第2話 極楽浄土の取引相手

「はー、助かった! 流石、逃げ足のガビアル様~。なむなむう」

「縁起でもないことすんな」

「えっ、お礼するポーズじゃなかったけ」

「俺は仏教徒じゃねえの」

「ふーん。よくわかんないなあ。でもほんとほんと、流石だよね」

「泳ぐのは得意だからな」

「そこじゃな~い! このホテル、バスタブあるしアメニティがリュヌドールなの超最高! 良く知ってたね~」

「おい」

「後でガビアルもシャワー浴びるんだよお。コケ臭いよお」

 ふんふーんと鼻歌を歌いながら、魔女はご自慢の緑髪を巻きに行く。

 俺はがっくり来つつも、やつが「横領」したというポーチの中身を改めた。

 エメラルドグリーンのスパンコールがみちみちとついたポーチはいちいち俺の鱗に引っかかり、持ち主と同じくらい腹立たしい。

 隠しポケットの中に小指の爪先ほどのチップが入っていた。

 頭部に取り付けられたジャックにチップを押し込むと、俺の脳径接続閉鎖経ダイヴァーズ・スペースに雫財閥の機密データが流れ込む。

 新兵器の情報と、それから。

「やべえなあ」

 俺は頭を掻く。

 チップに入っていたのは新兵器を研究するにあたって提示されたデータ。

 紛れもない人体実験の証明だった。

 スプリングの良くきいた清潔なベッドの上で、俺はぼいんと尻尾を弾ませる。



 レイニーという惑星にはほの暗い、っていうかむしろ真っ黒な疑惑がある。

 ここにはドクター・ヒューゴというイカレた科学者が提唱した「脳神経をいじることで、この星の土着の言語である地球古語<日本語>を絶滅させよう」というイカレたキャンペーンを惑星政府一丸で推し進めた過去があった。

 その政策は無論、汎銀河系から非難の集中砲火を浴びて取り下げになっている。

 ドクターも罪を問われて逮捕されたが、今は刑期を終えて出所し、どころかいけしゃあしゃあとメディアに大々的に露出をしていた。

 バラエティー番組の司会までこなしている。

 そんな星の倫理観ってもんがまともなはずはない。

 それは銀河の常識だ。

 今もどこかで少数民族にほんじんへの弾圧は続いているし、ドクター・ヒューゴの研究室は稼働している、そういう噂がまことしやかに囁かれている。

 レイニー星に降り立つにあたって事前に調べた現地情勢は、そんなところだった。

 今、俺が接続している情報はその噂を裏付けるもの。

 喉から手が出るほど欲しい取引相手は山のようにいるはずだ。

 この星の抵抗勢力たちレジスタンス

 裏世界の掲示板では彼らが水面下で踊っている様子が良く分かる。

 俺たちはそういった人々とコンタクトを取って、仕事をする代わりに偽造パスポートを受け取っていた。

 仕事を始めるにあたり、俺は彼らの集会所のひとつを教えられていた。

 チップをジャックから摘出しポーチに戻す。

 誰もこの、おばはんっぽい気の抜けたポーチに機密情報が入っているとは思わんだろう。

 それだけは魔女の選択にしては大正解だ。

 脳径接続ダイヴをワントゥワン・チャンネルに切り替える。

 パスワードを打ち込みむと瞬時に相手方の脳径接続ダイヴへの接続が行われ、俺の目の前の景色は中流ビジネスホテルのせまっ苦しいダブルルームから、レンゲの花が咲き乱れる極楽浄土の仮想空間へと移行する。

 爽やかなそよ風が渡っていく草原の彼方には雪を抱いた仮想富士が屹立していた。

 何とも禅の心に溢れた空間である。

 薄紫色の花に囲まれた一角には小さな椅子とテーブルが用意されていて、そこに仕立ての良いスーツ姿の青年がつくねんと座っていた。

「こんにちは」

「取引がある。いいホテルを用意してくれてありがとうよ」

 青年は手を上げて微笑む。

 どうぞ、の合図。

 俺はレンゲを踏まないようにそっと歩いた。

 尻尾は高めに上げて振る。

 何かしらこの空間には、人を静かにさせる厳粛な空気が流れていた。

 青年は机を挟んだ向かい側の椅子を指し示し、俺は文句も言わずにそこへ座る。

 こいつが雇い主だからだ。

「手早く話がしたい」

「僕もです」

 青年は細い目を糸のように細めて笑う。

「突然来たわりに驚かないんだな」

「だいたい皆さん、突然来るものですからね」

 上品なイントネーションと完璧な汎銀河系共通語パングリッシュ

 これは仮想人格AIだが、恐らく本人もこれとそっくりな喋り方をするのだろう。

 少数民族の旗印・由良門ゆらのと家の当主にしては、汎銀河系共通語が滑らかすぎるのではないかと俺は訝しんだ。

「日本語でお話した方がよろしいですか?」

「いや」

 こちらの疑問を即座に読み取った青年当主の微笑みに、俺は即座に相手の方が上手なのだと悟る。

「驚かせることが交渉の秘訣でもあります」

「そうか。そいつはどうだっていいんだがな。……情報がある。雫財閥と人体実験についての。欲しいだろう?」

 俺は出来るだけ凄みを利かせて言った。

 青年当主のAIはどこ吹く風と、口の端に浮かんだ笑みを深める。

 その姿に瞬時ざらりとノイズが走った。

 俺は咄嗟に腰を浮かせる。

 腰にあるホルスターに手を伸ばし、思いとどまった。

 仮想空間で役立つ代物ではない。

「いけませんね」

 青年頭首は苦々しい顔になり唇の動きだけで、何かを伝えた。

 読唇術を要求しているのか音声チャンネルが壊れたのか――。

 それを推察しようとしたコンマ数秒の間に、レンゲの花畑はめくれ上がり、仮想富士はてっぺんから崩れ落ちて、まったくの虚無が俺を堅実に押し戻した。

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