跡地

たそたそめそ

序章 俺たちは雨宿りをしていた

第1話 歯車は重なった、軋みながらも

 冷たい粒が俺の瞼を叩いた。

 ハッと俺は目を開ける。

 足元に転がっている自転車、目の前でわんわん泣きじゃくっている少女。その2つを雨が濡らし街灯が照らしている。

 俺は背中を石垣に預けアスファルトの上に座っていた。

 空は暗い。夕方過ぎだ、ということを思い出す。

 ……どういう状況だったっけ。

 思い出そうとふと顔を細い路地の向こうに向けると、トラックの赤いバックライトが三叉路を曲がっていくのが見えた。

 ああそうか。

 俺はトラックに跳ね飛ばされたんだ。


「よいしょ」


 立ち上がる。

 泣きじゃくっていた少女がビクッと肩をすくめ泣き止んだ。


「……大丈夫か? 怪我はないか?」


 しゃがんで頭を撫でてやる。少女はぽかーんと口を開けている。


「おにいちゃん、しんでないのお……?」

「はは、死んでないさ。こんなにピンピンしてるだろ」


 そう言って俺は力こぶを作ってみせる。少女はぱあっと笑顔になった。前歯が1本抜けている。


「それは、さっき抜けたのか?」


 前歯を指さして言う。


「んーん! きのうぬけたあ!」

「そうか。それならよかった」

「あんねあんね! さっきのトラックの運転手さんも前歯ぬけてたよー! おそろいだった!」

「そっか。そりゃよかった」


 どうやら本当に元気そうだ。心配する必要はないらしい。


「雨、降ってきたから。ウチに帰りな。曲がり角ではきちんと左右確認するんだぞ」

「うん!」


 元気のいい返事。耳がキーンとなりそうだ。


「じゃあな」


 俺は自転車を起こし、またがる。

 チリンチリン。キュッキュッ。ベルもブレーキも壊れてなさそうだ。


「じゃあね~!」


 少女はぶんぶんと手を振り、俺を送ってくれた。


「おにいちゃん、たすけてくれてありがと~!」

「気をつけて帰れよ~!」

「ありがと~!」


 ペダルを踏むにつれ、少女の声は遠ざかっていく。そしてやがて、聞こえなくなった。


「ん……」


 鼻が詰まったような感覚がある。

 左手で顔を拭うと赤い色。鼻血が出ていた。

 左手を広げると、雨に晒され赤い血は筋となり細く細く伸び、そして消えていった。




 ◇◆◇◆


 リンゴ色の雨~俺たちは異世界で雨宿りをする~


 序章

 俺たちは雨宿りをしていた


 第一話 歯車は重なった、軋みながらも


 ◇◆◇◆




 ガシャガシャガシャ!

 突如大きな音がして、俺の体はつんのめった。自転車の後輪チェーンが絡まり急停止したのだった。

 路肩に停車し状態を確認する。後頭部をガシガシと掻く。

 自慢じゃないが、俺はこういうの苦手なんだよな。

 とそのとき、俺の足元を何かがトントンとつついた。


「誰だ」


 見ると、そこにいたのは一匹の狐だった。

 黄色い、まさに「狐のイメージそのもの」って感じの狐だ。首に白と赤のシマシマの首輪みたいなものを付けている。


「どっかのペットか……?」


 その狐は俺の瞳を見つめると、すぐに踵を返し近くの林へ入って行った。

 木々の隙間からこちらの様子を窺っている。


「道案内でもしてくれるのか?」


 狐が頷いたような気がした。あるいはそれは、ただの木のさざめきが俺に幻覚を見せただけなのかもしれないが。

 自転車を担ぐ。狐についていく。

 狐は舗道なのか獣道なのかよくわからない道を通っていく。まるで俺を先導してるみたいだ。

 街灯も何もないから道は暗い。自転車のライトを取り外し足元を照らしながら歩く。草木をかき分け進むとやがて、少し開けた場所に出た。


「神社……か?」


 小さな神社があった。

 赤い屋根だ、昔は綺麗な色だったんだろうけと今はくすんでいる。

 周囲には手を洗うとことか受付とかも何もなく、ただその神社……社殿シャデンっていうのか? それだけがあった。


「誰かいますかー?」


 返す声はない。林に音が吸い取られたような感覚がした。

 心なしか、雨音も先ほどより小さくなっている。


「雨宿りにはちょうどいいか」


 自転車を地面に下ろし、観音開きの扉を開く。

 真っ暗闇の社内をライトで照らし出す。中央に大きな柱が立っている。床の隅にゴミのような袋が転がっていたが、それ以外は特に気になるものもない。

 だが人の気配を感じた。

 もしくは、幽霊か何かだろうか。

 恥ずかしながら俺は幽霊を信じている。


「幽霊か?」

「手を上げて」


 耳元で誰かがそう囁いた。いつの間にか背後に回り込まれている。背中を固い棒でつつかれる。

 女の子の声だ。年はそう俺と離れてない。


「手を上げるなら幽霊の方じゃないのか? うらめしや~ってさ」

「泥棒?」と女の子の声。

「いや、雨宿りだよ」

「ふうん。名前は」

千寿センジュ篠月シノツキ千寿センジュ

「……篠月?」


 背中の固い棒の感触がなくなり、視界が真っ白になる。

 何事かと思ったが、どうやら懐中電灯で顔を照らされているらしかった。


「もしかして、!?」

「うん……?」

「パールくんだ! うわ~久しぶり~! 面影あるね、あはは」

「眩しい、眩しい」

「あ、ごめん!」


 女の子はようやく懐中電灯を天井に向けてくれた。天井から跳ね返った光が、その子の輪郭を浮かび上がらせている。

 遠海トウミ琳子リンコだ。俺は思い出す。いろいろ大きくなってるし顔も綺麗になったが、目が昔の彼女と同じだ。

 肩まで伸びた長髪。俺の目線に頭のてっぺんが来るくらいの背。俺はけっこう背が高い方だから、彼女も女子にしては高い方だ。

 年齢は俺の一つ下だったから……今は16のハズだ。

 そして整った顔。どう控えめに言っても美人だ。


「リンゴ、か。綺麗になったな」


 それは彼女の過去のあだ名だった。


「ありがと。八年……ぶり?」

「そんなになるか」

「なんでここに?」

「ただの雨宿りだよ。そっちこそなんでここに」

「……私も、雨宿り」


 バタン!

 入口の扉が突然閉じた。俺たちは振り返る。

 誰もいない。


「風かな」

「たぶんな」


 そう受け答えしながら、八年前のことを思い返す。

 リンゴ。八年前、つまりは俺が九歳のとき、俺と彼女は幼馴染というやつだった。

 家は離れていたけれど、俺たちはこの街に住む仲間で、そして大切な友達だった。

 だけどリンゴは突然姿を消した。

 どこに行ったのか誰も教えてくれなかった。まさかこんな何もない廃神社で再会するとは。

 しかも……こんな日に。


「狐を見たか?」

「狐?」

「狐がここまで連れてきてくれたんだ」

「見てないね。ずっとここにいたし……」

「ずっと? いつから?」

「え? え~っと……そうだね……一時間くらいかな」


 リンゴは背中で手を組んだ。その動きはどこかぎこちない。俺は目を凝らして社内の様子を改めて確認してみる。床の隅に転がっていたゴミのような袋。よく見ればそれは寝袋のようだった。

 バタン!

 今度は扉が開いた。再び振り向いて――目を疑った。

 扉の前に立っていたのは、大きな大きな「歯車」だった。

 いや、厳密には、大小さまざまな形の歯車ギアがいくつも重なりあい、人間の背丈ほどの塊になったものだ。ところどころ苔が生えたり錆びたりしている。色も金色、銀色、様々だ。

 人間でいえば顔くらいの位置だろうか、そこにはめ込まれている巨大なベベルギアが、火花を散らしながら回転した。


「……知り合いか?」

「そう見える?」


 俺たちは知るよしもなかったが――この歯車人間は異世界人であり、ここはすでに異世界の真っただ中だった。




 次話「白い鳥居と紅の鎖」へ続く



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