第78話 グウェノの青春
翌日の昼過ぎには壁画のもとまで辿り着く。
「じゃあ、行くぜ」
三角形の窪みに鍵を嵌め込むと、壁画の中央が割れるように開いた。新たなフロアへの下り階段が現れ、一行は固唾を飲む。
「地下か……照明は任せるぞ、アネッサ」
「はい。離れないでくださいね」
マーガスは近いはず。
細長い階段の先には、石造りの重たい扉が待ち構えていた。デュプレとジャドがふたり掛かりで押し開くと、冷たい空気が溢れてくる。
「さぶっ! なんだよ、一体」
「……どうやら、長すぎる『冬』の原因はこいつらしいな」
そこでは数多のモンスターが氷付けにされていた。動物もおり、氷の中で苦悶の表情を半永久的に保存されている。
「合成モンスターの素材ってことか……?」
「趣味の悪いやつだぜ。こういうマッドなインテリにゃ、関わりたくねえもんだ」
このために城は冷気を発し続け、シドニオを冬で閉ざしてしまったのだろう。街の気候さえ左右する大魔導士の魔力に、アネッサは不安を募らせる。
「私たちで勝てるんでしょうか? マーガスに」
「会ってみんことにはな」
さらに進むと、凍りつくほどの寒さはましになった。
しかし照明の魔法が照らすものは、より異質かつ異様なものとなり、グェウノたちの心胆を寒からしめる。
大きなビーカーの中では等身大の生き物が培養されていた。
「見ろよ、デュプレ、グウェノ! いくらなんでもヤバすぎらぁ」
ジャド以上にグウェノは目を見開き、慄然とする。
「ダットさんっ? ダットさんじゃねえか!」
アネッサも顔を強張らせた。
「どうして……ひ、ひとが……?」
ビーカーの中には人間が閉じ込められていたのだ。ほかのビーカーも同様で、シドニオから逃げたはずの住民が捕らわれている。
そのうえ、彼らは手足をモンスターのものと差し替えられていた。
さしものジャドも吐き気を堪える。
「ふ、普通じゃねえ……人間を実験台にしてやがる」
「まさか……こんなことのために合成モンスターを……」
シドニオの街を襲った危機。その背後には、大魔導士マーガスの狂気じみた人体実験が隠されていた。変わり果てた住民を目の当たりにして、グウェノは怒りに震える。
「ベティおばさんまで……ちくしょう! 絶対に許さねえッ!」
デュプレも発奮し、ビーカーを叩き割った。
「同感だ。外道に生きる資格はない」
大魔導士マーガスの所業はもはや人間の道を外れきっている。
奇怪な展示室を抜け、やがてグウェノたちは研究所らしいホールへと辿り着いた。悪魔を模った楼台が火を灯し、侵入者の一行を迎える。
「妙な場所ですね。一体、何のために……」
「さあな。遅れるなよ、アネッサ」
このホールは地下の闘技場だったものを改装したらしい。
向かって右には書物が、左には触媒や薬品が乱雑に積みあげられていた。地下とは思えない広さで、ゴブリンの上半身と下半身がばらばらに吊るされている。
「マーガスの野郎はどこだ?」
グウェノたちは背中合わせの陣形で神経を尖らせた。
「……逃げやがったか?」
「それなら、俺たちとどこかですれ違うだろう。裏口でもない限りには……」
扉は大きいものと小さいものがひとつずつ。
しかしどちらを開けるまでもなく、ゆらりと人影が現れた。思いもよらない人物と出くわし、グウェノは目も口も丸くする。
「マ、マルコっ? お前、マルコじゃねえか!」
黒縁の眼鏡が似合う青年。彼は王都で宮廷魔術師を務める自慢の幼馴染み、マルコに間違いなかった。マルコのほうも穏やかな笑みを綻ばせる。
「ふふふ。久しぶりだね、グウェノ」
「どうしたんだよ? こっちから連絡しても全然、掴まらねえでさぁ」
しかし駆け寄ろうにも、デュプレに妨げられた。
「待つんだ、グウェノ。こいつがここにいる理由を考えてみろ」
「へ? なんだよ、そりゃ」
ジャドやアネッサもマルコに疑惑のまなざしを向け、口を噤む。
グウェノはひとり首を傾げつつ、幼馴染みを紹介した。
「そう警戒すんなって。こいつはマルコってやつで……っと、そうだった! 暢気に話してる場合じゃねえ、メイアが大変なんだ!」
ところがマルコは驚きもなしにしれっと答える。
「ガーゴイル病でしょ? 知ってるさ」
その一言で、二年ぶりの再会の喜びは霧散してしまった。
グウェノは愕然としてあとずさる。
「……マルコ? お前」
「僕はもう宮廷魔術師のマルコじゃない。きみの幼馴染みでもない。半年ほど前に生まれ変わったんだよ、グウェノ。……大魔導士マーガスとしてね!」
突如、悪魔の楼台が火を噴いた。
デュプレはグウェノを庇って後退しつつ、炎の向こうを睨みつける。
「やはり貴様がマーガスか!」
「ハハハッ! よくここまで来られたものだね。きみたちはいい実験台になりそうだ」
マーガスとして高笑いを響かせているのは、紛れもなくマルコの声だった。
信じられない。信じたくもない。
「嘘だろっ? あのマルコがこんな真似するわけ……」
だが、マルコは酷薄な笑みで野望を語る。
「合成モンスターはキマイラでひとまず完成したからね。次は人間をベースにと思って、手頃なサンプルを集めてたんだ。でも街のみんなじゃ、実験に耐えられなくてさあ」
「やめろ! やめてくれっ!」
グウェノは耳を塞ぎ、必死に拒絶した。それでも悪魔はマルコの顔で、マルコの声でグウェノを裏切る。
ジャドは躊躇うことなく剣を抜いた。
「大魔導士マーガスがグウェノのダチだったとはなァ。ちょいと気の毒だが……てめえの好きにされちゃあ、迷惑するやつが多いんでな」
アネッサも魔導杖を握り締め、果敢にもマーガスと対峙する。
「行方不明のあなたがこんなところにいるなんて……」
「お、おい? お前、マルコは極秘のって」
「グウェノには黙ってましたけど……マルコさんは半年ほど前、王都の魔導研究所から本や薬品を盗んで、行方知れずになってたんです」
「そいつがここに潜伏していたわけか」
デュプレの剣が地面を貫くと、衝撃波が走った。マルコには届かなかったが、悪魔の像は崩れ、炎の中へと沈む。
「グウェノ、お前はじっとしてろ。俺が片をつけてやる」
「う、ぁあう……」
声が声にならなかった。グウェノは動揺から立ちなおれず、ひとり竦む。
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