桃源郷で今日、なにする?
寺田りょたろ
第1話 妖獣保護センター(1)
ここしばらく、何度も同じ夢を見る。
幼い頃の夢だ。当時四つか五つかの頃の僕と、ひとつ年下の弟が泣きじゃくっているのを、兄が頭を撫でて慰めていた。
「洞操(とうそう)、洞哮(とうこう)を頼む。兄ちゃんはまだやる事があるから」
兄が僕の涙を親指で拭う。当時の兄はもうすぐ十二歳ぐらいだっただろうか。まだ成熟していない幼い手も、その頃の僕には頼もしく感じていた。
「にいさん、なにしに行くの?」
「操たちが仙人様に弟子入りしたって、下界の伯父様達に報告しなきゃいけないんだ。操は仙人様のいいつけを守って、哮といい子にしているんだぞ」
「ぼくもいっしょに行く!」
そう言うと、兄は困ったように笑った。
「ごめんな。危ないから、ここで待っていてくれ」
「いつ帰ってくるの?」
その言葉に、兄は言葉を詰まらせ、何か言葉を紡ごうと口を動かした。しかし口からでてきたのは、
「…………ごめんな」
その一言だけだった。
それが兄の最後の言葉だった。
……もう、二百年も前の話になる。
・・・・・・
人の世がどれだけ発展しようとも、古えの神秘はまだ残っている。
ここ、桃源郷は現アジア帯の人の世と冥界の境にある秘境であり、かつて地上にいた神仙や瑞獣達が移り住んでいる。
広大な草原と、黄山に負けず劣らずの雄々しい山々に囲まれており、先住民の住む里と仙人達の修行場が仙人による境界線で区切られている。 仙人エリアに位置する尖った山々のひとつ、そのてっぺんで一人の青年が足を組んで瞑想に励んでいた。
かくん、かくんと船を漕ぎながら。
「……うう、兄さ、ん……」
寝言を呟きながら、体の軸が前後に大きく揺れる。狭い足場で、バランスを崩してしまうのにそう時間はかからず、青年は大きく傾いた途端、ぐらりとその場から転落した。
「うわあぁぁぁ⁉︎」
流石に意識が覚醒したが、その時にはすでに体は宙に投げ出され、落下を待つのみである。しかし落下の最中、突然ぴたりと青年の体が宙で静止した。
「まったく……。張景、また居眠りですか?」
「こ、広成子(こうせいし)様……」
張景と呼ばれた青年の頭上から、三十半ばほどの長髪の男性がふわふわと降りてきた。広成子と呼ばれたその男性は、張景をそのまま足場まで戻すと、深くため息を吐いた。
「全くどうしたと言うのですか。真面目が取り柄の貴方が、最近は何をしても注意散漫で。護符を描けば爆発させ、拳法修行は片手丸々突き指になり。挙げ句の果てに居眠りとは……」
「も、申し訳ございません。決して仙人修行を軽んじている訳じゃないんです!」
「それはわかっていますよ。……なにか迷い事ですか?よければこの師に話してごらんなさい」
「それは……」
張景は、少しばかり躊躇いながら、ぽつりぽつりと語りだした。
「……最近、兄の夢を見るのです」
「……兄、ですか。確か貴方がここに来た際に姿を消した」
「はい。二百年前のことになります。もう顔も名前も覚えていないのに、ここ何日も兄が僕の名前を呼ぶんです。洞操と……僕の本当の名前を。寝ても覚めてもそれがとても気になって、どうにも調子が出ないのです」
「……そうですか」
広成子はふむと顎に手をやると、しばし考え込んだ。
「張景よ。我々にとって夢とは、未来の予知や今後起こる事象の予兆として扱うこともあります。これを占術として扱う場合は占夢とも呼びます」
「はい、存じています」
「貴方が見る夢を占術的に捉えるなら、どういう兆候と見ますか?」
「ええと……」
張景は言葉を詰まらせ、少し俯いた。
兄に会いたいという気持ちは無くはないが、もう二百年も前の話だ。とうにこの世にはいないだろう。諦めがついている。なぜ今になってこのような夢を見るのか、張景には考えても教え通りの答えは見つからなかった。
「……どうやら貴方には、少し気分転換が必要なようですね」
その様子を見て、広成子は懐から一通の手紙を取り出した。
「それは、なんですか?」
「先程知り合いから届いた手紙です。仙境と里の中間にある土地で、妖怪の保護と研究をしているのですが、緊急の用で人手が足りないようなのです。張景よ、妖獣や瑞獣はあまり見たことがないでしょう?」
「は、はい。仙境には仙人様の乗り物用の動物しかいませんので……」
「ならばいい刺激にもなる筈です。行ってきなさい。施設に入るカードキーがここに入っています」
張景は広成子から手紙を受け取ると、中に入っているキーと手紙の内容を確認した。手紙には『マジヤバイ。人足りない死ぬ。広成子くんお願いすぐ来て一生のお願い』と、かなり殴り書きで書かれていた。
「……広成子様。多分これ本人が来てって書いていますけど」
「……あそこ獣臭いから、やだ」
「一生のお願いって書いてますけど」
「……張景よ、頼みましたよ」
「はあ……」
ため息混じりに返答すると、張景は渋々山を降りはじめた。
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