第40話 戦う、その前に、そのために

 前を歩くシャクールについて、俺たちは歩いていく。フードを被ったままの男二人も、俺たちの後ろに回り逃げ道を遮って進んでいく。

 その様子を横目で窺いながら、サナが肩を寄せてきた。


「この際、付いて来ちゃうのは仕方ないけど。でも、ティグル君自身に危険が及ばない限りは、手を出さないでほしいの。この人たちが用のあるのは私で、これは私がけじめをつけないといけない問題だから。お願い」

「そりゃあ時と場合による」


 俺の返答に、サナは横目でじろりと睨んできた。微妙に唇を尖らせて、むくれている。

 だって、もしサナが怪我しそうになったりしたら、そりゃあ手を出すよ。でなければ、わがままを言って同行している意味がない。


「でも、まぁ。いよいよって場面までは、極力黙って見守っていることにするよ。俺だって、他人の事情に面白半分で首を突っ込みたいわけではないし。それでいいか? その代わり、一段落したら事情を教えてくれよ」

「……うん。ありがとう」


 仏頂面を少しだけ和らげ、サナは頷いた。


 その後は会話らしい会話もなく歩いていると、倉庫街に踏み込んだ。レンガ造りの壁に挟まれた路地を進んでいくと、少し開けた場所に出た。大きさが異なる倉庫同士の隙間に偶然出来たような、日の当たらない空き地で、今入ってきた道以外は壁に囲まれている。

 シャクールが空き地の中央で足を止まった。俺たちの後ろを歩いていた二人は、唯一の出入り口を塞いで立ち止まる。


「それで、お願いとは何なんですか?」


 サナは背後を一瞥しただけで、殊更警戒心を強めることもなく、話を促した。


「現在わが軍では、新たな魔法術式の開発を行っておりまして。サナ様には、それに協力して頂きたいのです」


 振り返ったシャクールも、これ以上余計な前置きは不要と思ったのか、抑揚の乏しい口調で要件を述べる。


「新しい魔法? それはどういったものなのですか?」

「私も詳細は知らされておりません。何分、軍部の重要機密のため、私のような末端の者では」

「……協力とは、具体的には?」

「術式の試験運用と聞いております」

「ただの試験運用なら、私である必要はないのでは? 軍には優秀な魔法士がたくさんいるでしょう?」

「今回の術式は特殊なもので、サナ様でなければならないのだそうです。……申し上げにくいのですが、ご自身が如何に特殊な存在なのかは、サナ様もご承知のことかと思います」


 サナが顔を顰める。怒りとも苛立ちとも違う、苦々しげな表情だ。

 どうしたのだろう、と訝しんでいると、ちらり、とサナがこちらを窺った。今しがたの不愉快そうな歪みが薄れたのに代わり、今度は唇が固く結ばれている。

 何が何やらわからない俺は「?」と首を傾げることしかできず。サナはそれを見てか、再び顔をシャクールへと戻した。心なしか、彼女の肩から少し強張りが抜けた気がした。


「だとしても、やり方があまりに強引ではないですか? 最初から交渉へ来ればいいものを、サーペントを使って客船ごと襲うなんて。今にしてもそう。話が終わる前から逃げ道を塞いで……まるで、端から穏便に事を進める気がないみたい」


 サナの指摘に、シャクールはすぐには答えず、押し黙っていた。しかし、数度の呼吸の末に、わずかに顔を上げた。


「……予感が、あったのです」

「予感?」

「たとえ始めから、害意を隠して交渉に臨んだとしても。もっと上手い理由をでっち上げ、報酬なども用意したとしても。きっとあなたは、私たちには従ってくださらないだろうという予感が。だったら、下手な接触をして警戒心を抱かれる前に、最初から、私たちが持ち得る最大戦力のサーペントをぶつけた方が成功の目があるのではないかと、そう思ったのです。……予感というより、私個人の願望だったのかもしれませんが」


 これまでシャクールは、声も顔つきも淡々として変化が乏しく、まるで仮面に肉付けしただけのような印象だった。だけど今は、表情は皮肉気に薄く微笑み、声には揺らぎが混じって、血が通い出している。


「……なのに今回は、顔を見せて交渉を試みているのですか? こんなまどろっこしいことせずに、不意打ちを仕掛けた方が良かったのではないですか?」

「すでに警戒態勢を取られているのに奇襲が成功するとは思えませんでしたし……直接対峙する以上、一度は話をしてからでなければ気が収まらなくて。言ってしまえば、私のワガママですね」


 シャクールの自嘲に、背後の二人がかすかに反応を示した。大柄の男は微笑み、背が低い方はため息を漏らすという、正反対の態度だったが。

 それはサナの耳にも入っただろう。彼女は一度、シャクールの顔からつま先まで視線を巡らせた後、軽く息を吐いた。その顔は、力なく笑っている。


「任務に私情を挟んだらダメでしょう。失礼だけど、今の仕事、向いていないんじゃないですか?」

「やはり、そう思われますか? しかし、他に成り手もいなくて」


 シャクールが瞳に疲れた色を滲ませ、乾いた笑みをこぼした。サナがそれに、同情するような笑みを返す。顔を合わせたばかりの時の一触即発といった雰囲気は融解し、むしろ和やかな空気が流れ出す。


「最後に、もう一つだけ教えて下さい。今回の件、あの方は……陛下は、承知しているのですか?」

「…………いえ。これは陛下のご意思ではなく、軍部が内密に行っている作戦です」

「そう……。ありがとう、答えてくれて」


 短い躊躇の末に発せられた言葉を受け、サナは一度目を伏せた。そして、軽く息を吸ってから、再びシャクールと向き合う。


「あなたたちのお願い、やはりお断りします。国王陛下の意思に反する行いに加担するわけにはいきませんし、当のあなたたち自身が乗り気でないようでは碌な計画じゃあなさそうだし。それに私、軍とか国とかのゴタゴタに巻き込まれるのは、もうごめんなので」


 最後は肩を竦めながら、台詞にそぐわないやんわりとした口調で、サナは要求を突っ撥ねた。


「そうですか。まぁ、そうでしょうね」


 予感とやらの通りになったからか、サナの言葉をすんなりと受け入れた風で、シャクールは頷いた。かすかに頬を緩めたまま、目を伏せる。

 しかし、数秒黙り込み、再び頭を上げたシャクールには、もはや笑みはなかった。


「ですが、我々も素直に引き下がるわけにはいきません。やはり来ていただけないと言うのなら」


 鋭い眼光でサナを睨み、シャクールは剣を抜いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る