Track.2-12「俺の方がより性格悪いぞ」

 舞台はヴェネツィアを模したような、運河が氾濫し水に飲まれた夜の街、といったところだろうか。

 月明かりと所々に点ったままの街灯の明かりだけが視界の頼りとなる。

 しかし試験開始の合図が上がる前にすでに右目に【暗視オウルサイト】を行使して夜目を利かせていた私にとっては、暗い宵闇はむしろ好都合と言うものだ。

 ただ――先輩も安芸さんも、瞳術どうじゅつ使えないから心配になる。


 魔術士にとって、体内に巡る霊銀ミスリルを敢えて活性化させて身体能力を向上させる躰術たいじゅつや視覚に特殊な効果を付与する瞳術と言うのは、基礎中の基礎だ。

 そもそも霊基配列に意思を通す必要のない、ただ霊銀ミスリルを震わせるだけのこれらの系統の魔術は、やり方さえコツを掴めばそれこそ魔術士じゃなくたって行使できてしまう。


 先輩と安芸さんは、躰術については少しばかり使えるものの、瞳術についてはからっきしだ。私と二人ではやっぱり体の動かし方や霊銀ミスリルの捉え方に認識フィルターの差異があるから、いくら私が私のやり方を教えたところですんなりと飲み込んでくれない。


「鬼は追いかけてきますけど……逃げなくていいんですか?」

「いえ、まだです」


 間瀬さんが助け舟のような言葉をかけてくるけど、それは泥船だと私は即座に勘付く。

 相手は一人とは言われていないし、こちらの位置を常に補足している可能性もある。開始とともに逃げたのでは、こちらが三人がかりで挑んでいる利点メリットを棄却してしまうだけだ。


「なあ鹿取、これは団体チーム戦って認識でいいのか?」


 安芸さんもそこには気付いたらしい。この人は自分のことを頭が悪いと言っているが、そうじゃない。この人はただ単に学問が苦手なだけで、頭自体は決して悪くない、むしろ良い方だと私は思っている。

 何か癪に障るから、本人にその評価を伝えたことは無いが。


役割ポジションどうする?」

「そうですね、鬼がどうのようなモノなのか、相手してみないことには分かりませんが……先輩はこの際いないていで考えましょうか」

団体チームじゃなくて二人タッグってこと?」

「そうですね。先輩は特別ルールで異術NGですから。あ、こういうのどうでしょう?」

「どういうのだよ」

「これから言うんですよ、もう、言葉遮らないで下さいっ」

「あー、わりわりぃ」

「要救助者として扱うんです。先輩には自力で走ってもらいますが、鬼からの追撃をいなしつつ、先輩を守りながら出口ゴールに向かう――」

「おお、それイイね!」


 珍しく意気投合した私たちは、向かい合ってハイタッチした後で静観していた先輩に振り返り、「ではそううコトで」と言おうとして――その背後に忍び寄る影の存在に気付く。


「“鬼”、遭遇エンゲージ

「おっけ、とりあえず前出るぜ。あー、オレが前衛でABD、鹿取は後方でAEF、ってとこか?」

「そうですね、それで行きましょう」


 私の返答を待たずに、安芸さんは先輩の手を引いて引き寄せ、私の方へと渡す。

 そして左足を前に出して後ろ重心で腰を落とし、右手は拳を作って腰に収め、五指を開いた左手を前方に突き出した特有の構えを取った。

 5、6メートルほど離れた場所で棒立ちになっている“鬼”は、黒い外套コートを着込みフードですっぽりと頭を覆ったナリをしていた。その黒い外套コートは夜の闇に溶け込んでおり、右目に仕込んだ【暗視オウルサイト】が無ければ気付かなかっただろう。


「何だ、流石にバレてるか」

「その声――ヨモのおっさんか」

「誰がおっさんだ」


 言い捨てながら鬼はフードを取る。外套コート同様にマットな黒いマスクで頭をすっぽりと覆うその姿は、リングイン前のプロレスラーを思い出させる。


「その様子だと、鹿取は瞳術を使えるな。ただ安芸と森瀬は使えないんじゃないか?」

「それはどうですかね」

「その通りだよ」


 私の言葉に被せて、安芸さんは事実を伝えてしまう。


「安芸さんっ」

ブラフ張ってもどうせバレるだろ。むしろ敢えて弱点晒して、舐めてもらった方がとっかかりやすいじゃん?」


 安芸さんは鬼役の四方月さんを向きながら背中で私に告げる。

 どうせその顔は好戦的に笑っているに違いない。


「まぁ、オレの言葉もブラフかもしれないけどね」

「お前性格悪いな――でも、俺の方がより性格悪いぞ」


 四方月さんはそう言い捨てて、再びフードを被ると何かを呟いた。

 途端にその輪郭がぼやけ、闇に溶けていく――左目に仕込んだ【霊視イントロスコープ】が、四方月さんの形をした霊銀ミスリルの奔流を捉える。


「安芸さん、選手交代です。私がこの場で鬼を抑えますから、先輩を連れて先に行って下さい」

「は?」


 霊銀ミスリルの動きを捉える目で闇に溶けた影を牽制しながら私は前に躍り出る。ポケットから取り出したいくつかの宝石――ビー玉サイズの土耳古石ターコイズ黒曜石オブシディアンをそれぞれの手に握り締め、いつでも仕掛け・応じられるように。


「訂正します、私がADF、安芸さんはABで行ってください。瞳術の使えない二人に、この人の相手は荷が重すぎます」

「でもよ、」

「私だってこんなスタート地点で捕まる気なんてさらさらありませんよ。どうにかしたら急いで合流しますから」


 肩を並べて立つ安芸さんは、私の横顔を見て頷いた。「嘘吐くなよ」と言い捨てて踵を返すと、先輩を連れて屋上から隣の建物の屋根へと跳び移って行く。監督員である間瀬さんも、その背中を追って駆けて行く。


「いいのか?鬼はまだいるかもしれないのに」

「いいんですよ。さっさと合流するつもりですから」


 そして私は、右手に持つ土耳古石ターコイズに意思を通わせる。すると内部に込められた霊銀ミスリルは震え出し、石の白く濁った碧色の表面に、まだらな光が点る。

 光はやがて不規則な揺らぎで上昇気流を生む熱となり、大気を焦がす炎となった。


「では、胸をお借りしますね――“土耳古石の蛇ターコイズ・サーペント”!」


 赤熱するつぶてを投擲すると、それは彗星のように尾を引いて飛翔する豪火の砲弾となって鬼に襲いかかり、着弾と同時に轟音と爆炎を放ち、そして巨大な噴煙を上げた。

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