れ替わった部屋の中で、しこたま怒られたあたしは、安芸の用意してくれたご飯を共に食べている。
と言うか、あたしの料理スキルが上達しないのは安芸のせいだと思うんだけれど。
「世界中の人が、同じタイミングで、同じ幻覚を見てたとしたらさ――」
「馬ぁ鹿。お前は幻覚なんかじゃ無ぇよ」
もしそうだとしたら、そもそもオレにお前が見える筈が無い、と安芸は続けた。
安芸が持つ
そしてあたしはその言葉に、ほんの僅かな不安を殺されるのだ。
「もうひとつ、訊いていい?」
「おう」
それでもあたしの中の不安は息絶えず、呻きを上げながら這い寄る。
「魔女ってさ、――異界を創造するやつのことだよね?」
「ああ、確かそうじゃなかったっけ?魔術士じゃなくても、異界を創ったやつをそう呼ぶってヨモさん言ってたと思うけど」
「あのコ――夷は、魔女なのかな」
「は?だって
「でもあれは、全部瞳ちゃんが創ったやつでしょ?」
「あ、そっか」
「これまでの記憶も全部そうだけど、夷が創った異界なんて無かった」
「――言われてみると、そうだな」
果たして。
それが事実なら。
「“白い魔女”って、誰のことなんだろう――――あたしは誰を、殺したんだろう」
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