記憶
アリスは椅子に括り付けられ、身動きが取れないニムバスの足の裏に一瞬だけ電極を突き刺した。
「ぐぁぁぁぁ! きさ、貴様、実の親になんてことを!?」
「何が実の親だ。そんな筈あってたまるか!
何故だ、何故、陛下を束縛するような真似をした!?
……何よりも、何故、私にその役をやらせた!」
「なんだと!?
いつも通りだっただろうが!?
私が命令し、お前は犬のように従う! それがいつも通り、ぶるぁぁぁぁぁ!?」
「嘘を付くな!
私が貴様の犬だと……そんな筈は無い、貴様が私を洗脳したからだ! 」
アリスはシルヴィア陛下の従順なる従者だったが、ニムバスを始めとするこの国の者達に捕らえられ、偽の記憶を植え付けられて、シルヴィアに手をあげるように仕向けられたと信じ込んでいる。
あの煙草は、自白させるために、立場や使命感、理性をあやふやにさせる為のモノだ。
よって、アリスの今の言動は、彼女自身の願望そのものだ。
「うぐぅぅぅぅっ……!
洗脳されているのは貴様だ、アリス!
あの小娘め、小賢しい手を使いおる……だが、こっちは
そうだろう、我が娘よ!
お前は私の自慢の娘だ!」
「くっ……!」
「そうだ、思い出せ! 私はニムバス・アイロット、お前の父だ! お前が愛するべき君主であり、お前が全身全霊を尽くさなければいけない父だ!
そして、貴様はアリス・アイロット! アイロットの名を継ぐ、私の娘ではないか!?
さぁ、元に戻るのだ! そして、愛せ、この国を、この私を!」
アリスは先程までの勢いを無くし、苦しそうに頭を抱えた。
足に受けた電流の痛みに苦しみながらも、ニムバスはほくそ笑んだ。
「愛」、この言葉は幼かったアリスを調教する為に良く使った言葉なのだ。
(クク、シルヴィアよ、洗脳とはいい考えだったが、洗脳が効くのは人間相手のみ!
このどうしようもなく気味の悪い女は、私の言いなり糸人形として作り上げたモノなのだよ!
もうじき、糸のコントロールは私に戻る! そうなれば、反撃の時間が―― )
「……そうか、貴方が父上、か……?」
「ようやく、思い出したか!
思い出したのなら、さっさとこの縄を解いて、地べたに顔面を擦り付け――」
「いや、まだだ。
貴方が本当に私の父だというのなら、私との思い出を聞かせてくれ。
一つでいい、そうすれば、貴方を父だと思い出せるはずだ」
「はっ、ああ! 一つと言わずとも、幾つでも話してやろう!
例えば、アリス、あれはお前が幼少期の時だった!
あれは……?」
勝利を確信したはずのニムバスは、首を傾げた。
無い。
親子の記憶、そんな記憶が無いのだ。
アリスとの思い出が一切見当たらない。
いや、まさか、幾らぞんざいにあつかったからって、そんな筈……とニムバスはなんとかひねり出そうとするも、何も出てこないのだ。
そう、家庭教師たちには、アリスを忠実な道具として育てろと命じたが、ニムバス本人は本当に親として、全く何もしていないのだ。
まさか、こんなバカげたことが致命傷に?
こんなことならば、演技でも下らない家族ごっこをするべきだった。
しかし、もう遅い。
だらだらと、ニムバスの額には冷や汗がこみあげて来た。
「その、あれは……そう! ゆ、遊園地に行った時のことだ!」
「何時? 何処の? 」
「そ、それは……ええい、そんなこと詳しく、覚えているわけないだろう!?」
「そんなことだと……?
親子の思い出をそんなこと呼ばわりとは、やはり人の心を持たない豚ではないか!」
アリスは容赦なく、電極をニムバスのぶよぶよとした腹に突き刺すと、問答無用で電流を流した。
絶叫と共に、血、それから肉が飛び散る。
「ぐがああああ、ああああ、あああああ!
貴様、貴様、止めろ、止めないかぁ!?
ならば、貴様の記憶の中にシルヴィアの記憶があるとでも――!」
「ああ、あるとも!
私が熱を出した時に傍に居たのは、間違ってでも貴様ではない、シルヴィア陛下だ!
私の瞳を綺麗と言ってくださったのも、真剣だと言ってくださったのも、手を差し伸べて下さったのも、全部、全て陛下だった!
はぁ、はぁ……。
この大切な……大切な記憶を、もう誰にも書き換えさせなどしない。
この忌まわしい植え付けられた記憶を……脳裏にこびりついた貴様の醜い姿を、消し去ってやる。
消え失せろッ! 」
アリスは電極を引っこ抜き、持ち上げるとニムバスの頭上へと持ち上げた。
皮肉なことに、重税でむしり取った金で豪遊し、まるまると太ったニムバスはまだ死ぬことは出来なかった。
「ひぎぃ!?
何を、何をするつもりだ!?
やめろ、話せばわかる、話せば――!」
だが、言葉は通じない。
当然だ。ニムバスがアリスの言葉を聞いた事なんてないから。
アリスは、電極をニムバスの頭上から振り下ろし、脳天へと――。
「やめ、やめ、やめ、やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
――グサッ。
「……消えろ、跡形もなく」
◇
死体、死体、死体、椅子にへばりついた黒焦げた炭の何か。
豪華だった部屋には、そんなものが散りばめられていた。
その部屋から少し歩いたところにある舞踏会館を見下ろせるホールで、先程まで抱いていた激情が嘘だったように、間の抜けた顔をし、アリスはぺたりと座り込んでいた。
今更になって、折れた骨が痛み、何か色々なことが間違っているような気がした。
「……何か、取り返しのつかないことをしてしまった気がする……。
そもそも、私は誰なんだ……? 」
視界が歪んでいる。
足元を見るとアリスの眼鏡が転がっていた。
アリスはそれに手を伸ばそうとしたが―やっぱり、止めた。
何も見えなくなったし、何もわからなくなったが、別にいい気がしたからだ。
「こんな、私でも……あの人なら、シルヴィア陛下なら、きっと……」
屋上を彩るステンドガラスから見える空が眩い。
アリスはそれを見上げて、憑き物が落ちたかのような微笑みを浮かべた。
次の瞬間、リストニアの
舞踏会館に砲撃が着弾したのだ。
即席の共同戦線を組んだトリスタンとアーゼン独立派が、リストニアへの攻撃を開始した瞬間の出来事だった。
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