目が覚めなければいいのに

ヤツメウナギ

第1話 導入

 僕は深緑の絨毯のような草原で目を覚ました。どうしてこんなところにいるかという疑問はこのときの僕の頭の中には毛頭ないのである。というのもどうせこれは夢だと思い込んでいたのだから、どうせなら目が覚めるまで自然の美しさを享受しておこうという心持ちであった。

目の前に広がる空は海のように平らで、からだが空にすうっと吸い込まれるように柔らかであった。まぶたの隙間から差し込む優しい光、さわやかな風が僕の体をすみずみまで濾過してくれる。人々が享受するあらゆる風の恵みを一身に受けているような、独占しているかのような満足感が体を満たした。――もしアダムとイヴが暮らしていた「エデンの園」なるものが存在するのであれば、それはここだと僕は断言できるだろう。僕がアダムで、これからこの自然の恵みをこれからのかわいい子孫たちに分配するのだ。

 僕はしばらく歩き回っていたが、動物の気配は感じられない。花樹は本来動物使われるはずだったエネルギーを思う存分に吸い取り、空に向かって己の美しさを見せつけたのであった。僕の精神にアダムに乗り移ったかのような気持ちであった。

 草原にぽつんと咲いていた紫のグラジオラスのような花を眺めているときのことであった。その花は一般的なグラジオラスより小さく、周りの植物はいきいきと背を伸ばしているのに対し、この花はあまりにも広大な空に押し潰されているかのようで、葉に滴る水の玉もどこか寂しげである。すると突如としてこのあたりは真っ黒に染まり始めたので上を見上げて見ると、そこにいたのはこの空に負けじと翼を広げた竜の姿であった。頭から空に突き刺すような角、睨んだだけで植物を枯らしてしまいそうな瞳、浮き上がる血管が見える腕からはこの柔和な草原を手のひら一つで薙ぎ払ってしまいそうな力強さを感じ取れる。僕の夢のようなひと時はこの竜によって打ち砕かれた。

 巨大な竜の背から2人の人影が見えた。やがて2人は竜の背から飛び降り、僕のほうにそろりそろりと向かってくる。先ほどまで人間などいなかったのだから僕はうんざりした。まさに禁断の果実がハサミでぼたりと落された気分である。そして、一人のギリシア風彫刻のような顔立ちをした男は僕にこう話しかけるのであった。その声は穏やかではありながらも、どこか疑いの念も含んでいるかのようであった。

「…どうして君は裸なんだい?」




 

 

 

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