第五章 家族のスナップ
娘を抱く若い母親…写真を観る者は十中八九、そう思うだろう。被写体の二人は
アンゴラ風の毛糸で
強い陽光に輪郭を
写真のアンは実際の年齢より四、五才
食べかけのフルーツパフェと栓を抜いたビール瓶が二人とカメラの間に置いてある。
湾内の人工島に造られた遊園地。その北側にある海上レストランに、三人はいた。
「あのお船に乗ったら、ママの国に行けるかな?」
マリの子供は、湾内を
「いいえ、あなたのママの国は遠いでしょう? だから、飛行機に乗って行くのです。いつかあなたも、パパやママと一緒にママの国に遊びに行けたらいいね」
遊びにね……と、アンは念を押すように言った。
「ママの国とパパの国、どっちがいい国なの?」
「どっちもいい国よ。ママが生まれた国も、パパが生まれた国も、みんないい国。アン
アンは
アンは
彼女はモデルの仕事をもらった。撮影は一週間前に終わっている。彼女にしてみれば並はずれた額の報酬も受け取った。
広告代理店で働く友人にアンのポートレートを見せ、モデルとして使ってくれるよう頼んだのだ。彼は眼科医学の専門誌に
写真は、
眼科医薬メーカーの研究室を借りて、撮影は行われた。
白衣の立会人。医療用光学機器というべき
モデルと云ってもパーツモデルである。
専門誌に掲載される広告だから、写真が一般人の目に触れることもない。それでもアンは喜びを隠そうとしなかった。撮影にはまる一日かかったが、アンは
「
お祝いをすると言って、アンは食事に誘ってくれた。
「土曜日の夜、先生と二人でディナーね。私、ドレッシーにキめて行きます」
ところが当日の昼になると、アンは電話を
三人はチャイナタウンを通って臨海公園まで歩き、
子供に求められるまま島内の
「ビールがテーブルにあると、ファミリーに見えるでしょ」
アンは勝手にビールを注文した。
「あのね、あたしのパパも、ビール、好きだよ」
子供は、川口夫婦がアンに付けて
「連れていって下さいと、マリに頼まれたのです。
「ショガナイネ」
子供がアンの真似をした。
「こら、今日、アン小母さんはママの代わりでしょ? ママを馬鹿にする、いけません」
「じゃあ、パパのかわりは?」
子供がアンを見上げた。僕はシャッターを切り、二人の瞬間を記録した。アンの部屋に飾ってあった
「パパのかわり?」
アンは、ビール
「天使とのデートは楽しかった?」
窓ガラスに一組の男女が映っている。充分に深くなった闇を背景としたその
「
「恥ずかしかったよ」
僕が静かに見つめ返すと、リンは、我に返ったように大きく
リンは直ぐに
「ごめんなさい。ただの
と、
「私、あなた以外の男と寝たことがないの」
今度は、僕が瞬きをする。
「驚いた? USの東洋系移民って結構保守的なの。大抵の女の子は処女のまま結婚するし、父親の許しがなければ結婚しない。私なんか、これでも進んでるほう」
だから……ただの嫉妬よ、とリンはもう一度、
窓の鏡像たちは、僕等と同じ表情をして、何を語り合っているのだろう。彼らは今にも立ち上がり、室内の二人を無視して夜景の中へと歩き去るのではないか。
「さっきの話に戻るけど、娼婦を写したいと思うことあるでしょ?」
「うん」
娼婦は魅力的なモチーフの一つだ。
写真家なら、一度は娼婦を撮りたいと思う。娼婦は
「他の理由で、娼婦を撮りたいと思ったことがあるはずよ。私、娼婦にのめり込んでしまったカメラマンを大勢知っているわ。カメラマンは
「先生は、ビールが嫌いですか?」
アンは、コップに
「僕は、お酒に弱いんだ。ちょっと飲むだけで、酔ってしまう。酔っぱらうと、何を言うかわからない。アンを
「クドク? 今日辞書持っていません。どんな意味?」
「
「イイヨル? もっと解りません」
首を傾げた後、アンは目を閉じ、クドク、クドク……と、小声で繰り返した。
注がれたままのビールをテーブルに残し、偽りの家族は席を立った。
父親代理は片腕で子供を抱き上げながら、レシートを手に取るアンに財布を渡そうとした。
「払っておいてくれ」
「今日は、私がお礼をするの。だから、私のオゴリよ」
「この国のママはパパにオゴらない。お金はいつも、パパの財布からママが出す」
笑いながら言うと、アンは
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます