恐怖の大王

僕は小学生の頃、恐怖の大王を本気で信じていた。

何が怖いのかはよくわかっていなかった。

でも、テレビに出てくる大人や、周りの同級生が怖がっていたから、怖かった。

ノストラダムスさん、と呼ばれる偉い外国の人が、1999年の夏に恐怖の大王が来る、と予言していたらしいから、怖かった。

口裂け女を信じていた僕には、恐怖の大王を否定する理由なんてなかった。

怖がっている僕に母親は、「恐怖の大王なんているわけないでしょう」と、何度も言った。

でも、お母さん以外の大人の人たちは、皆恐怖の大王のことを恐れていた。だから怖かった。

夜、外ではセミが大声で鳴いていた。

恐怖の大王が天から降りてくる音のような気がして、僕は耳を押さえて眠っていた。


でも、僕の恐怖心とは裏腹に、7月が過ぎても、恐怖の大王は来なかった。

いつしかセミの鳴き声は消えていた。

それでも僕は耳を塞いで寝ていた。


8月になっても、恐怖の大王は来なかった。

それでも僕は耳を塞いで寝ていた。


9月になっても、恐怖の大王は来なかった。

僕は耳を押さえなくても眠れるようになっていた。


10月になっても、やっぱり恐怖の大王は来なかった。


11月になっても、やっぱり恐怖の大王は来なかった。


12月になり、クリスマスが近づいていた。

プレゼントを楽しみにしている僕に、同級生は言った。

「サンタクロースなんていないんだよ」

夢を壊す言葉。僕は信じられなかった。


この日は急いで家に帰った。

「お母さん、サンタクロースっているよね?」

「え?いるよ?」

お母さんは、包丁で野菜を切りながら、僕の方を見ずに答えた。


クリスマスの夜、サンタクロースからプレゼントが届いた。

僕がずっと欲しかった、サッカーボールだった。

念願のプレゼントだったのに、なぜか嬉しくなかった。


12月になっても、やっぱり恐怖の大王は来なかった。

1999年が終わり、2000年となった。

1999年の間に、ノストラダムスが予言した、恐怖の大王は現れなかった。


2000年になると、テレビの中の登場人物は、恐怖の大王なんて忘れてしまったようだった。

恐怖の大王のこと、あんなに怖がっていたのに。

恐怖の大王が出てくることよりも、恐怖の大王が急にいなくなってしまったのが怖かった。


これから色んな人が、僕の知らないうちに消えてしまうんじゃないか、そう思って怖くなった。

芸能人も、サンタクロースも、アニメの出てくるキャラクターも、皆どこかに消えてなくなってしまうんじゃないか。

そういえば、セミだって気づいたらどこかにいなくなってしまった。

もしかしたら、お母さんも急にどこかへいなくなってしまうかもしれない。

そう思うと、胸が張り裂けそうだった。




中学。

さすがに、母親がどこかに姿を消す、なんてことは思わなくなっていた。

サンタクロースが実在しないことも当たり前になっていた。

この頃から、急にプログラミングを勉強し始めた。

思春期の心が、人工知能という言葉の響きに掴まれたのである。

ロボットが人間を侵略していく映画を見て、さらに心を掴まれた。

まだ、ロボットなんてものは存在しない。

でも、確実に未来にはロボットが存在しているんだろう。

それを考えると、心が躍った。

未来には、人間を支配できるようなテクノロジーが存在している可能性がある。

そう思って、僕はさらにプログラムの技術を磨いた。

部活やゲームを楽しんでいる友達は、僕のことを気味悪がっていたが、関係なかった。

気づくと、簡単なゲームなら作れるくらいの能力を身につけていた。




高校。

この時期のことは特に覚えていない。

人工知能の権威と呼ばれる先生の下で学ぶために、必死に勉強した。それだけ。

「人工知能なんて何の役にも立たない、もっと将来役に立つ仕事を目指しなさい」

何も知らない担任の教師が僕の夢を否定した。

お前の方がよっぽど役に立たない、と浮かんだ言葉は飲み込んだ。


いつからか、僕は大人のことを信用できなくなっていた。

グラデーションで、気づかぬうちに変化しており、何がきっかけだったかは僕も覚えていない。

恐らく、大人に対する不信感が募った結果なのだと思う。

そして、志望していた大学に合格した。




大学。

何かが姿を消す恐怖心はなくなっていった。はずだった。

在学中、母親が亡くなった。

高校の時から、持病があったため、仕方ないと思っていた。

だが、やはり失ったときのショックは計り知れなかった。


外では、セミが鳴いていた。

セミの声が、僕の小さい頃の記憶を呼び覚ました。

恐怖の大王が消えたときの恐怖を鮮明に思い出したのだ。

このまま、恐怖の大王のように、僕以外の人間の記憶から母親は消えていくのだろうか。

幼心に抱えていた恐怖心は、不安へ、そして、なぜか怒りへと姿を変えていった。


肉体が燃えてしまえば、存在は消えてしまうのか?

どいつもこいつも、存在しないのか?

人間すら存在しないのか?皆、大人の嘘なのか?

「将来」、「普通」、「社会」。

僕を縛りつけてきた曖昧な存在が全て憎かった。


恐怖の大王なんて現れなかった。

あの時、一部の大人たちは、恐怖の大王を使って僕たちを陥れたのだ。


改めて、ノストラダムスの予言の内容を調べた。

「恐怖の大王が天より姿を現す」?

バカバカしい。大人はなぜこんなものを真剣に信じていたのだろうか。


「彼はアンゴルモアの大王を蘇生」?

恐怖の大王がアンゴルモアの大王を蘇らせる?

アンゴルモアの大王が恐ろしいのであれば、恐怖の大王はあくまでオマケでしかないではないか。

恐怖の大王自体には力がないのに恐怖の大王を恐れていたなんて…。


「火星が幸せに支配する」?

幸せに支配する?

火星の意味はわからないが、幸せに支配するのであればアンゴルモアの大王が復活して問題ないではないか。

恐怖の大王はむしろ救世主だ。


この文章を捻じ曲げて、利用した大人が存在するのだ。

恐怖の大王を信じて、人生を棒に振った人間もいる。

恐怖の大王を信じた奴も馬鹿だが、その馬鹿は、利用した奴が存在していなければ生まれていない。

僕の頭の中は怒りで支配されていった。


そういえば、火星で思い出した。

人間は、火星に移住する計画のことなんて話題に挙げなくなったよ。

大人はどうしてこうも嘘ばかりつくのだろうと思った。

出来ないならば、ハナから言わなければいいのだ。

公約という耳障りのいい言葉を並べ立てて、馬鹿を騙して金を巻き上げる。


恐らく、ノストラダムスも、ノストラダムスの予言を利用した者も、不必要に他人の心配を煽り、金儲けをしていたのだ。

現代の占い師のように。構図は今も昔も変わらない。


存在しないものを祀り上げる。

それを都合よく利用するのが大人だ。

「神」も「宗教」も「努力」もうまく方便として利用されている。


利用されるだけでなく、利用してやる。

僕自身が、存在しない存在を作り出せばいい。

僕こそが、現れなかった「恐怖の大王」を作り出せばいい。

誰も、確かに存在するものを知らない。

存在しないのであれば、作ればいい。




27歳となり、大学院を卒業した僕は、あえて就職しなかった。

決まっていた大学のポストを、3月に捨てた。

先生は激怒した。しかし、声はもう聞こえていなかった。

人工知能の権威と呼ばれた男も、人工知能という存在に踊らされた人間でしかなかった。

僕はもう、学問にも社会にも興味をなくしていた。

僕には、世間が言う人工知能、AIの類を自力で作れるだけの能力は備わっていた。

あとは、「恐怖の大王」を作るだけだ。


仕事には時間が必要だった。

3ヶ月かけて、僕はスマートフォンのアプリ「恐怖の大王」を完成させた。

このアプリは、位置情報を使用する二番煎じのゲームだが、後乗りでも十分にユーザーを騙せることは知っていた。

アプリを公開してからあっという間に利用者は100万人を超えた。


そして、このアプリの中にちょっとした細工をした。

「恐怖の大王」にはAIが搭載されている。

このAIはこちらの合図で、「恐怖の大王」がインストールされたスマートフォンに異常を発生させる。

通常の使用時であれば問題ないが、スマートフォンを充電している場合には、発火させる。

合図は僕のPCで出すことができる。

既に、僕の部屋で実験済みだ。


外は雨が降っている。

黒い雨雲からは稲光が見える。

稲光が窓から室内を照らす。

あいにく月は隠れている。


多くの人間が、夜眠る前にスマートフォンを充電していることだろう。

どれだけの人が、被害に遭うだろうか。

暗闇の街を、燃えた家が照らし出すのだろうか。


「恐怖の大王が天より姿を現すだろう」

この言葉を、SNS上に書いた。

恐らくいずれ、モノ好きな人間がこの犯行予告を見つけ出すだろう。


雨が勢いを増した。雷の音が心地いい。

「恐怖の大王が天より姿を現す」

なんて相応しい日であろうか。


僕は、「恐怖の大王」に合図を出した。

ちょうど、雷が落ちた。

2020年の夏、恐怖の大王が現れたのであった。

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ノストラダムスをもう1度 いありきうらか @iarikiuraka

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