五月の蝉
枝垂
五月の蝉
五月の蝉
【CAST】
・男1
・男2
男1 明太子、夕飯に食べるの苦手なんですよ。
アレすごい口の中残るじゃないですか、味?辛みっての?しかもね、先日うっかり白ワインと飲んじゃって。いやもう地獄でしたね。ビール2本開けてからだったので、判断力鈍りまくりですよ。あ、なんで夕飯かって言ったらそりゃお酒とセットだからであって、朝なら味噌汁だの、麦茶だの、中和しやすいものがあるんでいいんですけど。
そんな感じの不快感。喉を支配する味、匂い。
舌に残る苦み?あー、嫌だ嫌だ。これだから、夏は。…夏?じゃねえなぁ。
男2 あっついなー。
男1 うん、そうね。
男2 いつから5月は夏になったんだ。
男1 昔の暦じゃ夏だよ。
男2 今は今の暦があんだろ。
男1 躓いた、と思ったら地面に伏していた。あぁ、転んだのか、とぼんやり頭が回って脳に理解を促した。
けれど、身体は一向に動かない。
冷えた地面と温い大気に挟まれて、心地よい風が髪を撫でた。
傍から見れば、やばい奴だ。いい歳した大人がすっ転んで、そのまま地面に伏している。
男2 フランス行くんだよ、フランス。お土産何がいい?買えるもんなら買ってやるよ。
男1 ロマネ・コンティ。
男2 しばくぞ。固形物、出来れば食品、植物以外にしろ、手荷物検査面倒だから。
男1 じゃあなんでもいいよ。
男2 出た、なんでもいい。世界中の主婦を一発で敵に回す呪文。
男1 じゃあいらんわ。
男2 何か適当に買ってくるって。
男2、退場。
男1 唸る海原。温い砂浜が、僕の足を攫う。そんなに好きかい、僕の足。や、誰彼構わず抱擁するのだったね、君は…。
(雰囲気を変えて)子どもの頃、母方の田舎に泊まりに行くと、祖母はいつも帰り際に砂糖の入った麦茶を持たせてくれた。
でも僕、あんまり好きじゃなかったんですよね。麦茶に砂糖って…合わないですよねぇ。まぁ人それぞれか。で、帰りの電車に乗る前、いつも駅のトイレにこっそり流してました。
ある時、そうするのを忘れて水筒の中を満たしたまま帰りました。
お母さんに水筒を洗ってもらおう…と、したところで気づきました。まずい。一口も飲んでないってバレたら怒られる。咄嗟に家を出て、と、思ったら躓いて、中身をぶちまけました。
あーあー、無惨。ごろごろ転がった水筒が腕にぶつかる。お母さんはびっくりしてこちらに駆け寄る。小さな川を作る麦茶(砂糖入り)。呆然としていると、お母さんがタオルを持ってきてくれた。麦茶には、アリがちょこちょこ寄ってきた。水浸しの粒子を巣まで運ぶのだろう。
傾いた陽射しに照らされて、小さい宝石はキラキラ輝いている。
(間を開けて)ぽつ、ぽつ。目の際を通り過ぎる一筋。
男2 湿気った机がこんなに愛しいなんて。
男1 あぁ、ようやく…、
男2 (雰囲気を変えて)お土産。買ってきたぞ。
男1 ありがとう。(袋を受け取って)何これ?
男2 エッフェル塔だよ。知らねぇの。
男1 いや、知ってるけど。
男2 じゃ何。
男1 (しばらくエッフェル塔の置物を訝しげに見ている)…まあ、いいけどさぁ。どうだった、パリ。
男2 あ?俺パリ行ってねーよ。
男1 行ってないのにこれかよ。
男2 酒と言ったらシャンパーニュだろ!もうとにかく酒巡りよ。あとはちょっと古城見たり。フランスパンにもマカロンにも興味ねえわ。
男1 ならワイン買ってきてくれよ。
男2 あ、買ってきてたわ。俺の分だけど。飲む?
男1 あんだけ買うの渋ったくせに…
男2 検査めんどいとか思ってたけどさ、現地で飲んだら美味くってさー。やっぱ買っちゃった。
男1 お前いい客だなぁ。
男2 まぁまぁ…ほれ。(グラスを手渡す)
男1 (飲んで)…おー。これが現地の。
男2 飲みやすいだろ?もうジュースよこれ。なぁ、つまみないの。
男1 えー…ちょっと待って。
男2、ワインをだらだら飲んでいる。
男1 冷蔵庫の空気で火照った顔が冷える。(冷蔵庫の中を漁り、ラップしてある麦茶のグラスを落とす)うわっ、
男2 おいなにやってんだよ。
男1 布巾、布巾。
男2 濁った茶色が面積を広げていく。そこには、輝いた宝石も、盗賊もいない。あぁ…こんな形で思い出は塗り替えられていくのか。
男1 あ、雨…
男2 もうすぐ6月だもんな。
男1 違う、まだ5月だ。
男2 もうすぐ、って言ってるだろ。
男1 やめてくれよ、夏みたいな気温して、梅雨みたいな面して。まだすがらせてくれよ、5月に…。
男2 まだそこに居ていいんだ。まだ…。
男1 許してくれよ、5月なんだからさ。
了
五月の蝉 枝垂 @Fern_1230
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