第20話 みずのかたち、ひとのかたち(2)
あれから調書作成や現場検証に顔を出すことになり、張景の職場復帰は結局予定よりやや遅れることとなった。
一応、分館に何度か顔を出していたので、休んでいたというわけではないが。おかげで分館の職員と何人か顔見知りになり、仕事も少し教えて貰い、張景にとってはいい経験になった訳で。
ともかく、久々の本館出勤ということもあり、気合いを入れて来た訳である。
「おっ、張景じゃん。久しぶり!分館では大変だったなぁ」
センター横にある駐輪場のあたりで声をかけてくれたのは、ひょろっと背の高い男性道士、徐英だ。最後に会ったのは脱走事件直後だったため、張景は慌てて頭を下げた。徐英は朗らかに笑い、
「全然気にしてないって。俺もみんなもな?それより、まっさかスイと兄弟だったなんて……てか、兄弟いたんだな。もうみんな色々驚きすぎて一周まわって平常運転中」
「それは……なんか色々とお騒がせしました。その、兄……スイさんはその後の調子いかがですか?あの後ちょっとだけ話したっきりで」
「あー……。まあ、体調だけなら健康なんだけど」
徐英は立ち止まり、言いづらそうに口ごもらせつつ眉をひそめた。そして「ま、黙っててもいずれ知るか」と前置きした上で、
「どうも、精神が不安定になっているみたいでな。本人は隠しているが不眠の気がある。と言っても、これ自体はどうやら以前からの可能性があってな。ほら、アイツってよく雑用で動き回っていただろ?あれってスイが所長に頼んでやらせて貰ってたんだけど」
「……もしかして、不眠を誤魔化すために肉体労働で体を疲弊させていた?」
「おっ、その通り。ま、脱走経路の調査もあるかもだけどな。でも本人が話したがらないし、あまり問い詰めると過呼吸起こしそうになるから追及はできないんだけど」
「過呼吸?ちょっと待ってください、そこも詳しく」
「あ、ああ。そういえばアレも知らなかったんだな。ゴメン」
徐英は申し訳なさそうに、スイの近況を簡潔に教えてくれた。
仕事を禁止されているせいで体力を持て余していること。事件の追究をしようとすると、途中で過呼吸に陥り打ち切りになったこと。過呼吸はそれ以外の日常でもたまに起こること。以前からたまに隠れて嘔吐をしていたが、それは逆にほぼ起こらなくなっていること。そしてそれに合わせて天明もなかなかスイから離れなくなっていること。
「この前の緊急要請は、実は結構大変だったんだぜ?そのへん、スイがうまく説得してくれたけどよ。でも、その後はスイの過呼吸が酷かった。しきりに『オレのせいだ』って言っててよ……」
「そうだったんですね……。そんな大変な状態なのに、僕がここに来てもよかったのでしょうか」
張景は、しゅんと肩を落とした。
原因の大半は、自分という実弟の出現による環境の変化なのはすぐわかる。
思えば、彼の精神はこの短期間で激しく浮き沈みしているのだ。いつから脱走したかったかは定かではないが、百年以上暮らした場所を『故郷で死ぬため』に脱走し、大喧嘩の末に未遂となり、捕獲され、何を思ったのか先日の桃源洞訪問での決意表明。正直、張景にはスイがどうしたいのかよくわかっていない。お互い、再構築を望んでいると信じたいが。
「少なくとも、あの人は自分の弱っているところを見せたくない人間ですから。僕がいま来て余計に悪化してしまったらどうしよう……」
落ち込む張景に、徐英は背中を何度か叩いてやり、くしゃりと笑いかけた。
「ま、そんな心配すんなって。いざとなったら俺らもいるし、なんとかなるさ!ってか、むしろ先輩を頼りなさいよ、新人くん?」
「うわっと。そ、そういやここに来て何ヶ月でしたっけ?」
「まだ半年ちょいだぜ?ここんところ密度高かったから忘れもするか!とにかく、俺もみんなもプロなんだ。安心したまえ!」
ニカっと笑いかけられ、張景もつられてくすりと笑みを浮かべた。徐英の気遣いに感謝しながら、歩き出す。
「……よし、元気出ました!とにかく頑張ります!」
「おー、いいぞいいぞ、頑張れ!」
とにかく兄と話してみよう。そこから、自分にできることを考えよう。
そう決意し、意気揚々と二人で施設内に入った──のだが。
「ごめんなさい!」
館内に入ってすぐ、張景達の視界に映ったのは土下座するスイの姿だった。
「……え?」
「この度は、誠に申し訳ございませんでした!あ、英ちゃんはおはよう」
「いや、なんで?」
「……納得できないなら、スライディング土下座もできるぞ。雲中子に教えてもらった」
「ま、まずは顔を上げてください!他の人も見てるでしょ!」
通り過ぎる職員からの視線に居た堪れなくなり、無理矢理スイを起こす。スイは外見上は普段通りで──非常にしょぼくれた顔で、恐る恐る張景の様子を伺っているようだ。
「……これは、何に対しての謝罪なんですか?」
「なにって、骨折を黙ってたことに対してだけど……怒ってない?」
「……そういえばそうでしたね。え、そのためにここで待機してたんですか?」
「……」
無言で頷く。そのリアクションに若干の違和感を感じながら、張景は呆気に取られた。背後から徐英が背中を軽くつついてくれて我にかえる。気付くと、スイはかなり落ち込んでいる様子だった。
「もう、怒っていませんから。それに先日の件は兄さんのせいではありません」
「ウッ」
「いい加減慣れてください。……分館の事件だって、兄さんのせいだなんて微塵も思っていませんよ。信じてくれますか?」
「……それは、もちろん。だけど」
スイがなにかを言いかけたが、背後の時計がチコチコと音を鳴らす。朝のミーティング五分前の合図だ。スイは、はっと顔を上げていつもの笑顔を見せると、
「あ、遅刻しちゃうな。ごめん、引き留めて。オレが言いたかったのはそれだけ。じゃ、仕事頑張って!」
「あっ……」
張景は声をかけようとしたが、それより早くスイはどこかへ走り去ってしまった。
後ろ髪を引かれる思いだったが、仕方なく張景と徐英は更衣室へと急いだのだが──。
この日から、彼の暴走は始まったのである。
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