第1話 妖獣保護センター(3)
・・・・・・
スイと別れた場所から何枚か扉をくぐると、広い空間に出た。天井はガラス製ので日射しが差し、鉄柵と植物で囲まれたスペースは、収容用の檻というより、温室か室内動物園と表現した方が似つかわしかった。
既に何種類かの妖獣が収容されており、張景達は空いていた柵へ夔たちを押し込めた。
「…………」
「……あの」
「………………」
「天明さん?」
「………………」
「この後はどうしたらいいんですか?」
「………………」
(全く喋らないな、この人……)
移動の最中に何度か声をかけてみたが、全く返事をしない。たまに目が合うも、すぐに逸らされてしまう。いまはぼんやりと、柵の中の夔を眺めているように見える。
(スイさんは人見知りって言ったけど、どちらかと言うとこっちに興味がないように見えるな……)
改めて、天明という男を観察してみる。
先程は状況が状況だった為あまり見ていなかったが、近くで見るとなかなかの美形である。どこか中性的で整った顔立ちと、青みがかかった髪に橙の混じった朱色の瞳は太陽の火のようだ。仙人とはまた違う俗世離れした雰囲気に、張景は居心地の悪さを感じていた。
「……スイさんも天明さんも、人間なんですか?」
先程の会話の事を思い出し、なんとなく聞いてみた。人間が、妖獣保護センターなんて場所に収容されている。張景にとっては少し興味をそそられる話だった。相手の反応からして返事は期待していなかったが、
「…………スイだけ」
喋った。
張景が驚いている事を知らずか、天明はぽつり、ぽつりと言葉を続ける。
「……弟たちに会いたいと、言っていた」
「弟……たち?」
その単語に、張景の脳裏に今朝の夢がよぎる。
「仙境にいると、言っていた」
ドキン、と張景の鼓動が大きく脈打つ。
脳が事柄を一つに結び付けようとしてくる。しかし思考が纏まらない。そんな偶然があるものか。もう二百年も前の話だと自分に言い聞かせようとするが、鼓動の音がいやに頭に響いて落ち着かない。
「スイが願ったから。俺が、そうした」
「そうした……って、一体何を……」
張景がそう口にした瞬間、天明は何かに気付いたようにぴくりと近くの扉に顔を向けた。それから間髪入れずして扉が静かに開くと、息を切らしたスイがこちらに気付き、するっと隙間を縫うように入って来た。
「よ……よかった。二人とも、無事か?」
「無事って……。何かあったんですか?」
二人でスイの元に駆け寄ろうとしたが、スイは人差し指を素早く口に当てた。半ば反射的に、二人の足が途中で止まったのを確認すると、スイは呼吸を落ち着けて、静かに二人の元へ移動した。
「肉食獣が徘徊している」
「肉食…⁉︎ここ、そんな妖獣もいるんですか?」
驚く張景の言葉にスイは頷く。
「ああ。ここは事務所と草食獣用なんかの収容を兼ねてる棟で、本来獰猛な奴は別棟に隔離されているんだが……」
「ど、どんな奴でしたか……?」
「姿は、見ていない。代わりに喰い殺された夔の死骸と、こいつを見つけた」
スイは上着の中から、もぞもぞと丸い玉のような物を取り出した。よく見ると、桃を三つくっつけて二対の翼と六本の足をつけたような、顔のない生き物で、ひどく怯えたように震えていた。
「これは……?」
「帝江って言って、これも無害な妖獣なんだが……。見ての通り、よほど怖いものを見たらしい」
可哀想に、とスイが帝江の体を優しく撫でるが、帝江はいそいそと服の中に潜ってしまった。
「早く所長さんに知らせないと……。所長さんは今どこに?」
「……その、猛獣がいる別棟の対応に行ってる」
「そんな……」
「館内放送も、いまは脱走防止のために電源系統ほとんど切っていて使えないし……」
スイは張景と天明を交互に見て、少し考え込んだ。
「景くん、そういえば道士様だったよね」
「え、忘れていたんですか」
「うん、ごめん。それで、なにか伝達できる方法ないかな?術とか、使い魔みたいなのとか」
「それは……」
張景は口をつぐんだ。ここに来たのは、スランプ脱却の為でもある。もとより張景は術の類が苦手であった。スイからの期待に応えられない自分の無力さに、張景はいたたまれない気持ちになった。
「……いまは、すみません」
「そっか。聞いて悪かった。それなら天明、頼めるか?雲中子の気配ならわかるだろ?応援を読んで来てくれ」
スイの言葉に天明が小さく頷く。天明はすぐさま別の扉から出て行った。
「さて、オレ達はここを閉めて管制室に向かおう。機能はしないが丈夫だから避難所にはなるだろ」
「わ、わかりました。でもスイさん、天明さんは大丈夫なんですか?」
「大丈夫、あいつはオレよりずっと丈夫で足も早いし、生き物の気配にも敏感だから。生き物の識別が少し苦手だが、いざとなったら自分でなんとかできる」
「それは……人間じゃないからですか?」
スイは目を丸くして、張景を見やった。
「……驚いた。あいつ、自分のこと話したのか?」
「いえ、天明さんの話というか、スイさんの話がほとんどでしたけどね」
弟がいる事。と、言いそうになって口を閉じた。スイはそうかそうか、と感慨深そうに頷きながら出口に向かい、張景も後を追った。
寝り切った通路を、周りの音に姫をつけながら慎重に進んでいく。フロアを仕分ける扉は思いの外分厚く、二人で僅かな隙間を開けて通り抜け、大きな音を立てないように閉めては進むを繰り返す。
「天明はな、オレが下界でたまたま見つけてさ。色々すごい奴なんだが、まだどんな生き物かわかってないんだ」
移動の間に、スイは先程の質問に答えてくれた。天明は見た目こそ人間に近いが、別の生き物であること、それ以外は研究中であること、そしてスイ自身のこと。
「訳あって天明の血を取り込んだら、オレの成長まで止まって、貴重な資料だからって一緒に保護されたんだ。こう見えて、二百歳は超えてるんだぜ?」
「二百歳……」
気楽そうに笑ってみせるスイとは対照的に、張景は内心非常に困惑していた。天明と話したとき以上に、胸がバクバクといやに騒がしい。この非常事態にかんがえることではないのに、頭の中で鬩ぎ合いが止まないのだ。
「あの、スイさん。もしかして……」
言いかけた途端、スイがぴたりと足を止めた。張景も、一歩遅れて足を止める。
「……下がって、景くん」
背後からでも、声色でスイの声に震えを感じる。よく耳をすますと、その視線の先から、子猫のような、赤子のような、高い泣き声が聞こえる。
その音の主は、奥の曲がり角からぬうっと姿を現した。体は真っ赤な牛のようでいて熊のように大きく、人間のような顔をしているが、そこに目はない。大きく裂けた口からは長い舌、そして口の周りに血の跡がべっとりとついていた。五十メートルは離れているはずなのに、その不気味さに張景は足がすくみそうになった。
獣には目がないはずだ。
ないはずなのに、こちらと目が合った気がした。
「景くん、戻れ!」
スイがそう言い終わるや否や、張景の腕をふん掴んで来た道を全力で戻る。張景は一瞬足をとられかけるが、なんとか持ち直して言われるままに走り出した。背後から獣の気配がする。足音が、息遣いが、みるみる距離を縮めてくる。
「そうだ!護符!」
張景は懐に手を突っ込むと、中に入れていた護符を掴むと、獣に向かって投げつけた。護符は一瞬光ったと思うと、爆竹のように激しい音と共に爆発した。
「ギャッ‼︎」
致命傷とは程遠いが、獣を怯ませるには十分だ。その隙に二人はなるべく距離を離す。
「防火扉!」
スイがガラスに覆われた壁のスイッチを素早く叩き割る。すると天井から鉄扉が勢いよく降りてきた。降りきった瞬間に、激しい音と共に扉が大きく凹んだ。獣が激突したようだった。
「景くん、こっちだ!」
スイに促されるまま、張景はその場を猛ダッシュで後にした。
いくつかの角を曲がり、二人は部屋に飛び込んだ。素早く鍵を閉め、手近にあった机で入口を塞いだ。
「も、もー……動け、ない」
「はは、は。道士様って、思ったより、体力ないんだな」
「だって、だってあんなに走、ったの、久しぶりで……はあああ……」
大きく息を吐いて呼吸を整える。張景は顔を上げると、そこが寝室のような場所であることに気づいた。部屋の両橋にベッドと衝立、あとは椅子や戸棚といった家具が数点置かれた、簡素な場所だった。
「ここは……」
「オレと天明が使ってる部屋。管制室の道は通れなくなったからな。元は倉庫だったから、事務室なんかよりは頑丈だよ」
スイは戸棚の引き出しから短剣を取り出した。柄は埃かぶったような茶色だが、鞘を抜くと綺麗に手入れされた刀身がその姿を現した。
「それより、さっきの凄かったな!よく見てなかったけど、すごい音がしてさ!」
「ああ、あれは……失敗作なんです。護符は普通爆発はしません」
「そ、そうなのか?」
「そうなんです」
気まずい空気が流れる。張景は、しまったと思いつつも、観念したようにため息をついた。
「……スランプなんです。ここしばらく、何をしても。ここには師匠に薦められて、気分転換を兼ねて来たんです。……まさかこんな事になってるなんて。お役に立たなくて、すみません……」
深々と、頭を下げた。張景はここに来てから、ただ慌てふためくばかりで、本来守るべき保護対象に守られていただけの自分に、嫌気がさしていた。劣等感に近いものかもしれない。
「…景くんがいなかったら、オレは今頃喰われてたよ。こちらこそ、無関係者を巻き込んで申し訳なく思ってるんだ。顔を上げてくれないか?」
スイは張景の肩を優しく叩き、笑いかけた。
「……奴がここへ来たら、オレが注意を引くから、その間に逃げてくれ」
はっと張景が顔を上げると、手に何かを握らされた。見てみると、先程の帝江と呼ばれた生き物が、ぷるぷると震えて丸まっていた。
「そいつを守ってやってくれ」
「そんな……。スイさんはどうなるんですか」
「大丈夫……じゃないけど、今のオレにはこうする事しかできないから。オレがここで死んでも、弟たちも、多分許してくれるだろ」
「弟……」
「そう、オレには……」
と、その時。扉の向こうから赤子の泣くような声がして、二人は一斉に扉に向き直った。やがてドン、ドンとあの獣が扉に激突してきた。どうやら、体当たりで扉を壊そうとしているようだ。
スイは短剣を構えたが、どう考えても獣と戦うには心許ない。あくまで時間稼ぎのため、助かることは微塵も考えていないのだろう。
「景くん。もうひとつ頼む。オレ、仙境に弟が二人いるんだ」
ぐにゃ、と衝撃で扉が歪む。隙間から、あの獣の不気味な目がぎらりと光るのが見える。
「嫌だ、やめてください……」
「……もし会う事があったら、伝えてくれないか。ごめんって」
扉が変形に耐えられず、大きく倒れた。置いていた机も扉に巻き込まれて割れ、音を立てて崩れていった。
獣が、上機嫌な赤子のような声で鳴きながら、扉だったものを踏み越え部屋に侵入してくる。
張景はもう今にも泣き出しそうな顔だったが、何を言えばいいのか、どうしたらいいのかわからず、言葉が出てこない。
この人は自分の兄なのかもしれないのに、この人は今まさに他人の為に死のうとしている。自分の無力のせいで。
今朝の夢が再び脳裏をよぎった。今になって、張景はあの夢の意味を理解した。
──そうだ、自分は救って欲しかったのだ。何をしても上手くいかない現状から、無意識に兄に助けを求めていたのだと。
「オレは、オレの名はトウスイ。呉洞水!張景くん、生き延びろよ!」
「駄目だ!待ってくれ兄さーー」
獣がスイに向かって飛びかかろうとしたその刹那、轟音と共に獣の頭上から大量の瓦礫、天井が丸々落下してきた。
数階ぶんの瓦礫が、獣の頭を、体を直撃し、あっという間に獣は瓦礫の下敷きとなり、沈黙した。
「……え?」
突然の事に二人が揃って呆気に取られていると、瓦礫の上に何かがいることに気づいた。
その何かは土埃が舞う中スイを見つけると顔を上げ、その銀の髪についた汚れをぶるぶると振り払うと、
「……ただ、いま」
と、若干棒読みじみた声で挨拶をした。
「お、おかえり……」
ぶち抜かれた天井から差す太陽の日差しがなんだか非現実的に感じた二人は、ただただ唖然とするしかなかったのであった。
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