第63話 狂気に焦がれて
魔人の雄叫びに、一帯の大気が振動する。
その威容を見上げながら、エルンストは体を震わせていた。
これだ。あの日目の当たりにし、焼きついて離れなかった光景。35年間焦がれ続けた存在が、己が眼前にある。
あのエンデュアル王国が最後に残した研究を、この自分が蘇らせたのだ。
「おお……! これが魔人……!」
「やりましたな、エルンスト殿!」
自分に付き従っていた黒ずくめの魔術師たちも感嘆の声を漏らす。彼らは手を組んだ軍部の一味が派遣してくれた者たちで、これまで手足となって働いてくれた。そのことには、一応感謝しておこう。
彼らの声に反応したわけではないだろうが、それまで天を仰いでいた魔人が、視点をこちらに落としてきた。虚無の眼窩が魔術師たちを見つめてくる。
そして――魔人は、魔術師たちに向けて、その巨大な腕を振り下ろした。
叩きつけられた手が床を砕き、そのまま床石の砕片ごと魔術師たちを薙ぎ払う。その一撃だけで十人以上の配下が宙を舞い、壁に叩きつけられ、地面を転がる。
「なっ!?」
「エルンスト殿、これは一体!? まさか制御できていないのですか!?」
予想していなかったのだろう展開に、難を逃れた魔術師たちが駆け寄ってくる。
「制御? 何を言っている。端から制御術式など組み込んではいない」
「……は?」
エルンストの返答に、魔術師は間抜けに口を開けたまま固まった。彼は派遣されてきた者たちの中では高位の魔術師だったはずだが、そんなこともわからなかったのか。
「勘違いしている者が多いようだが、エンデュアル王国が生んだ魔人も未完成などではなかった。魔人は、これで完成なのだ。考えてもみたまえ、人間の数十から数百倍の魔力を誇る魔人を、どうやって制御するというのだ? それこそ数百人を超える魔術師が必要になる。それでは何の意味もない。兵器として運用するなら、無差別の大量破壊兵器としてだ」
話している間にも魔人は、直立すれば膝まで届く異様に長い両腕を振り回して、辺りの物を破壊していく。時折、怨嗟と悲痛に満ちた叫びを上げながら。
魔人は魂の集合体であるが故に、その魂たちが死の間際に抱いていた感情に支配される。怒りや悲しみ、恨み、憎しみ。それらが渾然一体となり、一個の狂気と化して暴れ回る。
一度生まれ落ちれば、消え去るまで周囲を破壊し尽くす。それが魔人なのだ。
「君たちは大方、魔人を武力にして国王や周辺国との関係で主導権を握ろうとしていたんだろうし、私もそう言って君たちの上司を誑し込んだんだけど。残念ながら、そんな便利な力じゃあないんだよ」
「な、わ、我らを騙し……ッ! だ、だが、このままではあなたも魔人の餌食だぞ!? それがわかっていて、なぜ!?」
「別に構わないさ。友だった彼女まで犠牲にしたんだ。今更自分の命など惜しむものか」
自分が生きようと死のうとどうでもいい。再びこの光景を見るためだけに、今まで生きてきたのだ。
かつては、積み重ねていればいつかはと、社会に貢献してこその研究だと、自分を騙していた。
しかし、あの日に。
必死に負傷を治療して救ったと思った命が、一緒に酒を飲み交わした数多の戦友が、魔人の腕の一振りで奪われたあの光景に、悟らされた。
凡人が凡人のままにどれだけ努力しようと、天才たちの光の前ではあっさり掻き消されてしまうものなのだと。
凡人が天才に追いつくためには、全てを、己の命さえもかなぐり捨てなければ。
でなければ、あの人たちには追いつけない。でなければ、また置いていかれてしまう。
「く、狂っているよ、あんた……!」
魔人を見つめて笑うエルンストに、魔術師がたじろぎ呻く。
そうか、狂って見えるか。
ようやく、私は狂えたのか。
魔人の空洞の目がエルンストを捉える。その口が開かれ、二人の上に影を落とす。傍らにいた魔術師が逃げ出す中、エルンストは両腕を大きく開いて、魔人へ告げた。
「さあ、私のなけなしの狂気よ! 世界に存在を刻め!」
その言葉を最後に、エルンストは魔人に飲み込まれた。
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