第22話 纏わりつく下等生物
「どこに行くんですか? ネスティさん」
「イブル様の所です」
場所はゴールド1の教室、午前の授業が終わり昼休みに突入し、すぐさま立ち上がったネスティはアーシャにそう答えた。
彼女は本日まだ一度もイブルに会っていない。
イブルからは報告と方針決定を兼ねた相談のために放課後会う事になってはいるが、それまで一度も顔すら合わせないのはネスティにとってあまりにも世知辛い事態だ。
一刻も早く最愛の人の顔を見るべく、逸る気持ちで教室を出ようとした。
「待ちたまえ」
しかしそこに、彼女の行動を咎める者が現れた。
「……何でしょうか?」
声を掛けたのは他でもないニルト。
昨日の事がまだ尾を引いているネスティは彼を快くない目で見詰めた。
「シルバー3の教室へ行こうとしているのだろう? 良くないな、あそこに行っては君が穢れてしまう」
「は……?」
ネスティが怪訝そうな顔を浮かべるが、それに臆することなくニルトは言葉を続ける。
「あんな劣等生に関わるのはやめるんだ。それよりも、僕とお茶でもして過ごさないか?」
そう言ってニルトはネスティに手を差し出した。
「嫌です」
彼女はその申し出を即座に拒否する。
「つれないな。僕は公爵家の人間だよ?」
「嫌です、と言いましたが?」
どれだけニルトが言葉を吐こうともネスティの意思が変わる事は一向に無い。
しかしめげる事無くニルトは言葉を連ねた。
「この学院はそもそも平民の入学を想定していない。君のような人間はまず奇妙な目で見られる。それを考えても、僕と親密になる事は……悪くない話だと思うけどね?」
入学試験に掛かる費用を考えれば分かる、この学院は貴族を対象とした学院だ。
何故貴族なのか、それは彼らが生まれてからスキルやマナの扱いにおいて英才教育を受けているエリートだからである。
対照的に、スキルに関する教育を受けていない平民以下の身分の人間は本来この学院に求められていないのだ。
よって、この国において平民からの入学者は非常に稀なのである。
「さぁ、どうする?」
言いながら、ニルトの手が彼女の顎に伸びる。
「何度も、言わせないで下さい」
「っ!?」
身長差によって、下からニルトを睨み付けたネスティは、静かにそう言い放ち彼の手を握り締めた。
な、何だこの力は……!?
まるで万力に握られたかのような感覚に、ニルトは動揺をする。
全く、先程からどこまで不快指数を上げれば気が済むのでしょうこの人は。
イブル様と関わると穢れる……? 私にとっては、あなたとのこの時間が何よりも人生の汚点なのですが。
そう思うが言葉には出さないネスティ、それは自分よりも下等な生物へのせめてでもの哀れみだろう。
「……あ、あまり強がらない事だ。どれだけ抵抗したところで、君のような立場の人間は僕にはかなわない」
少しばかり言葉がたどたどしくなりながらも、ニルトはなおも食い下がる。
「やめて下さい!」
だがそこにアーシャが割って入った。
「あなた……」
突然の彼女の介入に、ネスティは少し驚く。
「何だいアーシャ? 今大事な話をしているんだ。君の出る幕じゃない」
「そんなの関係ありません! これ以上、ネスティさんに変な事言わないで下さい!」
そう言って彼女はニルトの前に立ちはだかる。
「この……!」
流石に腹を立てたのだろう、ニルトは実力行使に出ようとするが、
「おぉっと、それ以上はノーだぜ?」
「っ!?」
眼前に現れた槍の先端が彼の動きを止めた。
槍を出したのは、推薦入学者の一人であるウルバだ。
「同じクラスの仲間だろぉ? アタシたちはよぉ……?」
ニヤリと笑いながら言うウルバ。
対してニルトはゴクリと唾を飲み込み、一歩後ずさる。
「そうそう、今日は初日だ。もうちっと仲良くやろうぜ」
「……ふん、いいだろう。アーシャ、同じ王都の貴族として今回は目を瞑ってやる」
あからさまに不機嫌な様子になったニルトはそんな台詞を吐くと教室から出て行った。
「大丈夫? ネスティさん」
事が片付くと、アーシャは振り返ってネスティを見る。
「え……あ、はい」
取って付けたように、ネスティは礼を述べる。
「そうですか。良かったぁ~」
「あの……」
「ん……?」
「どうして、助けてくれたのですか?」
「そ、そりゃあ昨日知り合ったばっかりだけど……ネスティさんはルームメイトだもん。だから助けるのは当然ですよ」
「……」
アーシャの言葉に、ネスティは何も返す事が出来ない。
ただ、何処か懐かしい感覚を覚えたのだった。
「さ、シルバークラスに行くんですよね? 早くしないと昼休み終わっちゃいますよ?」
アーシャの言う通り、先程の不毛なやり取りのせいで大幅に時間を損なっている。
イブルを案じるネスティにとってはすぐに行動したい所だ。
「……いえ、大丈夫です」
しかし、彼女は行動に移る事はしなかった。
「え……、いいんですか?」
「はい。昨日のイブル様との約束を考えてみれば、私が頻繁にシルバークラスへ行くのは野暮と言うものです。放課後にでもお会いしたいと思います。それまで、私はイブル様の目的を達成するための情報収集に徹します」
「そ、それならいいですけど」
「アーシャさん」
「ひゃ、ひゃい!?」
突然名前を呼ばれた事に驚くアーシャ、そんな彼女を見ながらネスティは言った。
「ありがとう」
「っ……、はい!」
こうしてルームメイトの二人は、歪ながらも心を通わせていく。
そして、
「けっ、くだらねぇ……」
ゴールド1に配属され、他の生徒と同じように教室で一部始終を見ていたナスカルは、誰にも聞こえない声量でそう悪態を吐いたのだった。
◇
「くそ……!!」
勇者学院の廊下を歩きながらニルトはそう吐き捨てた。
何故だ……!! 何故あの女はそれ程までにあの『劣等生』に固執する……!?
ニルトはネスティの外見的な美しさと、戦闘の才に惚れたのである。
平民を差別的に見る彼が、平民である彼女に好意を抱き、彼女こそ自分の隣に立つに相応しいと思ったのだ。
彼にとっては遺憾だったろうが、婚約をすればネスティには自分の家名を名乗らせる事が出来る……そう考えて割り切れる程に彼はネスティに執着していた。
あの『劣等生』が……!! 見ていろ……!! 貴様には必ず、更なる屈辱を味あわせてやる……!!
ニルトはイブルへの憎悪を募らせ、そう決意するのであった。
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