Track.5-17「こんなに飲むんですか?」
「リセ、……魔術士、なの?」
問われ、あたしは首肯する。正しくは異術士だけれど、その違いは別に今この場では説明する必要性は無い。
「これもご縁かと思いまして」
恵比寿顔をさらに深めた石動さんが間髪入れずにあたしのことを話す。
「彼女がうちに所属したのは法改正があった10月からです。聞けば彼女も元々は
「森瀬は強い魔術士です。俺も以前に助けてもらったことがあるくらいです」
四方月さんが続けて、飯田橋の異界転移に巻き込まれた時の話を掻い摘んで説明した。
煤島さん・斎藤さん・それに土師さんも、みんな目を見開いて俄かに信じ難いといった表情で聴き入っていた。
「うちとしてはお受けする方向で話を進めていきたいと思っています」
石動さんがそう締めると、煤島さんが大きく頷いた。
「我が社としても、そうしていただけると非常に助かります。つい先程、お電話にてお話しさせていただいたかとは思いますが、」
「
「ええ――施設警護として魔術士の方にお願いするケースはライブや握手会ごとにありましたが、流石に今回のケースは初めてでして。それなのに
「
「ええ、確か――間瀬、と言う方です」
◆
「あのさぁー――
「え――」
まるで研ぎ澄まされた刃物のような錯覚。夷の視線はそれほどまでに愛詩を突き刺した。
愛詩は突然の視線と言葉に、一体何がこうしてしまったのかを理解できていない。ただ、明らかに眼前の幻術士は怒っていた。
「はぁー。自覚が無いのが一番困るんだけどぉ」
張り詰めた空気の中に溜息が投じられると、漸くその場の緊張が解かれた。「ま、いーや」と呟いた夷の顔はすでにいつもの意地の悪そうな笑みであり、それを眺め続けていた愛詩の表情もやはりぽかんとしたものだった。
「ほら、親御さんに連絡して。必要だったらわたしも話すから」
促されるまま、スマートフォンを取り出して愛詩は操作する。メッセージアプリの無料通話でコールすると、ループする電子音の5回目で母親が受話した。
「あ、お母さん?愛詩だけど、今大丈夫?」
ちゃんと定期的に連絡を取っていた愛詩だったが、それでもやはり母親は相当心配していたようだ。
状況を説明し、漸く自分に魔術を教えてくれる師の家に着いたことを説明した後で、やはり夷は自らの口でも挨拶を行う。
師の年齢が自分の娘と変わらないことに母親は驚いていたが、夷がかつて玄靜と真言に教わった余所行きの礼儀正しさで応対したことで、母親に“しっかりした人だ”という印象を抱かせることに成功した夷は、翌日に家を訪ねることと、その場で詳しく今後の流れなどを説明することを話した。
「じゃあ、ご飯にする?お風呂にする?それとも、しゅ・ぎょ・お?」
通話を切ったスマートフォンを返されながら問われた愛詩は「しゅ、修行で」と意気込んで返したが、少し遅れてぐぅ、と腹の音を鳴らした。
思い返せば午前7時に家を出立し、弓削邸に寄ってから電車を乗り継いで新潟駅へと、そこから慣れない新幹線に乗って2時間ちょっとで東京駅に着き、初めての駅で迷うこと30分、どうにか中央線に乗ったが立川駅で乗り換えるところを寝過ごしてしまい気付けば相模湖、駅のホームで右往左往しながらスマホで調べ立川へと戻って青梅線に乗り換え、終着の奥多摩からバスに乗り、降りたと思ったら待ち受けていたのが傾斜が嘲笑う山道だ。1時間以上をかけて登りきった四月朔日邸にたどり着いたのは、もう西日差す時刻だったのだから、愛詩は相当に腹を空かせていた。最後にご飯を食べたのは東京駅だ。それも、思いのほか旅費が高くついてしまったために食費を削ったコンビニのおにぎりだけ。
「じゃあご飯ね。でもわたしご飯作れないから麓のコンビニで買ってきちゃうけどいい?」
布団の除かれた炬燵を立ち上がった夷は、箪笥の引き出しから
「コンビニ、って――この辺りにコンビニあるんですか?」
「え?麓まで行けばあるよ?24時間やってないけど」
「麓って……え、山道下りるんですか!?」
「そうだよ?」
「片道1時間以上かかりますよね!?」
「あー、歩いていったらそうなるよ?」
「えっ……?」
「大丈夫だよ、5分くらいで帰ってくるから。あ、何が食べたい?」
「5分って――あ、メニューは、お任せします。あ、あとお金払いますっ」
「んじゃ適当に買ってくるよ。お金は――いいや、別に。ろくなおもてなしもしてないからさ」
「いえっ、それは困ります」
「勝手に困ってんなよ。いとちゃんは困りたがりだね」
「い、いとちゃんっ?」
「これからそう呼ぶから。じゃあいとちゃん、行ってきます」
「は、はい……行って、らっしゃい……」
告げ、縁側でサンダルに足の指を通した夷はその直後姿を消した。
夷がよく使う
しかし
それがそうだと知らない愛詩は夷が目の前で忽然と消えたことに尻餅を着き、恐る恐る立ち上がっては縁側に立って辺りを見渡した。
全く手入れの入っていない庭は、かつては和風庭園の様相を見せていただろう。しかし今は落ち葉で玉砂利が隠れ、生垣も枝葉が伸び放題な全く自然の姿になってしまっている。
「わ、四月朔日さーん……?」
邸内を歩き回り夷の姿を探す愛詩。やがて本当にいなくなってしまったんだと納得して客間まで戻った時。
炬燵の上にコンビニのビニール袋を置いて買ってきた弁当を広げる夷の姿を見て愛詩は再び尻餅を着いた。
「何してんの?」
「お、おかえりなさい……」
「ん、ただいまー。ご飯だけどさ、いくつか買ってきたから適当に選んで食べて。あとごめん、カロリーとか考えるの忘れてたから結構がっつり系になっちゃった」
「ううん、別に大丈夫だよ、買ってきてもらっちゃったんだから、文句は言わないよ」
そうして立ち上がった愛詩が炬燵の上を見ると、並べられた弁当は3つ――肉米大盛りデミチーズハンバーグ弁当と、大盛り炒飯と厚切り油淋鶏弁当、チキン南蛮とロースカツ弁当、という、ガテン系のガチムチお兄さんが実に喜びそうなラインナップだ。見事に炭水化物とたんぱく質の権化たちである。もはや狙って買ってきたとしか思えない。
しかし長旅と長話で疲れきっていた愛詩はそんな夷の意地の悪いラインナップに嫌な顔ひとつ見せずに真剣な表情でどれにするかを選んでいる。
そんな愛詩に嘆息した夷は、箪笥の上の方の小さい引き出しからいくつもの小瓶を取り出し、ことことと炬燵の上に置いていく。
「え、これ何ですか?」
「ん?わたしのご飯だけど?」
ラベルには聞き覚えの無い横文字が印字されており、ガラスの中には白や黒などの様々な色や大きさ、形を持つ錠剤が敷き詰められて積み重なっている。
すでに4つの小瓶が炬燵の上には載っているが、さらに一本、二本と追加する夷の奇行にしか見えない行為に絶句した愛詩はただただそれを見詰めていた。
結局炬燵の上に並んだ小瓶は8つだ。それぞれ蓋を開け、少しだけ底の深い皿に錠剤をじゃらじゃらと放っていく夷。深皿はまるでこれから牛乳を淹れるシリアルのように、錠剤で埋め尽くされてしまった。
「こんなに飲むんですか?」
「んー、わたし、慢性
「え?」
この時点で、夷の呼吸器――主に肺と気道――を冒している
夷が用意した小瓶には、
それをシリアルさながらにスプーンで掬って湯呑になみなみと注がれた
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