第83話

 セリアスやハインはまだまだ余力があるとはいえ、イーニアは不慣れな探索に疲労の色を浮かべている。持ち前の『水属性の魔法』も駆使できず、不調が続いていた。

 余裕があるうちに帰る。その判断は正しい。

「――ッ!」

 ところが、セリアスは得体の知れない『危機』を肌で感じた。人差し指を唇に添え、仲間たちにもそれを報せる。

(ど、どうしたんだよ? セリアス……)

(静かにしろ。……近くにやばいやつがいるぞ)

 数々の死地をくぐり抜けてきた、冒険者ならではの直感だった。

 初めは巣の主が帰ってきたものと思ったが、そうではないらしい。今になって、付近にモンスターがいないことにはっとする。

(イーニア殿、グウェノ殿、こっちだ。……セリアス殿は警戒を頼む)

(わかった。みんな、下手に動くんじゃないぞ)

セリアス団は手頃な木陰に隠れ、息を潜めた。リーダーのセリアスだけが前に出て、肝が冷えるような、おぞましい気配の正体を探る。

 そして、セリアスは『それ』を見た。

 同じものを目の当たりにして、イーニアが声を震わせる。

「く……首なしの、牢屋……?」

 以前、白金旅団のキロはセリアス団に『首なしの牢屋に遭遇した』と語った。その言葉通りの怪物――いや、怪物ではなく異形の『悪魔』と呼ぶべきだろうか。

 首なしの牢屋が歩いていたのだ。

(なんだ? あいつは)

 さしものセリアスも絶句した。

 それは四、五メートルほどの巨体で、形こそ人間の男性だが、首から上がない。

何より奇怪なのは『腹』の部分で、そこが牢屋になっている。そのうえ――中には四肢をグチャグチャにされた戦士が、ふたりも拘束されていた。

「ッ!」

 イーニアは青ざめ、両手で口を押さえ込む。

(見るんじゃない! このままやり過ごすぞ。音を立てるな)

 かつてない危機を前にして、セリアスの全身にも怖気が走った。

 あれこそが白金旅団を壊滅させた『首なしの牢屋』に違いない。おそらく囚人は旅団のメンバーであり、悪趣味な方法で散々に痛めつけられたようだった。

 セリアスの第六感がうるさいほどに警告を発する。

 逃げろ! 逃げろ! 逃げろ!

 戦ってはならない! 仲間が死ぬ! 自分も死ぬ!

 殺されるッ!

 セリアス団は必死の思いで息を殺し、首なしの牢屋が通り過ぎるのを待った。だが、首なしの牢屋は徐々にこちらへ近づいてくる。

(セリアス殿、こっちへ! あれに見つかっては、命はないぞ)

(ああ。みんなも気を……)

 ところがあとずさった拍子に、セリアスの足が枝の切れ端を踏んでしまった。その音に首なしの牢屋が反応し、ぐるりと向きを変える。

「やべえ! 見つかっちまったぞ!」

「は、走れっ!」

 セリアス団が駆け出すとともに、首なしの牢屋も走り出した。頭がなくとも獰猛な咆哮をあげ、襲い掛かってくる。

「きゃ……」

「掴まれ! 荷物は捨てろ!」

 足を取られそうになったイーニアは、セリアスが引っ張った。

「追いつかれては一巻の終わりだぞ! その宝石も諦めろ、グウェノ殿!」

「ちいっ! 気付いてたのかよ、オッサン!」

 ハインとグウェノも邪魔な荷物は捨て、全力で逃げる。

 その先には崖があった。構わず、セリアスはイーニアとともに飛び降りる。

「ここで振りきるぞ! 飛べッ!」

 首なしの牢屋に嬲られるよりは、崖下に叩きつけられるほうが――そのような自殺願望さえ、今だけは正論となった。

 首なしの牢屋は猛然と、喜々として追いかけてくる。

「レビテートは私が!」

「ずりぃぞ、お前ら! こんなことなら、オレがイーニアと……」

 もはや一刻の猶予もなかった。セリアスに続き、グウェノもダイブを決行する。

 首なしの牢屋が吐き出した煙に巻かれながらも、セリアス団は崖から身を投げた。間一髪、セリアスはイーニアのレビテート(浮遊)に救われ、ゆっくりと降下する。

 グウェノもロープを駆使し、転落は免れた。

 一方、ハインは気功の力を活かし、強引に着地する。

 崖の上では首なしの牢屋が足を止め、周囲を見渡していた。セリアスたちは死角に身を隠し、神にさえ祈る。

(頼む……! 気付いてくれるなよ)

 怪物はしばらく立ち止まっていたものの、やがて背を向け、遠ざかっていった。

緊迫感から解き放たれ、セリアスたちは胸を撫でおろす。

「た、助かったぜ~! ……そうだ、オッサンは?」

「拙僧は問題ない。大丈夫か? セリアス殿」

 セリアスもびっしょりと汗をかいていた。

「……すまない。俺が音を立てたばかりに、こんなことに……」

「気にするな。あの時に走り出してなければ、逃げきれんかっただろう」

 ハインの言葉に救われる。

 実際のところ、今回の窮地を招いたのはセリアスだった。ただハインの言う通り、あのタイミングで全力疾走に踏みきったのは正解でもある。

 イーニアは嗚咽を漏らした。

「ひっ、ひぐ……怖かったです……!」

 十五歳の少女には苛酷な遭遇だったらしい。これにはグウェノも肩を竦めた。

「無理もねえよ。オレだって泣きてえくらいさ」

 しばらくの間、セリアスは黙々とイーニアを抱き締める。

「好きなだけ泣くといい」

「うああああっ!」

 二十五のセリアスにしても、夢に見そうな臨死体験だったのだ。心身ともに未成熟なイーニアに耐えられるはずもない。

 やがて彼女も泣きやんで、おずおずと姿勢を正した。

「……ごめんなさい、セリアス。私……」

「あんな怪物に襲われたんだ、当然だろう。全員が無事で本当によかった」

 白金旅団をも壊滅させた『首なしの牢屋』がセリアスの心胆を寒からしめる。

 格下のセリアス団が五体満足でいられるのは、奇跡みたいなものだった。あと数秒、敵に気付かれるのが早かったら――阿鼻叫喚の地獄絵図となっていたかもしれない。

 だが、これで窮地を脱したわけでもなかった。ハインがぼやく。

「にしても、参ったのう……どうする? セリアス殿」

「……ああ」

 逃げる際にセリアス団は荷物のほとんどを捨ててしまった。グウェノとイーニアはミスリル製の武器を、ハインは食料を丸ごと手放している。

 崖をよじ登ったところで、また首なしの牢屋と遭遇する可能性もあった。

 遭難――全滅に近い危機に瀕し、セリアスは頭を悩ませる。

(戦えるのは俺とハインだけか……)

 画廊の氷壁を抜けたあとなのは、不幸中の幸いだった。少なくとも、吹雪で方角を見失ったり、凍死するような事態にはならない。

 しかし四人が夜を明かすだけの用意はなかった。いずれ陽も沈む。

「女神像さえ見つかれば、風下の廃墟までは帰れるんですけど」

「よくコンパスを離さなかったな」

 記憶地図もあるとはいえ、城塞都市グランツまで徒歩で帰るには、遠すぎた。

「とにかく……どこか、休める場所に……か、ねえと……」

 不意にグウェノがふらつく。

 それを支え、ハインは声を荒らげた。

「グウェノ殿っ? し、しっかりせんか!」

「……」

 だがグウェノは気を失ってしまったのか、ぐったりと虚脱する。

「ど、どうしたんでしょうか? グウェノは……」

「……わからん」

 病気ではないはずだった。自分と同等に旅慣れしているグウェノが、風邪をひくわけがない。現にさっきまでは小粋な笑みを浮かべていた。

 大柄なハインがグウェノをひょいと担ぐ。

「拙僧が運ぼう。なぁに、これくらいで足を取られはせんとも」

「倒れたのがハインでなかったのが、幸いか……」

 普段は心配事を口にしないセリアスも、本音を吐露せずにいられなかった。

 セリアス団はフランドールの大穴で孤立無援の状態にある。遭難という事実は、近いうちに仲間の、そして自分の死を意味した。

 イーニアが空の向こうを仰ぐ。

「見てください、セリアス。あれは……?」

 視線の先には城があった。

 青空のもと、壮麗な古城が聳え立つ。

「セリアス殿、あれはもしや……」

「……ああ」

 噂に聞く『シビトの王が住む城』のようだった。

 シビトとはかつてフランドールの大穴より現れた、不死身の化け物。フランドール王国は死闘を経て、五十年前、ついにシビトを滅することに成功した。

 そのシビトとは別に、理知的な『シビトの王』があの城にいるらしい。その名はエディンだと、冒険者の間で噂になっていた。

 エディン王に危害を加えられた、という話は聞かない。

「……ほかに手もないか。あの城に行ってみよう、ハイン、イーニア」

「はい」

 グウェノを抱え、武器も食料もないセリアス団に、もはや選択の余地はなかった。エディン王とやらの温情を頼みにして、城を目指す。

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