Track.1-21「森瀬、なのか?」

 脇腹を肩で押され、意表を衝かれ俺は間抜けにも真横につんのめり、転がった。

 そんな馬鹿の権化みたいな俺だから、その時何が起きたのかを理解し受け入れるのにはとてつもない、それこそ途方の無い時間が必要だった。


 肩で押したのは――その攻撃の軌道上に俺がいたからだ。

 肩で押したのは――俺の身代わりになるためだ。

 肩で押したのは――森瀬だ。


「――ぁ、――っ」


 呻きにすらならない小さな音を唇の隙間から漏らした森瀬は、腹部を黒い槍に貫かれていた。

 処理落ちした脳がその映像をひどく緩慢に映す。俺は取り留めない思考ばかりがフル回転し、結局それに何かを思うことも、何かを感じることもままならないままに唯々眺め呆けているだけだ。


 黒い槍の突き刺さった腹部は正面に小さな赤い雫たちを散らし。

 黒い槍の突き抜けた背中は盛大に赤い飛沫を上げ。

 そのまま森瀬の身体は、疾駆した幻獣の勢いと質量でもって背後の壁まで斜め上に持ち上げられるようにスライドし、そのまま壁に激突、黒い槍によってはりつけにされたと思えば――


 ――黒い槍の表面に、十字架型の突起がいくつも生え伸び、それは突き刺さった森瀬の腹部をも突き破って現れた。

 そしてそれらが大気を焦がすような高速回転する金属音を撒き散らしながら互い違いに旋回すると、凶悪な螺旋回転は突き刺さった森瀬の腹部に、それはとても大きな風穴を空けた。


 ちょうどへそを中心に下腹部から鳩尾みぞおちまでの腹部を喪失した森瀬の表情に生気はもはや無く――当たり前だ。そうなってまで生き続ける存在など、幻獣か異獣か異骸しか在り得ない。

 そして風穴によって分け隔てられた森瀬の上半身と下半身とは、それぞれずれたタイミングで地面にぼとりと落ち、赤黒い血溜りと、千切れ焼け焦げた匂いのする無残な臓腑を、その地面に広げた。


 びくん。びくんと。

 その身体が痙攣するたびに、びち、びちと水音を立てて溢れる赤が染みを広げていく。


 それを俺は、ただただ見つめている。

 何を思えばいいのだろうか。何を感じればいいのだろうか。判らない。

 昨夜、俺が池袋で友人と映画を見に行かなければ良かったのか。

 昨夜、見かけた少女を異術士だといぶかしみ、追いかけなければ良かったのか。

 昨夜、学生証などを拾わなければ良かったのか。学校に届けるついでに、少女と接触しようと思わなければ。常日頃から、もっと強力な装備を携帯していれば。もっと強い術式を身につけていれば。もっと異界の知識が豊富だったら。もっと異獣や異骸、幻獣との戦闘経験を積んでいれば。もっと、それこそ素人の一人や二人抱えていても尚、問題ないと言い伏せられる程、俺が強ければ――


 彼女は、俺が殺したようなものだ。いや、俺が殺したんだ。


「――ふざけるな」


 熱が収束し、身体が冷えていく。


「――返せ」


 もはや命を失った少女を見納めて、漸く回転の止まった黒い槍を振るってこちらに向き直った幻獣に俺は呼びかける。


「――返せよ――森瀬を、返せ」


 激昂が、憎悪が、憤怒が俺の言語野を支配するが、思考の中で俺はこの幻獣に有用な術式をピックアップし、この後の交戦の展開を高速で組み上げていた。

 しかしどう足掻いても、視認すら許さない神速の突撃を、俺はどうすることも出来ない。辛うじて、異界入りから身を守った【防護膜シールド】を最大効力で繰り返し自身に付与しながら、自分か幻獣のどちらかが死ぬまで互いに攻撃を繰り出し続ける――それしかもう考えられなかった。


 憤りは、どうやらもう俺の思考や行動をも支配しつつあるらしい。

 だと言うのに、身体はどんどん熱を失って冷たくなっていく。そこで初めて俺は、自分が死ぬことが怖いのだと気付いた。


 勝てない。一矢すら報いれそうにない。

 どう足掻いても死ぬ。逃げることも出来ない、それはしたくない。


 彼我の距離はおよそ3メートル。こんな距離はもはや距離とは呼べない。しかし槍による突撃ランスチャージには近すぎると考えたのか、幻獣は一跳ひとっとびで再び台座近くまで後退した。


「――ってやるよ……やってやるよ!」


 死の恐怖を振り払うために、俺の意識と乖離した、俺の憤怒が憑き動かし振り絞った声は、思った以上に震えていて――そして俺は、幻獣のその様子に気付き、堪らず後ろを振り返った。


 幻獣は、突撃のために距離を開いたんじゃない――その異常を、驚異と捉えたからだ。


「――何、だ?」


 その光は、森瀬の遺体から発せられていた。

 半身に断たれ、ゼロへと絶たれた命。それが、もう動かない体表から白い光を発している。

 【霊視イントロスコープ】の付与された両目はそれが、【自決廻廊シークレットスーサイド】の時に現れるような、色だけが違うあの羽虫だと俺に報せる。そのひとつひとつはこれ以上ないほどに励起された荒ぶる霊銀ミスリルだ。


 死者の体から湧き出た白い羽虫たちは、螺旋を描いて中空で翻ると、その少女の遺体のすぐそばに集まり、地面へと激突していく。

 激突していくそばから重なり、膨れ上がり――それは段々と、形を創っていく。


 人の形を、“幻創ゲンソウ”する。


「森瀬、なのか?」


 出来上がった“異人”の形は、そう問い質したくなるほどに少女の姿から乖離していた。

 大きさはたぶん、ほぼ同じだ。ただ、その造形デザインは、実に狂気じみている。


 掠れた碧いラインの入った白く濁った膝丈の外套――奇妙なことに、裾と袖の境界は無い――を纏い、フードを目深に被り、そして何かの虫の頭を模したガスマスクのような錆びた面で表情を覆い隠している。

 フードの隙間からは少女のそれと同じ長さを持つ、色褪せた黒髪が流れ出で、息遣いにゆらりと揺れている。

 外套から覗く手足は細やかなヒビがその表皮を覆い尽くしていた。石灰質で出来ているように濁った蒼白色で、ただ伸びた爪だけが赤黒い輝きを放っている。


 完全に現出し、マスクの内側の双眸に幽冥な赤い灯火を点したその“異人”は、遺体に向けて、いくつもの赤黒い亀裂の入った左腕を伸ばす。

 すると遺体の周囲に散らばった血と肉の塊が、飛沫を上げて宙に舞い上がり、幾条かの流線となって螺旋を描きながら旋回し、やがて黒い球体へと収束する。


 左掌の上にそれを浮かべた異人は、その手を幻獣へと向け――球体が、弾けた。

 弾けた飛沫は今度は黒色を纏う無数の羽虫となって幻獣へと殺到する。

 幻獣は再度後退し、獲物を弓へと変えていくつもの棘を射出する。

 しかしその攻撃を透過して――黒い羽虫の軍勢は、幻獣の腹部へと集まり、蹂躙した。


 【自決廻廊シークレットスーサイド】同様に衝突しては溶け込む黒い羽虫。幻獣が苦悶に身を捩って叫び声を上げる。

 そして全ての羽虫が幻獣の腹部に収まると――白い異人は、差し向けていた左の掌を握り締めた。


 バヅンッ――。


 破裂音が響き。

 幻獣の腹部が消滅し、支えを失った上半身が崩れ落ちる。

 面に放射状に並んだ六つの目はすでに光を失っている。

 二つに絶たれたそれぞれの体の断面から、今度は青い羽虫たちが飛び上がり、白い異人は左手を下ろし、今度は右手を天に向かって伸ばした。

 青い羽虫たちの群れは一列になり白い異人の周囲を旋回すると、異人が手を下ろし指差した遺体へと群がっていく。

 殺到し、少女の遺体を完全に覆った羽虫たちが消えると――そこには、仰向けに眠る、破れた制服から腹部を覗かせる森瀬芽衣がそこにいた。


 状況を整理することなど、して飲み込むことなど出来ない俺は、取り残されたようにただそこに立ちすくみ続けていた。

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