第73話 グウェノの青春

 その夜、グウェノは恋人の部屋で寛いでいた。

「――って感じでさ」

探索の進捗を報告しつつ、柔らかい膝枕を堪能する。

「モンスターの合成だなんて想像できないわ。本当にあの城で、そんなことが?」

「ああ。早いとこ片付けねえと、街も寒いだけじゃ済まないぜ」

 シドニオにはかつてない危機が迫っていた。それはメイアも肌で感じているようで、真剣に耳を傾けてくれる。

「研究……もしかしたら、今も実験がおこなわれてるんじゃないかしら」

「だろうなぁ」

 おそらく城のどこかでマーガスは研究を続けていた。

すなわち、それはまだ研究が『完成』していないことを意味する。

「目標があるのよ、きっと。恐ろしい目的が……」

 メイアの言葉は確信に満ちていた。

 グランシード王国がどこまでマーガスの研究を把握しているかも、気に掛かる。王国軍を派遣しないのは、彼に好きなだけ研究させるため――といった邪推も成立した。研究が完成したところで、奪うこともできるのだから。

 いずれにせよ、シドニオを舞台とされるのは気に食わない。

「マーガスなんざ、さっさと追い出してやるよ。そしたら、お前の親父さんもオレのこと一人前って認めてくれんだろ」

「うふふ、グウェノったら。お父さんは意地を張りたいだけよ」

 別れの挨拶程度にキスをして、グウェノはすっくと立ちあがった。

「そんじゃあな。ちゃんと温かくして寝ろよ」

 メイアも起きあがろうとする。

「あ、そこまで送るわ。下にお父さんたちもいるし……きゃっ?」

ところが不意にバランスを崩し、倒れてしまった。

「何やってんだよ? しょうがねえなあ」

「……………」

 おっちょこちょいな恋人のため、グウェノは手を差し伸べる。しかし彼女はそれを取ろうとせず、青ざめた。右のくるぶしを押さえ、わなわなと瞳を震わせる。

「お、お前! ちょっと見せてみろ」

「だっ、だめ! なんでもないの、み……見ないでっ!」

 その足から毛糸の靴下を引っぺがし、グウェノも顔面蒼白になった。

 彼女の右足は石のように変わり果てていたのだ。左足でも同じ症状が進行している。

「おばさん、おじさん! すぐ来てくれ、メイアが……メイアの足がっ!」

 下の階から彼女の両親も駆けつけ、大騒ぎとなった。

「こ、これは……どうしたんだい、お前!」

「グウェノくん! きみは先生を呼んできてくれ!」

「お、おうっ! わかった!」

 グウェノは町医者のもとへ急ぐ。

「先生! メイアは? メイアはどうなんだよ?」

「お前は廊下で待っておれ」

 診察の間も気が気でならなかった。まさか、そんなわけがないと自分に繰り返し言い聞かせるも、強迫的な不安に押し潰されそうになる。

 廊下で待っていると、母親のものらしい嗚咽が聞こえてきた。

 部屋から老医者だけが出てきて、扉を閉ざす。

「せ、先生! オレも」

「今はそっとしておいてやれ。それより、お前にも話しておかんとな」

 グウェノとメイアが恋人同士であることは、医者の彼も前々から知っていた。だからこそ、残酷な現実をグウェノには突きつけられないと、口を開きかけては噤む。

「話してくれ、先生。覚悟はできてる」

「わかった。あの子は……ガーゴイル病を患っておるのじゃ」

 聞き覚えのない病名だった。

 ひとまずグウェノは彼の病院へと場所を変える。

「なんだい? そのガーゴイル病ってのは」

「どこじゃったか……お、この本じゃ。これを見てみい、グウェノ」

 医者は厚い医学書を開き、グウェノにあるページを読ませた。

 ガーゴイル病。それはモンスターから人間にのみ伝染する奇病で、身体が徐々に石化していくらしい。潜伏期間が長く、症状は突如として現れる。

「感染しても、一週間以内に適切な処置をすれば、問題はないのじゃが……」

「ひとからひとへは感染らねえんだな」

 潜伏期間はおよそ八年。石化が始まる頃には『手遅れ』だという。

 グウェノは頭を抱え、必死に八年前の記憶を辿った。

(モンスターから感染だって? んなこと、メイアがいつ……)

 そして十歳前後の頃のある思い出に行きつく。

 メイアは昔、怪我をしたモンスターの子どもを拾ったことがあった。グウェノは気味悪がって触らなかったが、マルコと一緒に手当てを施し、野に帰したのだ。その数日後、彼女は急に高熱を出して寝込んでいる。

「あの時か……!」

「心当たりがあるようじゃな」

 ガーゴイル病に感染したとすれば、ほかになかった。当時はこのレオナルド医師もまだ街におらず、ガーゴイル病の対処は何も施していない。

「こいつは治らねえのかっ? 先生!」

 一縷の望みを懸けて、グウェノは老医師に縋った。けれども医者は無念そうにかぶりを振り、言葉を絞り出す。

「ああなってしもうては、もはや不治の病じゃ。あの子も自覚はあったようでな……特にお前には、本当のことを言い出せなかったんじゃろうて」

 がつんと頭を殴られたような衝撃だった。

 メイアが自分と一緒に街を出たがらなかった理由も、これで察しがつく。

「オレのために、あいつはずっと……苦しんでたってのかよ……」

 なのに、自分は恋人との新生活に浮かれてばかりいた。その態度が彼女をどれだけ追い込んだか、想像するだけでも胸を締めつけられる。

「なんか方法があんだろ? 先生! なんだってやる! 教えてくれ! 頼むから教えてくれよ、あいつを助ける方法を!」

「……………」

 無言の医師に対し、いつしかグウェノは喚き散らしていた。

「嘘だと言ってくれよ、先生! なんでメイアなんだっ! なんで……なんでっ!」

 悲しみが心を涸らす。

 その夜も冷え込んで、八月なのに雪が降った。

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