第120話 大聖不動明王伝

 妖魔大戦の前後で、何か変わったことはないか――それがハインの問いだった。

「魚が減ったとか、災害が起こるってんじゃなくてな」

「どうでしょうか……心当たりがありません」

「そんじゃあ、スガンマ様ってのは?」

 この質問にはソジに代わって、町長が答える。

「離れの小島にいらっしゃる、ご神体でございます。……ソジ、お前も聞いたことはあろう? わしらの守り神様じゃよ」

「ああ……子どもの頃は毎年、お祭りがありましたっけ」

 ハインはふむと頷いた。

「よくわかった。港がここまで廃れた原因は、妖魔大戦じゃない」

「……ハイン殿?」

「あの島に行くとしよう。船を出してくれ」

 半信半疑に思いながらも、ヒミカは彼らとともに船に乗る。船頭はサジが務め、一行はしばらく波に揺られた。

「そろそろ教えてくれませんか? ハインさん」

「そうだな……ロベルト、西方では神の怒りを鎮める時、どうするんだ?」

 ロベルトは真剣な表情で考え込む。

「主の怒りは甘んじて受けるものです。確かに、聖典には『謝って許してもらおう』とする場面もありますが、大半は犠牲を強いられるものでして……」

「西方には『祟り信仰』という発想がないのでは?」

 大陸の東方では、災いをもたらすような神であれ、時に信仰の対象となった。誠意をもって『祀り』さえすれば、神は災いを遠ざけるのみならず、加護を与えもする。

 だが、祀りを怠る不貞の輩には、恐ろしい制裁をくだす。

「妖魔大戦のせいで祭りができなくなり、そのせいで守り神が怒った……とすれば?」

「……あ! もしかして」

 ヒミカの脳裏に閃きが走った。

 ハインは腕組みを深め、小島を見遣る。

「神キドリだ」

 力の強い妖魔が『神』を気取って、見返りに供物を欲する――同じことが、この港町で起こっている可能性が出てきた。

「スガンマ様は荒ぶる神にして、ここいらの海の守護神だった。街の者は知ってか知らずか、スガンマ様を盛大に祀っておったわけだ。なあ、ソジ?」

「スガンマ様がいらっしゃったのは、町長が生まれるより前の時代と聞いております」

 ロベルトも納得した様子で物語を解き明かしていく。

「僕にも見えてきましたよ。風習が古いせいで、もう誰も『お祭り』の理由を憶えてなくて……しかも妖魔大戦があったものですから」

「祀ってもらえなくなり、怒ったのさ」

 まさかの真相にヒミカは絶句した。

「そんな……神ともあろう者が、たったそれだけの理由で?」

「だから『神キドリ』だと言っとる」

 この港町は強力な妖魔スガンマによって守られている。しかし奉仕が途切れたために、スガンマは憤怒し、凄惨な呪いを振りまいた。

「では、港のひとびとは妖魔とも思わず、スガンマを奉っていたと……?」

「そうかもしれんし、もとは純粋な神だったのかもしれん。とにもかくにも、古い信仰を意味がないと切り捨ててしまったのは、失敗だったな」

「祀ってさえいれば、よかったわけですからね」

 妖魔大戦によって疲弊し、港の住民は恒例のスガンマ祭を中止。

 スガンマは妖魔の本性を曝け出し、いたずらにひとびとを苦しめている。

「どうするんですか? ハインさん。今からでも祀って……」

「まさか。さっきの小悪党を忘れたか?」

 そして外法使いのシャバトはスガンマにつけ入り、邪な企みを進めていた。巫女のヒミカを捧げることで、あわよくばスガンマの加護を独占するつもりだろう。

「ですが、妖魔とて神キドリを実現するほどの『神』ですよ? 果たして、僕たちの力が通用するかどうか……」

 黒い不安はますます膨らんだ。

(都も同じなんだわ。ラムーヴァ様が妖魔だとしたら……)

 シャガルアの都も神キドリの渦中にあり、その猛威に晒されている。

 おぞましい梵字が浮かぶヒミカの背を、ハインが軽く叩いた。

「まあ任せておけ。前哨戦にはもってこいだしな」

「……ハイン殿?」

 いつにない気丈な顔つきが、ヒミカに安堵をもたらす。

(ハイン殿なら、本当に……) 

今は信じてみよう、彼を。

そう思えるだけの『力』が、彼にはあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る